2014-02-09 05:18:07

詐欺師の友達はペテン師

テーマ:高橋大輔
まー、もうええねん、こんなんどうでもって思った傍から新垣氏のお友達がイラっとさせるので、ちょっとぶちまけます。以下不快な内容なので読まないでスルーがおすすめ。


もうね、なんであの近代クラシック音楽家の人たちって

上から目線

なん?申し訳ないけど、みんなが可哀想、気が弱そうとか言ってた新垣氏のインタビューでも感じたけど。

あの人のお友達の音楽家の人のツイート見てるとほんまに腹立つ。


なんで、佐村河内が悪いだけで新垣は悪くないわけ?

共犯者やん。

ゴーストなんて誰でもやってる?

だから駄目なんじゃん。

みんながやってたから仲間はずれになりたくなかったのっていう学生が万引きで掴まって「みんなもやってたから」で通ると思うのか?

もしもゴーストが当たり前になってるなら
止める努力をしないといかんやろ。

おまけにこの人はそのゴーストとしても失格だ。
ゴーストは出て来てはいけない。墓場まで持っていかないと。
そういう事でお金をもらってるんだから。



さて、私が本当に不思議なのは、その近代クラシック音楽家というご職業の方々が、そこまで新垣氏を庇う理由なんだけど、この人たちの論調には一定の流れが有る。


近代クラシック音楽というものは、売れない。

そもそも、売ろうとしない。売れるという事=駄目な事である。という

意味の分からない論調。


佐村河内の音楽を散々コケにしていた人たちは、その作り手が新垣氏だと知った時、いきなり大好きな新垣氏作だからと言って掌を返す訳にいかなかったので、

良くはないけど、音楽としては真摯に作ってある。
大衆が好むこんな音楽を彼が表の顔で作る訳に行かないから、ゴーストなら納得。
こんな音楽なら自分達にも簡単に作れる。

的な

本当は凄い才能のある人が片手間に、けれども音楽家としての知識を最大に使って作った曲だから、ちゃらい音楽だけど本物である。

みたいな事をおっしゃってる。



ちゃんちゃらおかしいです。


この売れる物に対する極度の軽蔑。同じジャンルなのに自分達が高尚である的な上から目線。
ああ、どっかで見たことあるなぁって思ってたら、アレですよ。


パロディー同人誌を軽蔑する一部の偏ったオリジナル同人誌作家の皆さんのアレです。

彼らはオリジナルで書いているので滅多に売れません。売れてもパロディーを描いている人に比べれば雲泥の差です。

なので、彼らは売れなくても良い、自分が楽しかったらいい。自分のファンだけが喜んでくれたらそれで満足。描いていればいいのだからと言います。パロディなんか邪道、あんなの作品じゃない!ってパロディーを書いている人を見下す。
それだけならいいのですが、彼らは売れる事に対するアレルギーが激しいです。特にオリジナルを描いていた「仲間」が裏切ってパロディーに行く事を忌み嫌います。もはやそうなると仲間ではなくなります。縁を切っちゃいます。

中にはどっちもやってる人も居るし、そんな偏見を持ってない人も居ます。あくまでも私の知っている身近な例です。

この構図とめっちゃ似ていたので、驚いた次第です。

しかしね、彼らはいいですよ。アマチュアだもん。それでご飯を食べている訳ではない。しかし、

あの音楽家の人たちはプロなんじゃないんですか?
それで生計を立てているんじゃないんですか?
すくなくても「音楽家」であると言っているんだから、そうなんじゃないんですか?

それ以外でご飯を食べているなら、それはプロではないでしょう。

売れなくてもしゃーないなんて
プロなら口が裂けても言えません。いえ、言えない筈です。
もしも言うなら

この人たちは自称音楽家なだけの音楽愛好家です。


別に音楽家がみんなあんなだとは思いませんけど、あまりにもあの人の周りがそうなので

こいつらみんな同じ穴の狢なのね

って思った次第。
言ってしまえば、佐村河内と新垣氏のコラボを作った土壌はここにあるって事ですよ。


そもそも、あの人はなんでいきなりゴーストをやめようと思ったのか?

義手の女の子の為?
佐村河内に騙される人の為?
大輔さんの為?

違うでしょ。自分の都合でしょ。

もしも上3つが理由ならもっと早く告発していたでしょう。
最近になって知った?

ありえません。


だってこの人はそもそも佐村河内の音楽のゴーストをしていたのは
お金のためじゃなかったと言ってます。

最初はアルバイト感覚。売れない音楽家にはよくある事だとか。クレジットも入ってたし、この時点では問題はないのでしょう。

しかし、全聾の音楽家のゴーストになった時点で引き返すべきでした。だってそれはもう詐欺だもん。
でも、この人はそう出来なかった。

それは、たぶんこの人は

自分の作った音楽が世に広まり、人に愛され、大きなホールで名誉に塗れて演奏される事が楽しかったからです。


さっきの話に戻して恐縮なのですが、私の友人にオリジナルというか、漫画家になるために投稿していた人が居ました。彼女はある日ふとパロディー同人誌を出したくなったのです。当時とても売れていたジャンルで読者が沢山いました。彼女はちょっとだけのつもりでこっそりと本を出しました。

そこに現れた彼女は、技術はプロフェッショナル。切り口も斬新というその新鮮みが受けてあっという間にたくさんの読者を獲得しました。

彼女は言いました。
「今まで編集に怒られてばっかりだったけど、こんなに褒められて嬉しい」って。

彼女は次第に投稿をやめ、パロディー同人誌にのめりこんでいきました。


新垣氏も同じ心境だったのではないかと、文春の方でそれに近い事はおっしゃってます。だから、絶対に佐村河内の音楽がどう評価されるか見ていた筈です。その中でもオリンピックで使用されるというこの一大ニュースを知らない筈がありません。


だったら、もっと自分の名前でもキャッチーで売れる音楽を作ったら良かったじゃん。

って私らは思いますが、そこは彼の属している「近代クラシック音楽家」というカテゴリーが足を引っ張る訳です。

彼らにとってそんな音楽は ナッシング
そんな音楽を好んで作る人は あり得ない裏切り者 なのです。

今までの音楽家としてのキャリアをドブに捨てる様なものです。

私らは新垣氏の名前を

これっぽっちも知りませんが、一部では大変有名だったようで

そんな人が大衆受する音楽なんかを作るのは

絶対のタブーだったのです。


しかし、ここへきて
どういう理由で告白する事にしたのかは定かではありませんが

彼はゴーストをやめる決心をしました。

今がチャンスだったのです。


何故なら、彼は 被害者になれるいくつかの手段を手に入れたからです。


脅されていた事

義手の女の子が無理難題を押し付けられていた事

極めつけが高橋大輔がオリンピックで滑る事です。

これで、彼は最初はアルバイト感覚で始めたが、次第に脅迫され、大事な生徒の女の子にまで被害が及んだ。さらにオリンピックでその音楽が使用されては欺瞞がさらに広がる。そこで彼は勇気をもって自分の生活をなげうって告白をした。

という体裁が整った訳です。

彼は社会的に立場を失うでしょう。
しばらくは世間に騒がれるでしょう。

しかし、インタビューにもありました通り、仲間と一緒に音楽活動を続けたいと言ってます。この音楽活動はキャッチーな大衆受けする音楽ではもちろんありません。

近代クラシック音楽です。そして、仲間というのはあの近代クラシック音楽家の面々の方でしょう。

元々金にならないもんだから、今更名前が傷がつこうがどうでも良い訳です。
あの記者会見は、けして世間に対する申し開きだったわけではなく

仲間内に対するアピールの場だったのです。

僕は裏切り者なんかじゃない。もう止めた。だからまたみんなの元に帰って今までの生活をしてもいいよね?

ってなもんです。本当に彼は自分が書いていると名乗れなかった訳です。佐村河内はある意味そこだけは間違った事は言ってません。

呆れるのは、それに載せられ「ウェルカム」なあの人たちです。
まんまとこのペテン師に騙されちゃってます。

おまけに佐村河内を散々叩いてたので、その音楽がいいとは言えないもんだから「片手間に作ったからかあ、だから作りはいいのに内容は駄目なのね」とか言ってます。

片手間に愛する音楽を作る人が本当に良い音楽家で先生なのか?
まあ、ゴーストしてるって自慢していう良い先生はいないと思いますけどね。
それとも居るの?

それにね、あれらの作品群、本当に片手間でしょうか?

私は違うと思います。

彼は全身全霊を込めて、あのキャッチーな音楽を作ったと思います。

何故なら、彼の音楽が消費されていくのが快感だったから。

クリエイーターと呼ばれる人間はですね、それこそ、その近代音楽家の面々も含めて、自分の作り出したものがクソだと思う人は居ません。たとえ、口でどれほど己の作品を卑下する人でも。こんな下手で困っちゃうって言う人でも、心のどこかに

でもこれは自分にしかできない、素晴らしい作品

って想いが無ければ、無から有を作り出す事に膨大なエネルギーを注ぐ事など不可能なのです。

本音は沢山の人の見て欲しい、賞賛されたり、愛されたい なのです。欠片もそれなくして作品を生み出すなんてあり得ない。たった一人で画面に向かって書いていたとしても。

ええ、言ってしまえば今私がここに書いているこの文章でさえ、誰かに賛同を募る気持ちがある意味力になって書かせているのです。

だから、その佐村河内の作品を作る事に熱心じゃなかった筈がないのです。

あの人たちからしたら、そう思わざるをえないのでしょうが、きっと心底楽しく作っていた筈です。オリンピックで披露される事に喜びを隠そうとしなかった

あの卑しい発言を思うといっそう確信を持ちます。


しかし、この3つの被害者要因。本当にそうでしょうか?

脅されていた事。自殺する?あの詐欺師が?ありえません。ああいう人は絶対にそんな事はしない。今ごろ髪切ってグラサン外して杖もたずにどっかに逃げてんじゃないですか?

義手の女の子の事。
まずもって私が許せないのはこの子を理由にしている事です。大事な生徒だったなら、なぜこの子の曲を作ると言われた時に止めなかったのか?その時止めていればこの子も傷つかなかったし、大輔さんがソナチネを滑る事もなかったのです。
この曲を作った時点では、この義手の女の子は新垣氏にとっては、単なる生徒の一人で大して大事じゃなかったんじゃないか?って言われても仕方なくないですか?
それを今更理由にするのは、たんにそれが都合が良かっただけです。


そして、大輔さんの事。
彼が滑ると発表したのは7月。NHKがアホみたいに対談をセッティングしたのは8月。GPシリーズが開幕したのは10月。

知らなかった訳ないやろ。あれだけ、日本コロンビアが大騒ぎしてたやんか。

それをこの時期に発表した事については、恨みしかありません。何故今だったのか?いつからタイミングを計ってたのか?

オリンピック前に文春が発表するってタイムテーブルを承知したのは何故?

滑ってくれる事が嬉しい?は?

今更変えられないでしょ?意味がわからない。こんな試合の1週間前になって、どうやって変更するの?

そのまま滑るしか選択肢がないんだよ?ばかじゃないの

大輔さんがソナチネの音楽を「綺麗な曲だから」って選んだのはファンには知れ渡っている事だし、正直佐村河内の「戦いの曲です。命がけでウンタラ」に嫌悪を示していたファンが多かった。
皆声を揃えて「大輔さんが思った通りに滑れば良いんだよ。気にしちゃだめだよ」って言ってた。あの対談の後、私は日本コロンビアの佐村河内のフォローは外したし、RTされてくるのを読むのもイヤだった。今月出た家庭画報の佐村河内のインタビューで自分の話を聞いた後に大輔さんの顔つきが変わったって書いてあるのを見て「えー。困惑してたやん」と思って読んでました。

あの曲を聴いて「綺麗な曲だから、最後には希望が有る」と言い続けた大輔さん。自称作者の佐村河内が「戦いの曲だ」と言い募った後も、けしてそこを曲げようとはしなかった。私たちが求めた様に「自分で感じたまま」を目指してくれた。
でもあの対談番組で彼は「そうしないといけないのか?」と困惑してました。

曲の本質を一番見抜いていたのは
彼らが嗤い愚昧の群衆とみなしている一般大衆が愛する国民的スターの大輔さんの方です。

あのえらそぶった近代クラシック音楽家の面々が「佐村河内の作った曲なんて」と蔑んでいた曲の本当の実力を見抜いていたのは、大輔さんと曲を選んで持って来た宮本賢二です。

あの人たちは彼らにはるかに劣る耳をしている訳です。

そんなあの人たちが、ウェルカムしている状況。傷を舐め合っていればいいやんけっと思ったりもしましたが、あの人がまた日の当たる所で音楽を続けるというのが理解出来ません。

大輔さんにとってこれは最後のオリンピックです。
アスリートってのは2度死ぬんです。一回は普通に人として、もう一回はその過程でアスリートとしてです。

彼はもう最期の時間を過ごしていたのです。
彼の事をよくよく理解している宮本賢二と最期の1年を、この美しいと思った曲に込めて

万感の願いを込めて、全日本での色々のあった後、沢山の人の気持ちを含め、自分の最良の時間にしようと、今度こそ万全の準備をしようと、

あのヴァイオリンの為のソナチネを作っていたのです。

彼はまだたった27歳です。あの音楽家たちが生きながらえて80やら90やらまで音楽活動を細々続けるたった3分の1くらいの年齢で人生の一番輝かしい舞台から降りるのです。

その為の、2曲のうちの1曲にはかりしれない傷を付けたのです。

もしも、あの曲が使えなかったら。
たった1週間ではどうにもなりません。
去年のを滑ればいいなんて連中はこの世から消えてなくなってしまえ。

1月にプログラム変更しただけで、昨シーズンあんなに苦しんだのに。
出来る訳が無い。


苦しくても、大きな傷がついても、大輔さんはオリンピックで「バイオリンの為のソナチネ」を滑るしか無い。

その事に、どれほど沢山の人が奔走したか。
どれほど沢山の人が傷ついたか。
どれほど沢山の人に迷惑がかかったか。

優しい大輔さんとそのチームの気持ちを考えると腑が煮えくり返ります。

それに、

あの高橋大輔のソチのプログラムを作るって事を誇りに思っていた、日本が誇る振付け師の宮本賢二のプライドと心をどれだけ踏みにじったか。

あの人達が、その事に一切の想いを馳せないのが許せないのです。


もしもオリンピックでこの曲が使えなかったら。
大輔さんはもう試合に出られない。
こんな事態になったら現役も続けられない。

こんな哀しい出来事でアスリートとしての人生を強制終了させられるのです。

いわば

人殺しです。
幸い、ソチで滑る事はできるようなので、敢えて言うなら殺人未遂です。

せめて、あの人が「自分勝手で申し訳ないが、どうしてもオリンピックに佐村河内の名前で滑って欲しくなかったのだ。」と言えばまだ我慢できたのに、いかにもそれが高橋大輔の為だと言い切った、あの男の傲慢さに、それに気がつかないあの人のお仲間に

吐き気がします。


あの人たちは、彼は音楽に真摯に向き合ったと言います。

違います。彼は音楽を弄んだのです。

彼の属する近代クラシック音楽の世界を手放さず、沢山の人に賞賛されたい欲求を満たしていたのです。

コウモリ野郎ですよ。

そんなペテン師をよくもまあ、もう一度迎え入れようとするもんだと呆れるばかりです。

まあ、いいです。
あの人たちの勝手にすれば良い。

だけど、私は忘れないし、
あの人がこれからちょっとでもこの事件以外で名前が出たら

「ペテン師がまた何かやってるぞ」って書くし、これからずっと見てる。


それにね、一度スポットライトを浴びたら忘れられないもんです。

あの人は、自分の音楽が売れた想い出だけを抱いて生きていこうと思ってるのかもしれませんが、そうそう上手くいくかどうか。

もしも、あの人が「佐村河内の名前でならあれだけの人が自分の曲を聴いてくれたんだから、今度は自分の名前でも」って出したとして

果たしてあんだけ売れるでしょうか?

残念ながら、断言できます。
スキャンダラスな売り方をするならともかく、質の良い素晴らしい音楽として同じだけの賞賛を浴びる事は無い筈です。

何故なら、あの賞賛は「目の見えない作曲家が苦悩しながら書いた作品」だったからこそだからです。


あの中の一人が自分だってすぐに作れるって言ってましたけどね、じゃあ、それが佐村河内のあれより売れるかって、絶対そんな事ないと思いますよ。

それこそ、やればできる、じゃあ、やれよ です。

佐村河内がゴーストライターだったと知れ渡った時に面白いツイートがありました。

耳が聞こえるなんて酷い!良い曲だと思ったのに!

これって変じゃないですか?
そうです。この人たちは「耳の聞こえない人が作った曲である事」に感動していたのです。けして曲自身を愛していた訳ではなかったのです。少なくても、そういう理由であの音楽を聴いていた人は沢山居る筈です。

そして、新垣氏にはそれはないのです。

もう一つ、面白い事に、新垣氏が請け負ってない仕事が進んでいたフシがあります。東北の合唱曲は知らないと言ってました。

私は、もしかしたら、これが耐えられなかったんじゃないかなって思ってます。

佐村河内の音楽は新垣氏の作品だった。その賞賛も愛も全て本来は新垣氏に捧げらたものだった。それが違うゴーストの作品が加わる。

それが同じ様に賞賛されるとしたら…

新垣氏の音楽に対する賞賛など何も無かった事になるでしょう。そして、そうなりそうだった事を彼は一番恐れた気がします。

その前に自分で幕を下ろしたかったんじゃなかろうかと。


でもね、間違いなくそうなったと思いますよ。

本日熊川さんと修三さんの対談を見ていて、熊川さんが観客を育てるって話をしていました。バレエを観るという土壌を作らなくては根付かないと。

クラシックにそういう努力が足りてなかったから、みんなそろいも揃ってあの詐欺師に騙されたんですよ。

米ニューヨークの青少年合唱団の関係者からは、驚きとともに、「音楽の美しさに変わりない」との声も聞かれた。

ってニュースが入って来た時に、日本にはまだ全然クラシックを聴く、聴かせる土壌が出来てないんだなって思った。

フィギュアスケートでも、シングルの選手の技とかは分かるけど、ペアとダンスはまだまだ知名度も低いし、正直どれが凄いのか分からない事もある。フィギュアの観客だって、いやフィギュアの文化だって、まだまだこれからなんだ。

そのこれからの担い手になる筈の高橋大輔の未来を
こんな自分達の観客も育ててない、クラシックは偉いのよみたいにお高く止まっている音楽愛好家どもに潰されるなんて

まったくもって許せない話だと思う。


結局「目の見えない音楽家の作った作品だったから素晴らしい」って礼賛していた一般大衆と「佐村河内なんて音楽家が作った作品なんてクソだ」って言ってた音楽家の皆さんは

何処が違うんですかね?私は一緒だと思うけどな。


まあ、いいさ。

あの人たちが閉ざされた自分達だけの世界で細々活動しようとも
日の目をみないのであれば

サークル活動みたいなもんだしね。

詐欺師のお友達はペテン師だし、仲良くやっていればいいよ。まったく。
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