三越伊勢丹、大阪撤退の敗因~高島屋ら関西連合の執念で人気商品扱えず、伊勢丹流も不発

2014.02.06

 加えて、人気ブランドを集められなかったことも苦戦の大きな要因となった。梅田地区のライバル店が、高級ブランドのテナントに大阪三越への出店を控えるよう強く求めたのが大きかった。先頭に立ってこの動きを進めたのが、高島屋の鈴木弘治社長だったとされる。

 鈴木氏と伊勢丹の因縁は深い。長年、高島屋は百貨店業界のトップだったが、伊勢丹が名門・三越を救済するかたちで経営統合して08年4月にできた三越伊勢丹HDに、業界トップの座を奪われた。当初、三越救済の話が持ち込まれたのは高島屋。だが、高島屋東京店と三越本店はともに東京・日本橋にある。重複店舗をどうするかという検討に手間取っている間に、三越は方向転換し、伊勢丹に経営統合の話を持ちかけた。

 メインバンクは三越が旧三井、伊勢丹は旧三菱で、高島屋は旧三和。最終的に三越と伊勢丹が手を握ったのは、メインバンクである旧財閥系の金融機関同士の絆が強かったということが影響したといわれている。関西の百貨店幹部は「鈴木社長にしてみれば、トンビに油揚げをさらわれたという心境でしょう。以来、鈴木さんにとって伊勢丹は不倶戴天の敵となった」と明かす。

 その三越伊勢丹HDが、高島屋のホームグラウンドである関西に殴り込みをかけてきたわけだ。当然のこととして鈴木氏は大阪三越封じ込めの実力行使に出た。阪急阪神百貨店を擁するエイチ・ツー・オー(H2O)と11年までに経営統合するとぶち上げたのだ。高島屋は96年、伊勢丹の聖地である東京・新宿に新宿店を開業したが、思うように売り上げが伸びなかった。伊勢丹本店の圧力で、ファッション分野での品揃えで見劣りするという当初のつまずきが響き、高島屋新宿店は慢性的赤字から脱却できないでいた過去を持つ。

 前出の関西百貨店幹部は、大阪三越の敗因について次のように分析する。

「大阪で圧倒的な力を持つ高島屋と阪急が手を携えて圧力をかければ、有名ブランドが大阪三越に出店するわけがない。高島屋と阪急ににらまれたら、大阪では商売ができないからだ。開業前の攻防で、高島屋=阪急連合が大阪三越の出鼻をくじいた。大阪三越が有名ブランドを集めきれなかった時点で、勝負はついていたのです」

 高島屋は新宿の仇を梅田で討ったのだ。高島屋は10年3月、H2Oとの経営統合を白紙撤回した。破談は百貨店業界では織り込み済みだった。

●崩れるJR神話

 大阪三越の実質上の大阪撤退で「JRの駅に直結する百貨店の独り勝ち」という神話が崩れた。これまで各地の流通地図を塗り替えてきたのは、JRの新しい駅ビルに進出した百貨店だった。その嚆矢が1997年にJR京都駅ビルに開業したJR京都伊勢丹である。年間売上高で京都が発祥の大丸京都店とほぼ並ぶまでに成長し、地域一番店の高島屋京都店を追っている。2000年開業のJR名古屋駅ビルに進出したJR名古屋タカシマヤの売上高は、日本で最も歴史が古い老舗百貨店の松坂屋名古屋店(旧・松坂屋本店)に迫る。

 劇的な変化をもたらしたのが、北海道の札幌。03年にJR札幌駅に進出した大丸札幌店は札幌地区でナンバーワンの百貨店になった。広い商圏からの集客が可能なJRの駅に直結した百貨店の強みを、まざまざと見せつけた。

 今回の大阪三越の失敗が、今後の百貨店業界にどのような影響を与えるのか、業界内の注目が集まっている。
(文=編集部)

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