‡ 新・大野節 ‡

「自分に甘くて他人に厳しい」ネットの迷惑学会員はた京阪氏の約束違反を批判するブログ

いまだにわからないこと

さて本日最後の記事を投下します。

 

ちよさんが告知して下さったこともあり、本日は当ブログに400近いアクセスがありました。いささか数の多さに驚いています。この流れは明日も変わらぬでしょう。

 

初めてご覧になった方の中には、私の激越なアジ演説ぶりに驚き、目を白黒させた方もいらっしゃるかも知れません。

 

別に私は誰かに分かってもらいたいとか、誰かの支持を得たいと思っていませんし、何かあればHNごと捨て去って消え失せるという荒業が出来ますから、どういう結末を迎えても良いと考えています。

私に反応してもしなくても、どちらに転んでも、こちらに決定的な痛打を与え得ぬ「はた京阪」氏の名声は下がり続けるから、私は何も困らないのです。

 

本日は、大量の文章を書きまくったこともあり、疲れました。いかんせん、年齢からくる体力の衰えはどうしようもないです。(笑い)

 

いま、ふと、未来部時代の担当のお兄さんを思い出しています。

お兄さんは私に「どんな事があっても創価学会の同志を敬い大切にしていきなさい。同志がいじめられていたら真っ先に駆けつける強さと勇気を持った大人になりなさい」と言っていました。

 

私は、書けば書くほどわからなくなるのです。
ご存知の方がいたら、ぜひ教えて欲しい事があります。

 

創価学会員が、インターネット上でブログを用いて自由な発言をし、顔も見たことのない人々と和気藹々と過ごすことはいけないことなのでしょうか?

 

‡「言論の自由」の名の下に、自分の名前がネットに晒され、否応なく相手側に巻き込まれていくことは止むを得ないことなのでしょうか?

 

‡自分の所属組織の地区部長や支部長でもない人間から、自分の信仰態度や活動への姿勢を罵られ笑い物にされ、誹謗中傷の言葉を投げつけられることは創価思想に反しないのでしょうか?

 

‡自分のIPアドレスやブログに書き込んだ内容などをストーカー並に収集され、個人情報を特定された上でネットにさらされるのは、自業自得だと言えるのでしょうか?

 

私は未だにわからないです。

 

はた京阪氏が批判する「にほんブログ村」住人の振る舞いには、もしかしたら批判される余地があるのかも知れない。
しかしそれは人倫への叛逆や触法といった、重大な破仏法行為ではありません。

 

あべひ氏のように、いかに表面的な「正義の言論」をかざそうとも、犯罪まがいの行為に及ぶ人間は厳しく批判されるべきであり、その批判なくして、京阪氏の言うような「建設的な議論」など成り立たないというのが、私の当初から一貫する主張です。
これは、今後も恐らく変わらないでしょう。

 

未来部のお兄さんがこの文章を見たらどう思うか。
お元気であったら聞いて見たかったです。

‡大野武士拝‡