昭和31年4月の「中央公論」誌の記事から興味深い部分を紹介します。
この年の「人気歌手勢ぞろい」の民放祭は人気歌手の投票によって出場者を決定するものだったのだとか...
この投票権をもっていたのは「雑誌記者」などのジャーナリスト。
この投票による順位は、
1位/江利チエミ(37票) 2位/雪村いづみ(16票) ...なんと美空ひばりは14票で6位となっていたのです。
ジャーナリストの美空ひばり嫌い...というのが如実に現われた結果です。
この時期、色々な雑誌を紐解くと「美空ひばりバッシング」は相当なものになっています。(ひばりさん自身...というよりむしろひばりママへの風当たりだったようにも思えます。)
またもうひとつには「日本の流行歌」...とりわけ艶歌を「下世話なもの」とみる知識人層が多かったということにもよるものかとも思います。
しかし現実としてどうだったのか...
雑誌「平凡」の人気投票という企画は昭和24年からスタートしました。
昭和31年当時、平凡の読者の平均年齢は17歳+数ヶ月...というころ。価格は95円...決して安くはない価格です。
美空ひばりが人気投票に頭角をあらわすのは昭和25年4月--->順位は9位(女性では3位)
翌年には第3位に躍進、27年には男女別のランキングとなり、その筆頭第1位に輝きます。
その時点では男性1位の小畑実に6万票の差をあけて文字通りのナンバー1.に。
以後、女性歌手ナンバー1をキープします。
ただ得票数は28年の15万票が天で、31年4月の時点では7万票に得票数は落としています。
江利チエミが登場するのは昭和29年...ひばり、菅原都々子に次いで3位。30年からはひばりに続いて2位。雪村いづみは第4位です。
クロウト筋の投票では1位...しかし「平凡人気投票」に現われたひばりとの間には6万票の大差が口を広げていました。
歌謡曲とジャズ(洋楽)とのサーキュレーションの差...裾野の広さの違いが決定的に現われていたともいえます。(もちろん、美空ひばりはとてつもなく偉大ですが...)
この「なんでもひばりと比べられる」という点...
これは長い間江利チエミを呪縛していた事柄...であったとも思われます。
ゆえに懸命にレコード会社は「民謡を歌わせた」ようにも思えるのです。
しかし...
ここでもし江利チエミがジャズ・ポップスの世界にだけ留まっていたら...
頑なに「3人娘映画」への出演を拒んでいたら...
彼女は「伝説に残る日本を代表するシンガー」になれたのかも知れません。
なにせ「この道ひとすじ」の方が相対評価が高くなるのがこの世の常...ゆえに。
たらればを言っても仕方のないこと...ですが、ペギー葉山、雪村いづみとともに受勲歌手となり今も元気に歌い続けてくれたのかも...という気持ちがよぎることがあります。
がんばりすぎた!...
ゆえにひばりさんは52年、チエミさんは45年という若さで...
凝縮され内容の濃い人生が彼女たちの命を削ってしまったように思えます。
好きな歌だけ歌っていればいい...
そうはいかなかったスターの宿命...といってはあまりにも悲しすぎます。
※32年の「民放祭」は全国のファンからの投票によって10大歌手を選出...ということになりますが、各レコード会社とも「○○が出て□□が出られないなら○○も...」といった軋轢が生じ、結果以下の21歌手の総出演となって、4月21日にナマ放送で「当代一流21人のスターによる歌の祭典」として放映されました。
出演者は以下の通り...
江利チエミ/松山恵子/白根一男/大津美子/青木光一/野村雪子/小坂一也/鈴木三重子/曽根史郎/若原一郎/コロムビア・ローズ/小畑実/藤島桓夫/岡晴夫/島倉千代子/三浦洸一/雪村いづみ/春日八郎/田端義夫/三橋美智也/美空ひばり
江利/雪村/小坂以外はみな「歌謡曲」...時代は本格的に歌謡曲の時代へと移っていったこともこのメンバーから読み取れます。
この年の「人気歌手勢ぞろい」の民放祭は人気歌手の投票によって出場者を決定するものだったのだとか...
この投票権をもっていたのは「雑誌記者」などのジャーナリスト。
この投票による順位は、
1位/江利チエミ(37票) 2位/雪村いづみ(16票) ...なんと美空ひばりは14票で6位となっていたのです。
ジャーナリストの美空ひばり嫌い...というのが如実に現われた結果です。
この時期、色々な雑誌を紐解くと「美空ひばりバッシング」は相当なものになっています。(ひばりさん自身...というよりむしろひばりママへの風当たりだったようにも思えます。)
またもうひとつには「日本の流行歌」...とりわけ艶歌を「下世話なもの」とみる知識人層が多かったということにもよるものかとも思います。
しかし現実としてどうだったのか...
雑誌「平凡」の人気投票という企画は昭和24年からスタートしました。
昭和31年当時、平凡の読者の平均年齢は17歳+数ヶ月...というころ。価格は95円...決して安くはない価格です。
美空ひばりが人気投票に頭角をあらわすのは昭和25年4月--->順位は9位(女性では3位)
翌年には第3位に躍進、27年には男女別のランキングとなり、その筆頭第1位に輝きます。
その時点では男性1位の小畑実に6万票の差をあけて文字通りのナンバー1.に。
以後、女性歌手ナンバー1をキープします。
ただ得票数は28年の15万票が天で、31年4月の時点では7万票に得票数は落としています。
江利チエミが登場するのは昭和29年...ひばり、菅原都々子に次いで3位。30年からはひばりに続いて2位。雪村いづみは第4位です。
クロウト筋の投票では1位...しかし「平凡人気投票」に現われたひばりとの間には6万票の大差が口を広げていました。
歌謡曲とジャズ(洋楽)とのサーキュレーションの差...裾野の広さの違いが決定的に現われていたともいえます。(もちろん、美空ひばりはとてつもなく偉大ですが...)
この「なんでもひばりと比べられる」という点...
これは長い間江利チエミを呪縛していた事柄...であったとも思われます。
ゆえに懸命にレコード会社は「民謡を歌わせた」ようにも思えるのです。
しかし...
ここでもし江利チエミがジャズ・ポップスの世界にだけ留まっていたら...
頑なに「3人娘映画」への出演を拒んでいたら...
彼女は「伝説に残る日本を代表するシンガー」になれたのかも知れません。
なにせ「この道ひとすじ」の方が相対評価が高くなるのがこの世の常...ゆえに。
たらればを言っても仕方のないこと...ですが、ペギー葉山、雪村いづみとともに受勲歌手となり今も元気に歌い続けてくれたのかも...という気持ちがよぎることがあります。
がんばりすぎた!...
ゆえにひばりさんは52年、チエミさんは45年という若さで...
凝縮され内容の濃い人生が彼女たちの命を削ってしまったように思えます。
好きな歌だけ歌っていればいい...
そうはいかなかったスターの宿命...といってはあまりにも悲しすぎます。
※32年の「民放祭」は全国のファンからの投票によって10大歌手を選出...ということになりますが、各レコード会社とも「○○が出て□□が出られないなら○○も...」といった軋轢が生じ、結果以下の21歌手の総出演となって、4月21日にナマ放送で「当代一流21人のスターによる歌の祭典」として放映されました。
出演者は以下の通り...
江利チエミ/松山恵子/白根一男/大津美子/青木光一/野村雪子/小坂一也/鈴木三重子/曽根史郎/若原一郎/コロムビア・ローズ/小畑実/藤島桓夫/岡晴夫/島倉千代子/三浦洸一/雪村いづみ/春日八郎/田端義夫/三橋美智也/美空ひばり
江利/雪村/小坂以外はみな「歌謡曲」...時代は本格的に歌謡曲の時代へと移っていったこともこのメンバーから読み取れます。