講談社ノンフィクション賞 受賞特別対談 高野秀行×角幡唯介 「探検と冒険のあいだ」

2013年11月27日(水)
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角幡 あの『ムベンベ』も重版がかからなかったんですか?

高野 かからない。『アヘン王国』にいたっては、出すのも大変で、出版社に原稿を持って行っても、説教までされちゃってね(笑)。「まだ若いうちにこんな薬物の本なんか出しちゃ駄目だよ」なんて。なにしろアヘン中毒で帰国したわけでしょう? 抜けようとしたらアル中気味になったりして、すごく消耗していた。渾身の作品のつもりだったから、出版して、本が売れれば、まあいいんだけど、どうにもならない。やっとすごい峠を越えたら、そこは奈落だったみたいな状態で、その後はちょっと厳しかったね。

文章は探検部で学んだ

高野 角幡は探検部に入るときにすでに探検家になろうと考えていたそうだけど。

角幡 よく覚えていないんですが、すでにそう決めて行ったところはあったような気がします。僕は一年生のときはラグビーをしていたんです。まあ、普通の学生をしていたんですが、ある日、探検部のビラが目にとまって。白地図が描いてあって、そこにいろんな吹き出しがあって、過去の活動、それこそ高野さんが行ったコンゴの怪獣探しとか、東ティモールに行ってなんとか将軍に接触するが失敗、みたいなことが書いてあった。で、大きく「世界の可能性を拓け」って書かれていたんですよね。それを見てロマンを感じて、よし、おれも世界の可能性を拓こうと。だから探検部の部室に行くときは、ここに賭けてみようみたいな気持ちがありました。

でも最初の説明会で「卒業してまで探検やってる人はあんまりいないけどね」というようなことを聞かされて、いきなりすごく残念に思ったのを覚えていますね。今にして思えば高野さんがいたんですけど、高野さんのことを知ったのは入部してしばらくたってからの話で。高野さんは現役部員の間で有名だったんですよ。本も書いてるし。だけど、バリバリやっているようなイメージがあって、近寄りがたかったんです。「おまえ、何やりたいの?」なんて聞かれそうじゃないですか。

その一方で、会ったことのある人に聞くと、高野さんは三畳間に住んでいて、いつもシーチキンご飯ばかり食べているなんて話しか出てこない。「いやあ、ジャーナリストなんかなるもんじゃねえな」みたいな。もう、どういう人なんだかわけがわからない。

高野 ツナ缶ね。あれは貧乏だから食ってたわけじゃなくて、好きで食べてただけなんだが。

角幡 そうですか(笑)。高野さん、学生時代からそんな感じだったんですか。

高野 基本的にはそう。

角幡 そもそも高野さん自体は、なんで探検部に入ろうと思ったんですか。

高野 いくつかきっかけがあるんだけど、そのひとつに、おれが中学・高校のころにテレビ番組で「川口浩探検隊」というのがあってね。世界中の秘境で謎の怪獣を探したり、頭が二つある蛇を探したりとか。それを夢中で見ていたわけ。あれはノンフィクションだと思っていたんだよ。探検部に入ってからその話を先輩にしたら、「いや、あれはウソだろう」って言われて愕然とした記憶がある。

もうひとつは学研の雑誌『ムー』。謎の超古代文明とか大好きだったんだよね。アトランティス大陸はどうして滅んだのかとか。そしてもうひとつがレヴィ=ストロース。高校時代にニューアカデミズムというのが流行っていて、おれも読んでいたんだけどよくわからないんだよ。唯一わかりやすかったのが、レヴィ=ストロースの構造人類学だったんだよね。その三つが頭の中で未分化のまま、探検部に入ったという感じかな。

角幡 高野さん、今、ものすごくおかしな話をしてますよ。

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