Hatena::ブログ(Diary)

木ノ内博道の[里親家庭支援のつれづれ日記]

2014-02-08

「明日ママ」の近況

12:57

2月5日(水)に厚生労働省記者クラブで、全国里親会、全養協、慈恵病院の3団体で「明日ママ」に対する抗議を行った。メディア側は60人、テレビカメラ9台というにぎわい。たっぷり2時間の長丁場となった。

施設側から、子どもフラッシュバックなどがあったことが報告され、それについては日テレ側も書面で謝罪している。国会でも問題となり、厚生労働大臣は、ドラマの与える影響について調査したいと答弁している。

ドラマは、CM提供社も降りている。

抗議を行ってきたこの3団体以外に、昨日「日本子ども虐待防止学会」が緊急要望者を日テレに送ったと言う。

放送をやめてほしい、いや全部見てみないと判断はできないなど、一般の反応はさまざまだが、ポストなどのあだ名は明らかに要保護児童をおちょくっている。多少ドラマを変更しても解決する問題ではないだろう。

社会的養護の世界はあまり社会に知られていない。さらに子どもの声も聞かれることはほとんどない。そういう非常に誤解を受けやすい問題を材料にして作ったドラマとしては安易すぎるとしか思えない。

これを機会に、社会的養護を社会に開いて行く必要があるだろう。ドラマがどんなに安直に作られているかを証明していく必要がある。それに消極的な声が聞こえてくるのは残念なことだ。

2014-02-07

里親にとってのパーマネンシー?

09:33

要保護児童となった子どもの長期安定した養育環境を用意することをパーマネンシーと言って、社会的養護先進国では重要視している。日本でもちらほら言われるようになってきた。

ある里親さんと話していて「里親のパーマネンシーも大事にしてほしい」という話しが出て、パーマネンシーという言葉の柔軟な使い方に思わず感心してしまった。

最近は実親がいて、実親の問題が解決すれば再統合へと向かう。

それはいいとして、実親と里親が対立する構図としてケースマネジメントすることにはやや異論がある。

雪かき雪かき 2014/02/08 07:29
初めてコメントさせていただきます。

本当は、委託された子どもと実親さんの、どちらも見守ることができたらいいなと思います。
委託中も、再統合後も。
現状では、原則的には、再統合されたら里親は、連絡を取ることも会うこともできない。
学校を卒業しても、先生や友達に会うことはできるかもしれない。
友達が引っ越しても、手紙を書いたりはできるかもしれない。
でも、里親と子どもには、そんなことさえできずに、再統合が一生のお別れになってしまう。
そのことが、委託中の子どもの心にも、かなりの負担をかけています。

実親さんにも、子どものことで、直接伝えたいようなささやかなことがたくさんあります。
子どもと実親さんが、楽しく過ごせるための一助になるかもしれないようなことが。
やってみて、うまくいくかどうかは別ですが、そういう気持ちはあります。

話がもしずれてしまっていましたら、申し訳ありません。

kino926kino926 2014/02/08 10:38 雪かきさま、コメントありがとうございます。
子どもにとっても大人にとっても人間関係はとても重要な財産ですよね。とくに子どもにとってはそれしかないくらいの貴重な財産。
たとえば親子分離。親は地域に住み続けるが子どもは多くの関係を断ち切って、保護という名の隔離をされる(過日の本の表現に従えば)。里親に委託されて多くの人間関係ができても、親元に帰ればまたそれを失う。
子どもから安易に関係を失わないようにするなら、親の方をこそ地域から離して、子どもは地域で暮らせることを保障すべきでしょうね。
それから肝心なのは、里親と実親を対立関係ととらえてケースマネジメントがなされること。
ユニークな事例があって、実親と児童相談所は関係がうまくいっていなくて、里親のもとに実母がやってくる。本当は望ましくない方法なのでしょうが、力量のある里親だったらそれもいいのかも知れない。親子分離と親子支援を同じ児童相談所がやることに矛盾があって、そういうことは、措置をしながら相談にものるという、役割と関係の問題が整理されていないことに原因があるのかも知れません。意外に、実親と里親が対立する構造は児童相談所が作っていたりして。

雪かき雪かき 2014/02/09 04:14 実親さんも見守っていくということに自信のある里親さんなら、状況を打破することもできるのかもしれませんね。
分離と支援、役割を分けられたらいいのでしょうね。

kino926kino926 2014/02/09 17:33 雪かきさま、コメントありがとうございます。
昔、学生のころに読んだ吉本隆明の『マチウ書試論』を思い出しました。マタイ伝を論じたものなのですが、思想とその思想が寄って立つ立場についてが主題です。その中から「関係の絶対性」を吉本は導き出します。どんな正しいことを言っていてもその人がどのような立場から発言しているのかが問われると言うことです。
私は雇用関係の仕事を現役の時にしていたのですが、民間の人材紹介の許認可は職業安定所がやっていたのです。同じ仕事をしている、いわば競合関係にある官が、民の許認可をするのはおかしいと、それを変えさせたことがあります。
そういうことに社会的養護の世界は鈍感だなあと思っています。
あるべき形のために努力をしないで、目先の改善しかしない。それでは大きく大きく間違った方に進んで行くばかりです。
20年近く里親制度に関わってきていますが、はたして子どもの環境は変わったでしょうか。子どもたちのために政策は実効されているでしょうか。

2014-02-04

夫婦喧嘩の思い出

15:17

15年も前のことを思い出したので書いておきたい。

小2の男の子がやってきた初日、耳がかゆいと言うので、耳垢を取るべくのぞいたがよく見えない。妻が代わって、円筒になった耳垢が取れた。妻は大きいのが取れたことで喜んでいる。私は、そんな耳垢をとったら耳を怪我してしまう、医者に行って湿らしてから取ってもらうべきだった、と言う。しばらく言い争いになって、寝た。

翌日は早朝会議があって、早目に家を出た。妻から電話がかかってきて、子どもがいないと言う。その後、交番から電話があって、子どもを保護しているから引き取りに来てほしいと言うことだった。

自分のことで夫婦喧嘩が勃発して、早朝に旦那のほうは家を出ていった。そんなことで、子どもとしては身の置き所がなかったのだろう。家を出てみたが行くところも分からない。そこで交番の戸をたたいた、と言うところだろう。

子どもにとって、新しい環境には心配がつきまとう。そんな心境にいるところに、夫婦喧嘩をやらかしてしまった。それもその子どものことで。

2014-02-02

行政措置か司法措置か

07:49

日本の社会的養護の権限は児童相談所が独占していると言っていい。それに比べて、海外では民間エージェンシーに権限が移譲されている場合が多い。この違いはなんだろうと思う。

それに、親子分離や里親委託に関して海外の方が風通しがいいように思う。

そんなことを考えていて気づいたことがある。日本は児童相談所の職員(たかだか公務員)が重要な子どもの処遇を左右する、行政措置なのだ。それに比べて海外の場合(そんなに知っているわけではないが)子どもの処遇に司法が関与する、司法措置が主流なのだ。

この違いは大きいだろう。行政の主観による業務はしばしば間違いをもたらす。当の本人の取り組みの真剣さとはまた別のこととして。

司法が関与し、常に子どもの側に立って最善の判断をする、そうした仕組みにはならないものだろうか。

2014-01-30

施設と言う三段ロケット

19:58

今日の朝日新聞に浜田陽太郎(社会保障社説担当)が「精神医療から見える社会」を書いている。

そこで、ジャーナリスト武田徹の著書「『隔離』という病」を紹介している。ハンセン病患者を差別する法律が戦後50年余りも生き延びてきた背景として、日本社会に宿る「排除し、隔離し、忘れてしまう三段ロケット式思考」があると言うのだ。

この著書ではハンセン病だが、精神科病院も同じ。そしてまた、誤解を恐れずに言うなら、児童養護施設乳児院もそうだと思う。

以前、このブログで、『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』を紹介したことがあるが、構造はまったく同じだ。イタリア精神病院をすべてなくして、地域医療センターを充実させた。日本は精神病院精神科病院と名称を変えて、そのまま残っている。世界のベット数の2割を日本の精神科病院が占めると書いてある。精神病院大国なのだ。

それだけではなくて、日本はあらゆる分野で施設大国といえる。そして、そこで果たしている役割は、上記の三段式のロケットなのだ。

知人のNHKのディレクターがハンセン病施設のドキュメントを作って、とてもいいものだったが、施設主義の問題として気づくことまでできなかった。

さっそく「『隔離』と言う病」を図書館で借りてきた。日本と言う国の病を問いただしていくことがとても大事だと思う。

孤児院の悲劇孤児院の悲劇 2014/02/01 23:52 ジョルジェット・ムルヘア 「孤児院の悲劇」

http://on.ted.com/avxb

ずれているかもしれませんが、上記のスピーチと問題意識が少し似ているのかもしれません。

是非お聴きになってみて下さいね。

LeiLei 2014/02/02 07:10  自分は2つの児童養護施設で育ちました。どちらにも共通するのは集合住宅のある場所から離れているか、近くても、フェンスでしっかりとガードされていて、何か新興宗教の団体生活の様に見えていたらしいという感想でした。一般の人にとって、集団の人がいると、何の目的でそこにいるのか不安に思うという事でした。

 隔離されているかどうか思わなかったけれど、結果的には一般の人々との間に見えない壁が築かれていたのは確かでした。施設という形を残し続ける施設主義は、それこそゆりかごから墓場まで余すところなく残しているのがこの国の減じたと常日頃感じてました。
 
 この記事、興味深いと思いました。

LeiLei 2014/02/02 07:15  文章を打ち間違えました、失礼。

>施設という形を残し続ける施設主義は、それこそゆりかごから墓場まで余すところなく残しているのがこの国の減じたと常日頃感じてました。
 
 施設という形を残し続ける日本の主義は、それこそ、ゆりかごから墓場まで余す所なくあり続ける必要性があるみたいです。それで生活している職員もいるのは現実ですし。
 
 それがこの国の現実だと常日頃感じていたので、この記事を興味深いと思いました。私達施設全部育ちは社会的養護に戻らないように生きるだけで命を削って生きてるいる気持ちになります。

kino926kino926 2014/02/02 08:43 「孤児院の悲劇」さま、とてもいいスピーチでした。ご紹介いただき感謝します。乳児院から里親家庭に来る子どものなにかがヘンだとは感じているのですが、それをきちんと説明できないもどかしさをもっている里親は多いと思います。それなのに、保護された赤ちゃんはまず乳児院に、という考え方が今でも定着し、3000人の赤ちゃんが乳児院で暮らしています。お金の話もスピーチに出ていましたね。千葉県の公的乳児院の、1か月に一人の赤ちゃんにかかるお金は96万円。里親なら12万円くらいでしょう。どうしてこんな仕組みが続いているのでしょうね。もっと言えば、私はこの乳児院で平成14年に実習をさせていただきましたが、枕に哺乳瓶を立てかけて飲ませていました。後日、小児精神科の医者と話していて、こんな便利なやり方をしているんだよ、と話したら、「それは立派な虐待、ネグレクトだ」と言われました。実習と言うからにはいい見本を教えてもらえるのかと思っていましたが、悪い見本だったようで、それ以来、里親の実習は里親宅でできないかと思うようになりました。
また、Leiさま、当事者の立場から貴重な意見をいただきありがとうございます。施設批判をするとき、Leiさんの批判にならないか、いつもひやひやしています。Leiさんがそこで生きてきた事実を否定するわけではないことを分かっていただきたいと思います。
そして、施設を出て生きづらい思いをしているのであれば伴走者のような位置で力になりたいとも思います。Leiさんの経験をバネに具体的な活動を起こされるのでしたら、そうしたことへの応援もしていきたいと思います。
「施設全部育ち」、残念な言葉ですし、国や社会はそうした人々に償いをしなければならないと思っています。

孤児院の悲劇孤児院の悲劇 2014/02/02 12:43 名前の欄にスピーチの代名を書いてしまいました。
でも、このままでいきたいと思います。

下記の映画こ方が問題意識が近い(類似しているかもしれません)


むかしMattoの町があった 予告編・日本語字幕
http://youtu.be/KFzVyTlK5Fc

kino926kino926 2014/02/02 17:45 「孤児院の悲劇」さま、「むかしMattoの町があった」の予告編を見せていただきました。ご案内いただき感謝します。
http://lykkelig.exblog.jp/12134649/のスピーチもあわせて読みました。大熊一夫さんと言えば、先に紹介した「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」の著者でもありましたね。
犯罪や病気を理由に施設に入れるのは比較的簡単ですね。戦前の話ですが、私の家の近くに感化院があって、そこか西村さんの「お菓子放浪記」の舞台になったところです。身寄りのない少年は空腹のあまりつい店のお菓子を食べてしまいますが、それを理由に感化院に入れられるのです。犯罪とも言えない行動が収容する立派な理由になっているのです。
刑務所、精神病院を筆頭に、あらゆる生活型施設は三段ロケット構造になっていると思います。
「障害学への招待」と言う本のことも思い出しました。その中に紹介されている社会学者ゴッフマンの「アライサム」(291P)も全制的施設のメカニズムを的確に書いています。こんな具合です。「全制的施設の原理は、一般社会からの隔離と落差である。入所者は、施設に入ると同時にこれまでの生活との断絶を余儀なくされる。入所する前までは市民として当然自分のものであったもの(私物、財、職業、趣味、人間関係、生活史、自己尊厳、日常生活や人生の自己決定権など)を体系的に剥奪され、その結果、自己のアイデンティティは「辱め」られ「貶め」られ屈辱を受けると言う「無力化の過程」をたどるのである。施設のスタッフはこうして剥奪したものを、今度は「特権」として被収容者に与える権力を持つ存在になる。つまりそこで働いている力学は一般社会からの隔離を通したはく奪と、剥奪されたものを特権へと転化することである。限られた特権を独占するスタッフと、「無力化」された被収容者のあいだに、根源的な亀裂と上下関係が生み出される」(「障害学への招待」292P)。
あらゆる施設の構造を端的に言い表しているなあ、と思っています。