全日本選手権でフリーの演技をする高橋選手(昨年12月22日、さいたま市で)

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全日本選手権でフリーの演技をする高橋選手(昨年12月22日、さいたま市で)

 開幕したソチ五輪のフィギュアスケートに出場する高橋大輔選手(27)が9日、現地入りする。

 「ソチでは楽しんで下さい 父」「最後の夢に向って楽しんで おかん」――。高橋選手の地元・岡山県倉敷市の知人らが今回の五輪のためにつくった寄せ書きには、身を削って息子の夢を支えてきた両親の言葉も添えられていた。

 高橋選手は、とび職の粂男(くめお)さん(68)、理容師の清登さん(64)夫婦の四男として、倉敷市で生まれた。自宅は家賃3万7000円の平屋建ての借家。決して裕福ではなかったが、温かい家庭で育った。

 気弱で優しい4人兄弟の末っ子の「大ちゃん」は、小学校ではいじめっ子の格好の標的。友達のかばんを持たされ、よく泣きべそをかきながら帰ってきた。自分で解決させようとした両親は「また泣かされたの?」と言っただけで、あえて突き放した。小学2年から始めたスケートは、嫌なことを忘れられる「逃げ場所」だったという。

 その頃、広島市で世界選手権のエキシビションが開かれた。チケット代は1万円。清登さんは何とか家計をやりくりして、コーチに連れて行ってもらった。リンク代やスケート靴などフィギュアは費用がかかる。「正直、やめてもらいたい」と思ったこともあったが、「最高だった」と目を輝かせて帰ってきた息子を見て、続けさせる決心をした。

 清登さんは理容師の仕事が終わると、毎日深夜12時まで弁当店でのパートを続けた。大会の衣装は全て手作り。小学3年で初めて出た大会は、余っていた紫色の布でキラキラの衣装を作った。「派手すぎて恥ずかしかったんじゃないかな」。心配もしたが、高橋選手は文句一つ言わずに中学生まで手作りの衣装を着ていた。

 スケート靴は1足を大事にはき続けた。エッジと呼ばれる刃の研磨代を浮かせるため、粂男さんが油につけ込んだ砥石(といし)で研いだ。スケート経験はないものの、夜遅くまで練習を続ける息子に、身ぶりでジャンプの仕方をアドバイスした。

 「夕飯だけはみんなそろって」。それが家族の決まりだ。兄3人は、弟が帰宅する夜10時頃まで夕食をとらずに待った。スケート代を捻出するため、一家の食費は1日1500円程度。ぎりぎりの生活だった。

 高橋選手は高校からプロのコーチの指導を受けることになったが、両親がコーチに伝えたのは「義理を欠いたら、いつでもやめさせてください」のひと言。大会を見に行くこともなく、そっと見守り続けた。