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「"未踏の世界"を書くという冒険」− 角幡 唯介(ノンフィクション作家)  その1

石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀 ---世界を変える、現実を書く。 石井光太責任編集『ノンフィクション新世紀』(河出書房新社)の刊行と連動して、2012年7月28日にシナリオセンター(東京都港区)で開催された「総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座」第3回。第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『空白の五マイル』、『雪男は向こうからやって来た』で知られるノンフィクション作家・角幡唯介氏に、最果ての地を開拓した作品の発想法から取材方法を聞いた。


ゲスト:角幡 唯介(かくはた ゆうすけ) ノンフィクション作家
1976年北海道生まれ。早稲田大学政治済学部卒業、同大探検部OB。2002~03年、長らく謎の川とされてきたチベット、ヤル・ツアンポー川大峡谷の未踏査部を単独で探検し、ほぼ全容を解明。03年朝日新聞社入社、08年退社。第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』でデビュー。他の著書に『雪男は向こうからやって来た』『探検家、36歳の憂鬱』がある。最新作は『アグルーカの行方』。http://blog.goo.ne.jp/bazoooka/

■総合ナビゲーター・石井光太のコメント■
「ノンフィクションの分野には、世界を一変させるほどの素晴らしい作品が林立しています。フィクションとは違い、ノンフィクションにはたった一本の作品で、読者の人生観や世界観、あるいは世の中の流れを丸ごと変えてしまう力があります。しかし、現実を題材にするため、なかなかそれを書いている作家やその手法に光があたりません。そこで、ノンフィクション連続講座では、著名な作家が代表作をどのように発想し、調べ、取材し、執筆したのかということを直接詳しくお聞きしています。作家たちは誰も見たことのない現実にどのように目を向けたのか。そしてそこに入り込み、取材をし、作品をつくりあげたのか。こうしたことは、現実=ノンフィクションの世界に生きている全ての人に役に立つ発想だと確信しています。ぜひ、講座内容を聞いてみてください」

【ゲストの代表作品】

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)『空白の五マイル』 雪男は向こうからやって来た『雪男は向こうからやって来た』


なぜ、人は雪男を捜しに行くのか―—。2008年、ヒマラヤで撮影された雪男のものとされる足跡の写真が公開され、世界中から注目を集めた。その写真を撮った捜索隊にひょんなことから加わり、雪男探しに延べ60日を費やし丹念に取材した模様が描かれる。雪男の存在を信じていたなかった筆者が、その存在を検証するとともに、高名な登山家・田部井淳子さんなどの目撃者からその様子を聞き、また雪男を目撃したことで雪男にのめり込んでいく人々、そして著者自身も含めて雪男捜索に引き込まれる人々を記す。また、同時に筆者の優れた文章力により、ヒマラヤ捜索中の風景描写も秀逸で楽しむことができる。雪男の存在を問うだけでなく、「なぜ」人々は雪男に熱中するのかを問う。

(『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』ノンフィクション年表1980ー2011より抜粋)

大学時代探検部、卒業後もまず探検

―—今までの作品『空白の五マイル』『雪男は向こうからやってきた』の成り立ち、なぜノンフィクション作家になられたのか、日頃どのようなことを考えて本を出されているのかなどをお聞きしたいと思います。まずは最初に、角幡さんの作品の中心である探検について、どのような経緯で早稲田大学探検部に入部し、そしてノンフィクション作家になられたのですか。

角幡 僕が現在のような探検活動を始めたのは、早稲田大学2年生の頃です。早稲田の探検部に入りました。僕は中学とか高校とか小さい頃は山とかそういう探検には興味がなかったんです。

——北海道出身ですよね

角幡 北海道の田舎です。夕張の近くの炭坑の町(空知炭田)でした。田舎でしたが、その町の中に住んでいました。実家がスーパーを経営していて、僕は跡取り息子(長男)だったんです。田舎の町に住んでいたけれど、別に野山を駆け回ったりはしていなかった。サッカーをやったり、野球やったりという子供でした。その頃から、僕は漠然と親の仕事を継ぎたくはないなと思っていたんです。

——書いたりとか、作ったりとかは考えてたんですか。

角幡 全く考えていませんでした。とにかく、親の職業は継ぎたくない。ジーパンを履く職業に就きたいと思っていた(笑)。

——ジーパンをはく職業って、たとえば(笑)?

角幡 はみ出し者的な職業に憧れていたんです。だから、東京には必ず出ようと思っていて、それもあって早稲田大学に進んだのですが、何をやりたいかは分からなかった。他人には体験できない人生、自分だけの人生を求めてはいた。でもそんなに簡単に見つかりません。大学1年の時は、どういう生き方があるのかなと考えていたけど、何もしなかった。そのうちに、探検部のチラシを見つけたのです。チラシを読んでみると、過去の活動実績が載っていた。世界地図の白地図があって、いろいろな吹き出しの中に、高野秀行さんがやられたコンゴ共和国でムベンベという怪獣を捜しに行く冒険や、タクラマカン砂漠横断に挑戦したとか、そういった活動実績を読んで、すごく魅力的に映ったんです。「世界の可能性を開け」と熱い字で書いてあって、触発された。「世界の可能性を開け」という言葉を書いた人はとっても変わった人で、UFO探している人だったんですけど……その人にまんまとだまされて、探検部に入ったんです。  入ったらとっても楽しかった。大学2年時に入部して最初にビルマ(ミャンマー)に行ったんですけど、その頃から山登りを本格的に始めた。

——山登りをしたかった?それとも探検をしたかった?

角幡 山登り自体にはさほど興味がなかった。入って、何となく探検っていう言葉に憧れて、僕らの世代で言うと、探検といえば川口浩っていう人がいるじゃないですか。ああいった探検がしたかった。僕のなかの探検のイメージって、ジャングルの中をかき分けて、激流を乗り越えて、何かを探す、見つける、どこかに行く、という。  僕には兄弟がいて、弟に「探検部に入っているんだ」と話をした時に、弟は「洞窟とか行くの?」と言ったんです。それが弟の探検のイメージだった。要するに人によって探検のイメージは異なっている。僕にとっての探検は、ジャングルであり、激流だ、そういうのをやりたいという想いがあったんです。

30歳無職が見えて新聞記者に

——そこから様々な場所を探検した後に、早稲田大学を卒業し、朝日新聞社に入社しましたよね。何年くらい勤めたのですか。

角幡 5年くらい勤めましたね。

——その後、退職してものを書き始める訳ですが、過去のインタビューなどで社会人生活は物足りなかったとおっしゃっています。本当に物足りなくて退職したのか、もしくは何か発想、ひらめきがあって、今の仕事に就いたのか。たとえば、作家や小説家と話すと、みんないいかげんなというか、変な発想なんですよ。「なんで小説を書き始めたのですか?」と聞くと、自転車に乗っていた時に前から風が吹いてきたから、その風を浴びて、俺は小説家になったんだとか。万城目学さんという小説家なんですけど、小説家にはそういう人が多い印象なんですが、角幡さんは何かきっかけになったことはありますか。

角幡 決意は特にないですね(笑)。なし崩し的になった、というか……。『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞をもらって、その時に昔の知り合いから、「夢が叶ってよかったね」と言われたんです。そのとき「俺、そんな夢持ってたっけ?」と。僕の大学の先輩に高野秀行さんがいたからか、昔から「高野さんよりも面白い本を書きたい」と言っていたらしいんですよ。

—— その頃から、自信があったんですか。

角幡 ないですよ(笑)。本を書きたいと思っていたけど、そんな自信はないし、文章なんて書いたことない、でも、自己表現をするなら文章しかないとは思っていたのかもしれない。大学に6年も通って、2001年に卒業したのですが、その時は就職する気はありませんでした。クライマーの藤原さんとヨットでニューギニアに行ったんですけど、藤原さんが変な人すぎて……。

—— どう変だったんですか。

角幡 日本からヨットでインドネシア領のニューギニアまで行き、マンベラモ川というジャングルを蛇行するような大きな川をボートでさかのぼって、カールセル・ピラミッドという5000メートル級の山があり、そこには1000メートルくらいの北壁がある。ここの新ルートを開拓しようという遠征だったんです。でも、途中で藤原さんは、ゲリラ活動が盛んだという事情もあったんですが、山よりもタスマニアタイガーという幻のフクロウオオカミを見つけようと言い出して。

—— 目的が変わっちゃったわけですか(笑)。

角幡 そう。ただ、僕はそんなものはいるわけはないと思っていて、藤原さんは絶対いると。現地の人に聞いたら、現地の人も「いる」というんです。インドネシア語で「アンジウータン」というのですが、アンジはイヌで、ウータンはジャングルという意味。つまり、野良犬のことなんですね。村に行き藤原さんが「アンジウータンはいるか」と聞くと、調子のいいガイドみたいな奴が「いるいる」という。斑の模様でしっぽが短い動物がいると。たぶん斑の野良犬なんですよ。僕は、タスマニアタイガーはいないから、探し続けるならば僕は帰ります、と帰ってきちゃった。それがきっかけで、次に何かやる時は自分1人でやろうと思った(笑)。ただ、書く意思を持つまでには時間がかかった。友達と冬山に行って生活をしているうちに、突然、俺はこのままでいいのかという思いが湧いてきた。当時、学生の時から付き合っていた彼女がいて、その子と僕は、貧しいけれども神田川みたいな生活をしていたつもりだったんです。少なくとも、僕はそう思っていた。だけど、向こうはそうじゃない。彼女が就職してどこかで働くという話になった時に、「俺の人生、やばいな」と思ったんです。なんのスキルもないし、ただ探検がやりたいだけで、26歳だった。30歳無職が見えて、初めて不安になった。それでたまたま新聞社の秋採用があったので応募をした。就職するなら新聞社がいいなとも思っていたので。

—— それはなぜ?

角幡 松本清張さんの小説『Dの複合』のなかに新聞記者が出てきた。会社の意向を無視して1人で証拠を集めて、事件を追って行くという昔ながらの新聞記者の姿でした。今はそんな新聞記者はいないんですけど(笑)、その記者は、ロウ付けにされてスライスされて殺されてしまうんですが、その小説を読んで新聞記者に憧れを持った。新聞社に入社する前に『空白の五マイル』で書いたツアンポー峡谷に1人で行った。終わった時は満足できる結果だったんだけど、何となく完全に自分がやりたかったことができなかったという思いが残った。新聞社に入っても、その思いががどんどん膨らんでいった。直接的な辞めた原因は、それです。  会社を辞めた時は、書くという仕事を5年間してたものですから、まぁライターとして生きていきたい、自分がやっていることを表現したいと思った。でも山を語るとするならば、山って語る必要がないんですよ。それに山って、岩壁があって、そこを登るだけで美しい行為なんですよ。僕がやっているような、ジャングルを這いつくばっていくのって、全く美しくないわけですよ。でもだからこそ、語らなければいけない。自分がやっている行為と語るという表現を連動させたい。新聞社では、それはできませんでした。そもそもそんな所へは行かしてくれませんし、それについて書く場所も全く無い。新聞社にいながら、片手間で本を書けるかといえば、書けないし。新聞記事を書いていて思ったのは、独りよがりな文章を書きたいなと思ったんですよ。カチッとした文章を書いていると、ある程度の定型もあるし、少しでも自分の意思が入り込むと、「お前の意見なんて読みたくないんだよ読者は」と言われるし。でも、僕には、自分の行為、考えを書きたいというのが強くあった。ならば、辞めるしかないのかなと。

影響を受けたのは、ジョン・クラカワー

—— 新聞記者だったら松本清張、探検家だったら川口浩、例えば作家、ライターになる時に、この人を目指したというのはあるんですか?

角幡 目指した、というほどではないですが、一番影響を受けたのは、ジョン・クラカワーです。『空』『荒野へ』などを書いていますが、彼のスタイルを目指したいという思いはありました。彼は若い頃、先鋭的なクライマーで、35歳くらいからクライミングから足を洗ってライターになった。冒険に挑む人の心を分かっていて、なおかつ綿密な取材をしている。そして、ある程度のユーモアを交えていた。とても好きな作家ですね。

実況中継しながらの探検

—— 先ほど控え室で話しをしていたら、角幡さんは、冒険するときに「実況中継」をされると。自分の声で実況中継し続け。それはどのようなものなのですか。

角幡 それが一番顕著だったのは、『空白の五マイル』を書いたツアンポー峡谷に行った時です。険しい岩壁、峡谷があって、峡谷の側壁をずっと横切って行くわけです。起伏はあるけれど、険しい岩肌に木が生えてたり、灌木が入ったり、濡れていて、湿っていて、ぐちゅぐちゅしていて汚くて、そういうところから落ちる恐怖があったんですよ。落ちないように慎重に行くんですけど、そういう一歩、右足出して、濡れて滑りそうなところに右足出して、次にこれをつかんで、おっかないからロープを出してとか、やっている通りに言葉で反芻するようになるんですね。

—— 言葉が先に行っちゃうことはないんですか。

角幡言葉は先に行かないですね。言葉は先に行かないんですけど、それを意識してやっているわけではないんですが、そういうことを言っているんですね。

—— 口で言っているんですか。

角幡 口では言っていないです。口で言っていたら、ヤバいですよね(笑)。心の中でつぶやいている感じです。それがずっと続いている。その時に、つぶやくというのは、言葉に行為が引きずられてしまっている部分がある。その時は思わなかったですが、帰ってきた時に思いましたね。

行為者と作家が同じであるということ

—— 書いている人って、自分で物語化していくという作業があると思うのですが、僕は実況中継はしませんが、僕は取材中にストーリーの地の文を体験の中で作っていってしまうんですよ。それを使うか、使わないかは全く別なんですけど。こういうのをやるのを同時に物語化も同時進行でやっていると思うんです。それはそれとして、ここに新しいご著書である『探検家、36歳の憂鬱』(7月発売)のなかにも、悩んでいることとして、自分の目線、書く時に探検家の目線と作家という目線が、本来は2つ違う方がいい。角幡さんは探検家、僕は作家として、書くというのがベストじゃないかと思っていらっしゃる。角幡さんの場合は、2つの視点が全く一緒になってくる。そこでいろいろな弊害が起きる可能性があると言っていらっしゃる。そこのところについて角幡さん、もう少し詳しく御教えいただけませんでしょうか。

角幡 2009年に会社を辞めて行ったツアンポー峡谷の2回目、1人で山の中に入っていき、最後、飯が亡くなって、飢えて、足がなかなか動かないくらいに衰弱してしまって、最後に近くの村に行こうと歩いていると、村に行くまでに川が流れている。地図で確かめると橋のマークがあったから、橋があると思って探すと、その場所に橋がなかったんです。それまでもこのままでは死ぬかもしれないと思って行動してきたけれど、今度こそ本当に死ぬかもしれないと思った。たまたま別の手段が見つかって死なずに対岸に渡れたんです。対岸に渡れた時に、まずはホッとします。その橋は、一本の細いワイヤーロープが川をまたいでいるような、ロープブリッジだったんです。それをわたって助かったんですけど。それを見つけるまでは、川を泳いで渡らなければならないなと覚悟していた。よし渡ろうと心に決めていた時に、何だあの細い線は!と見つけて、「ああ、よかった、助かった」と腰が抜けるくらい安心して、渡って、ほっと一息ついて、たき火を起こして、今日はここから離れないぞと思った時に、あっ、これって、川を渡った方が面白かったんじゃなかったのか、川を泳いだ方が面白かったんじゃないか、そんなことを思ったのです。そんなことを考えている自分にぞっとしたんですよ。

——どういう意味で。

角幡 こんなこと考えてはダメだと。本来は、ワイヤーロープを渡るじゃないですか。それが人間として自然な行為ですよね。でも、そうではなくて、川を渡るべきだったんじゃないかと思った時点で、行為者として不純だと思った。でも、その時に、書くってこういうなのかもしれないと思ったんです。  でも、ノンフィクションだから、ここで演出をしてはいけない。だけど、もしかしたら、演出しかねないぞと思ってしまった。演出しかねない恐怖感というか、絶対に演出してはだめなんだというせめぎ合いが現場では絶対に出てくる。ツアンポー峡谷でのギリギリの状況じゃなくても、さっき言ったようなずっと自分の行為を言葉でつぶやいていく、そういうつぶやき自体も、行為が言葉に引きずられてしまう第一段階なのかなと思ったんです。ノンフィクションというのは文章に起こした時に、文章の飛躍があるかどうかで、フィクションかノンフィクションかってわかれると思ってたけれど、それは実は違って、何かをやっている段階で、そのやっていることの態度が演出を許さないかどうかなんです。自分に対しての倫理というか、矜持というか、態度とか心構えというか、そこがやはり問われているのかなと。

何も起きないことが前提で書くテーマを決める

—— 『探検家、36歳の憂鬱』でも書かれていましたが、冒険もので面白いのは、はっきり言ってしまうと、綱が切れた瞬間、つまり角幡さんが遭難して死ぬのではないかとドキドキする、だから処女作というのは、そうなってしまったから面白いんですけど、でもやっぱりそういう瞬間がなければ面白くないという現実もあるわけですよね。冒険の一番の見せ場というのは、自分が制御できる限界を超えてしまって、大きな流れのなかに巻き込まれてしまった、そのなかでどうなるんだろうというのが読者は一番面白いと思うんですね。だけども、そこを自分で演出して飛び込めない、あるいはひいてしまうと出来にくくなってしまう。そういうところで悩んでましたよね。

角幡 どうしたらいいんですかね(笑)。『雪男』の時もそうだったんですけど、基本的には何も起きないということを前提に考えます。波瀾万丈なことは起きない、雪男なんて絶対に見つからない、その時に、どう書くんだと問うてみる。去年、北極に行ってきたんですけど、北極で俺はシロクマに襲われない。襲われて大けがして、命からがら村にたどり着かない。それって、行為者としてはOKでしょう? 当然、遭難しないで、目的を達成すればそれでいい。その前提で行くわけです。そうしたら、面白いことはそんなに起きないわけですよね。山であれば、どこかの山を登頂する計画を立てる、途中でクレバスに落ちないし、雪崩にも遭わない、普通に登頂して天気も良くて、降りてきました。登頂成功、よかったよかった。それでいいんですよ。でも、それでは本にならないですよね(笑)。

—— 面白くないですよね。

角幡 でも、僕はそれをに本にしてみたいと思うんです。では、その時に、どう書くかを考えるんです。

——この1つの方法として、角幡さんがやっているのは、実際に自分の旅、冒険という「行為」と、過去の出来事、歴史を随所に盛り込んで、つまり現在の何も起きてないのかもしれないんだけど、それと起きた時の話をうまく混ぜながら、ドラマチックに話を展開されているじゃないですか。一つの方法論だと思うんですけど、あの方法論だけではやっていても面白くないですよね。作り手として、他にどのような方法論があるかと考えると思うんですけど、実際に今、それ以外の方法でどのようなものがあると思いますか。

角幡 冒険でやっている限りでは難しいと思うんですよね。去年の北極の旅というのも、やっぱり過去の題材、全滅した探検隊はどんな風景を見たのかなというテーマを設けて行ったんです。それは当然、決定的な何かが起きないというのが前提で、書くためのテーマをつくった旅をしないといけない。また北極に行きたいなと思っているんですけど、そういうのはなんかもういいやという(笑)。

——投げやりになってきているんですか(笑)

角幡 投げやりというか、なんかそういう過去の自分を壊したいなという気持ちはありますよね。

——起きない時って本当に困るんですよ。基本的に、起きない時って、何をやっても起きないじゃないですか。1つの行為にどう意味付けしていくかっていうのは書いている時は、はじめから考えますよね。何も起きないことを前提に考えるので。たとえば、散歩していても、散歩しているところだけを書いたら、結局物語にならないじゃないですか。だけど、ここのところで、3日前に死んだ人間がいるということをフラッシュバックで書いて、そこを見つめる自分とするとドラマ性が一気に出ますよね。うまくこう挟んでいかないといけない、そうしないと何も起きない現状というのはなかなか物語化できないんだけども、それをやり続けているとうんざりするということですか。

角幡 うんざりはしてこないんですけど、一皮むけたいというのはありますね。もっと違う、もう一歩違うやり方というか。なんかとにかく、過去の自分とは違うやり方というのが何かないかなというのを考えますよね。

—— それって、次に行く時に何か考えていないんですか。壊す方法というのを考えていないですか。

角幡 壊す方法というか、一回、書くという前提をなくして、純粋に行為に専念するというのをやってみたい。ツアンポー峡谷に行った時は、その感覚が結構あって、もちろん書くのを前提に行ったのですが、それよりも自分がやりたいという気持ちが強かった。でも、なかなかそういう対象というのは見つからないし、『空白の五マイル』では過去の自分の人生の道のりも描いたわけだから、共感してもらえたと思うし。なかなか、次、同じようなことを書けるかというと難しいですし。思い入れのあるという行為をもう一度やってみたいと思いますね。 (つづく)

【聞き手】 石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家 1977年東京都生まれ。2001年に日本大学芸術学部卒業後、海外ルポをはじめ、貧困、医療、戦争、文化などをテーマに取材、執筆活動を行っている。05年『物乞う仏陀』でデビューし、『神の棄てた裸体』、『レンタルチャイルド』、『地を這う祈り』、『飢餓浄土』『遺体――震災、津波の果てに』など著作多数。最新作は『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』。 公式サイト

総合ナビゲーター・石井光太 ノンフィクション連続講座
「ノンフィクション連続講座」とは、東日本大震災後の遺体安置所のルポルタージュ、『遺体――震災、津波の果てに』が話題のノンフィクション作家・石井光太氏が聞き手となり、ノンフィクションの世界で活躍する方々にこれまでの作品に関する発想法から、取材、執筆にいたるまでの制作過程についてお話しいただく講座。それぞれの世界の見方、切り取り方を詳しくお聞きし、「ノンフィクションとはなにか」「現実を見つめるとはどういうことなのか」を考えるきっかけとなることを目的に定期的に開催しています。イベントプロジェクト・Youlaboと河出書房新社、シナリオセンターによって運営しています。これまでに開催した、松本仁一(ジャーナリスト)、森達也(映画監督/作家)、高木徹(TVディレクター)、藤原新也(作家/写真家)の講義は、8月下旬に刊行された『石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀』(河出書房新社、税込1680円)に収録されています。講座の詳細についてはこちら

石井光太責任編集 ノンフィクション新世紀
石井光太責任編集による超強力ノンフィクションガイド。

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