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- 2012年10月15日 09:44
「"未踏の世界"を書くという冒険」− 角幡 唯介(ノンフィクション作家) その2
石井光太責任編集『ノンフィクション新世紀』(河出書房新社)の刊行と連動して、2012年7月28日にシナリオセンター(東京都港区)で開催された「総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座」第3回。第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『空白の五マイル』、『雪男は向こうからやって来た』で知られるノンフィクション作家・角幡唯介氏に、最果ての地を開拓した作品の発想法から取材方法を聞いた。
ゲスト:角幡 唯介(かくはた ゆうすけ) ノンフィクション作家
1976年北海道生まれ。早稲田大学政治済学部卒業、同大探検部OB。2002~03年、長らく謎の川とされてきたチベット、ヤル・ツアンポー川大峡谷の未踏査部を単独で探検し、ほぼ全容を解明。03年朝日新聞社入社、08年退社。第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』でデビュー。他の著書に『雪男は向こうからやって来た』『探検家、36歳の憂鬱』がある。最新作は『アグルーカの行方』。http://blog.goo.ne.jp/bazoooka/
■総合ナビゲーター・石井光太のコメント■
「ノンフィクションの分野には、世界を一変させるほどの素晴らしい作品が林立しています。フィクションとは違い、ノンフィクションにはたった一本の作品で、読者の人生観や世界観、あるいは世の中の流れを丸ごと変えてしまう力があります。しかし、現実を題材にするため、なかなかそれを書いている作家やその手法に光があたりません。そこで、ノンフィクション連続講座では、著名な作家が代表作をどのように発想し、調べ、取材し、執筆したのかということを直接詳しくお聞きしています。作家たちは誰も見たことのない現実にどのように目を向けたのか。そしてそこに入り込み、取材をし、作品をつくりあげたのか。こうしたことは、現実=ノンフィクションの世界に生きている全ての人に役に立つ発想だと確信しています。ぜひ、講座内容を聞いてみてください」
【ゲストの代表作品】
『空白の五マイル』 『雪男は向こうからやって来た』
なぜ、人は雪男を捜しに行くのか―—。2008年、ヒマラヤで撮影された雪男のものとされる足跡の写真が公開され、世界中から注目を集めた。その写真を撮った捜索隊にひょんなことから加わり、雪男探しに延べ60日を費やし丹念に取材した模様が描かれる。雪男の存在を信じていたなかった筆者が、その存在を検証するとともに、高名な登山家・田部井淳子さんなどの目撃者からその様子を聞き、また雪男を目撃したことで雪男にのめり込んでいく人々、そして著者自身も含めて雪男捜索に引き込まれる人々を記す。また、同時に筆者の優れた文章力により、ヒマラヤ捜索中の風景描写も秀逸で楽しむことができる。雪男の存在を問うだけでなく、「なぜ」人々は雪男に熱中するのかを問う。
(『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』ノンフィクション年表1980ー2011より抜粋)
探検はその瞬間に集中できる
純粋な生の流れに身を任せれる
―(前回からのつづき)書くことについてお聞きしたいのですが、ある対談で、旅の起きている瞬間瞬間を意味として書きたいとおっしゃっていました。旅というのは、人生の縮図で、そのなかにはいろいろな瞬間瞬間で意味があるのではないか。その意味を書いているんだというのをおしゃっていました。
角幡 旅の瞬間というか……それは話で説明すると難しいし、面白くないと思うのですが、たとえば登山についていうと、なぜ人が山を登るのか、普通の人は頂上を目指すことに意味があると考えると思うんですが、僕は頂上を目指すことに意味があるのではないのではないかと思っているんです。
山を登る意味は、頂上を目指すことではなくて、頂上までの過程の1つ1つの連続的な瞬間のなかに意味がある。それは何かというと、「達成する」ではなく、ただ山を登っている間に、純粋に時間の中に自分を埋没させているような時があると思うんですよ。本当は、人間が生きることというのは、将来を見据えて貯蓄しますとか、老後の不安を和らげるために年金払いますとか、過去自分をこういうことをやってきましたとか過去とか未来に今の自分がしばられるのではなく、今の自分そのものに意味があるんじゃないか。冒険や登山をやっていると、その瞬間瞬間にすごく集中できるんです。それがなんとなく、生きている。純粋な時間を楽しんでいるわけではないんですが、純粋な生(せい)の流れの中に身を任せることができることがあるような気がしているんです。
去年、北極に100日間ほど行ったんですけど、先が見えないんですよ。60日と43日間、さすがに100日間は食料を運べないので、途中に村に寄ったのですが、最初の60日間、途中の30日目の時に「早くホテルについて風呂入りたいなあ」なんて思わないんです。とにかくマイナス30度の中で毎日歩き続ける。その時間の中に自分が埋没してしまっているんです。その歩くという単調な作業をずっと続けることによって、過去と未来が消え去ってしまうような感じが出てくる。本来、人間も生き物ですから、そういう生き方をしてきたんじゃないかなという気がするんですよ、自分の経験から。でも、今、都会で生きてて、そういうことってなかなか体験できないじゃないですか。いろいろな打算だとか思惑だとか、人間関係のなかで、自分というものが規定されたり存在したりして、本当に生きているという感覚はなかなか味わえないですよね。それが北極やツアンポー行ったりすると、なんか味わえているような気がする。それを表現したいんですけど、なかなかできなくて……。
読者目線でなく、
自分が面白い本を書きたい
―表現して読者に体感してもらいたいということってなんですか。
角幡 僕には読者目線ってあまりないんですよ。自分が面白いという本、文章を書きたいという思いが強いので。あまり読者のことを考えたりはしない。『空白の五マイル』を最初に書いた時、開高健ノンフィクション賞をもらった。パブリシティがあって、いろいろなインタビューを受けました。そのなかのインタビューで「角幡さんはこの本で何を訴えたかったのですか」と聞かれた時に、分からなかった。そんなこと考えてなかったんですよ。自分がこれを書きたかった、というのだけがあって。
―そして書かなければいけなかった。
角幡 いや、そこまではなかった(笑)。でも、本を書くというのは社会性を考えて書くんじゃないんですか、と聞かれて、そうだったんだと思ったわけです。本を書く人って、社会性とか社会にこういうことを訴えてあげるとかで書いているのかとその時に思って、恥ずかしくなったんですよね(笑)。
―そんな人はいないでしょう(笑)。そういう人もいるとは思うんですけど、面白くないですよね、多分。そういうのを吹っ飛ばすから面白いんですよね。
角幡 でも、それを言われた時に、かっとなってしまった。恥ずかしくなってしまった。賞をもらって、そういうことを考えていない自分て、青二才もいいところだなと。でも、今もよくわからないんですよね。
誰が読者かわからない
―強引に冒険ノンフィクションの傾向をまとめると、開高健さんの世代が終わって、その後、角幡さんの先輩である高野秀行さんがエンタメノンフィクションと呼ばれてエンターテイメントのなかに冒険を組み込んだ。この流れで進んでいくのかと思ったら、石川直樹さんや角幡さんはそれを壊してしまうかのように、純粋ノンフィクションをやられている。そして角幡さんの作品は多くの人から支持を得ている。純粋ノンフィクションを選んだのは、直感のなかで自分がそうしたいと思ったのか。また、読者自身は、角幡さんが体験したようなことを体験したいと思って読んでいるんですかね。角幡 いや~僕はだいたい誰が読んでいるかわからないんですよ(笑)。反応がないんですよね(笑)。
―反応を無視しているんじゃないですか?
角幡 ブログを書いていて、それに一応メッセージを送れるようになっていて、たまにメッセージがくるんですが、今まで5~6人くらいですよ。男って、メール出したり手紙出したりしないじゃないですか、だから全員女性なんですけど。あと誰読んでいるか、その5~6人しかわからないですよ。
―その5~6人からは、どのようなメッセージがきたんですか(笑)。
角幡 普通のファンメールで、応援していますというものでした。だから、ファンの反応はわかんないんですよ。編集者の人に聞いたら、絶対に男が多いとは言うんですけど。あ、でも、男の人からメッセージがありました。すごくほめてくださって、うれしくて、返事を出したら、返事がこなかったですけどね(笑)。だけど、手紙もこないし、読者層をこういう方ですとかって言われるんですか?
―出版社、編集者によっては、本屋で出ているデータを教えてくれる人もいます。
角幡 僕は、知らないんです。だから、誰が読んでいるか知らないし、読んでどう思われているかわからないし。だから、アマゾンのレビューくらいですよ。だけど、アマゾンのレビューは読むと落ち込むから、読まないし(笑)。でも、ついつい読んじゃって、頭にきたり、沈んだりするんですけど。
どこに行くかより、何をするか、
どういうテーマを選ぶかを重視している
―今回、参加者の方々から質問を集めたなかで多かったのは、お金をどうしているのかというものだったのですが、実際に冒険代というのはどうやって捻出していくらぐらいかかっているものなのですか。角幡 いや、全然かかっていないですね。たとえば、『空白の五マイル』の時は、ほとんどが飛行機代だけですから。安いホテル泊まって、ラサまでの電車賃と、タクシーはチャーターしたんで、多少金は使ってますけど、それでもね、3~4万円とか、そんなもんですよ。結局、許可を取らずにこっそり行っているので、ただの個人旅行と同じで30万円くらいだと思います。
『雪男は向こうからやって来た』の場合は、遠征隊として行ったので、それでも3~40万円くらいですよ、個人で払ったのは。去年、北極に行った時は、さすがに5カ月行っていて、カナダ国内の飛行機運賃が高かったり、新しい装備品を買ったり、食料もそれなりに買ったし、空輸のため現地の物価が高く、日本の3倍くらいする。牛乳が1リットル、1000円くらいする。そういうのを買ったりしたから、多少高いんですが、ちゃんと計算していないんですけど、5カ月で150万円とかそんなもんですね。
―日本にいるのと変わらないくらいですね。
角幡 日本で家賃の家賃も別に払い続けているんですけど。ただ家賃といっても、1カ月5万円なので、1カ月35万円です。だから、そんなにかからない。
―そう考えると、冒険ノンフィクションというのは、金銭的には安くできるのかもしれないですね。ただ、誰もやりたがらないとは思いますが。
角幡 やりかた次第ですよね。大々的にやれば、いくらでもお金がかかるだろうけど。金をかけなければならないという場面はありますけど、僕の場合はどこかに行くというよりも、そこで何をやって、どういうのをテーマにして、何を書くかというので決まることが多いので、金がかかるようなところに行く必要がないんですよ。北極点に行くにはチャーターなどしなければならないので、すごくお金がかかるんですよ。僕の友達の荻田君は去年、北極点に行こうとして最終的には行けなかったんですけど、すごく安く切り詰めても700万円くらいかかったって言っていた。そうすると、個人の金ではできないことになってしまう。でも、僕の場合は、そういう勲章になるような、タイトルになるようなところには別に行く必要がないので、安く出来ますよ。 (つづく)
【聞き手】 石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家 1977年東京都生まれ。2001年に日本大学芸術学部卒業後、海外ルポをはじめ、貧困、医療、戦争、文化などをテーマに取材、執筆活動を行っている。05年『物乞う仏陀』でデビューし、『神の棄てた裸体』、『レンタルチャイルド』、『地を這う祈り』、『飢餓浄土』『遺体――震災、津波の果てに』など著作多数。最新作は『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』。 公式サイト
総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座
「ノンフィクション連続講座」とは、東日本大震災後の遺体安置所のルポルタージュ、『遺体――震災、津波の果てに』が話題のノンフィクション作家・石井光太氏が聞き手となり、ノンフィクションの世界で活躍する方々にこれまでの作品に関する発想法から、取材、執筆にいたるまでの制作過程についてお話しいただく講座。それぞれの世界の見方、切り取り方を詳しくお聞きし、「ノンフィクションとはなにか」「現実を見つめるとはどういうことなのか」を考えるきっかけとなることを目的に定期的に開催しています。イベントプロジェクト・Youlaboと河出書房新社、シナリオセンターによって運営しています。これまでに開催した、松本仁一(ジャーナリスト)、森達也(映画監督/作家)、高木徹(TVディレクター)、藤原新也(作家/写真家)の講義は、8月下旬に刊行された『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』(河出書房新社、税込1680円)に収録されています。講座の詳細についてはこちら
- 石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀
- 石井光太責任編集による超強力ノンフィクションガイド。
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