「平和の像」(悲劇の英雄バージョン) 後編
作:冷凍石
肌から滲み出る体液で身体をぬらぬらと濡らしながら、朦朧とした意識の中、美姫は苦しそうに喘いでいた。
「ゼーハー。ゼーハー。こっ、こんなもの、なんともありませんわ。む、無駄ですからおやめなさい。」
身体を小刻みに震わせながら、美姫は精一杯の強がりを見せていた。しかし、その姿態は責め手側の嗜虐心をくすぐる効果しかあげていない。
「どう?石化が進むに従って、肌が敏感になっていくでしょう。そして、くすぐったさが増していく。それが更に石化を促進し、フフフ、あんたにとっては悪循環ねえ。」
女のしなやかな指が、美姫の肋骨の形を確かめるように這いずり回っている。
「ひっ、ひっ、ひん。」
呼吸すら困難になり、苦しさに表情を歪める美姫。『窒息寸前まで追い込まれては休憩』の繰り返しが延々と続けられ、美姫の顔は汗と涙、涎、鼻水でグチョグチョになっていた。
「フフフ、男達は興が醒めるからといちいち顔を拭いていたようだけど、あたしはそんなことしないわよ。ああ、汚い。性根の腐ったあんたには、相応しい姿よね。」
体液でドロドロに汚れた顔に、女は唾を吐いた。
「子供を産めない体にされた恨み、永遠に忘れないわよ。あんたが石像になってもね。」
頬で垂れる唾を一瞥し、美姫はくすぐりに耐えながら女を睨み付けた。
「うっひっはふう。ああ、はあはあ、あなたの事は覚えていますわ。あれは面白い見世物でしたからねえ、はあはあ。まさか、あれを…。」
「うるさい!!だまれ!!だまれ!!だまれ!!だまれ!!」
美姫の細い首に、女の両手が食い込んでいく。空気を断たれた美姫は、見る見るうちに顔を青ざめていった。
「かはっ、うっうっ、くふう、んんんんんん…。」
「そこまでだ。」
女の手首を何者かが強く握り締めた。
「ああ、カイン様。」
「お前の気持ちは理解できる。痛いほど理解できるが、この女はおまえだけの物じゃないんでな。もう、それぐらいにしておいてくれないか?」
「も、申し訳ありません。つい…。」
優しく、それでいて有無を言わさぬカインの言葉に、女は首から手を離してガックリとうな垂れた。そして、再び美姫に目を向けることなく、失意のまま舞台を降りていった。
くすぐり手の交代時だけが、罪人に与えられた唯一の休息だった。
美姫は責めが再開されるまでの間、疼く身体を持て余しながら常にカインを睨み続けていた。
姉弟と思われる子供二人が、痙攣を繰り返す美姫をくすぐっている。
「ひゃは、ははは、やめ、おやめなさい。やめ、えっ!!」
ピシ!!
硬い石に罅が入るような耳障りな音が、美姫の鼓膜を振るわせた。その音はくすぐっている子供達にも聞こえたようで、小さな指の動きが一瞬止まる。美姫はそれにも気付かず、自分の身体を必死に見回していた。最後に頭上を見上げた時、美姫は小さく息を飲んだ。
「小指が…。」
「きこえたよー。体が石になっていく音。お姫様、もうお終いだね。」
「あっ、左手の小指が石になってる。でも、高すぎてよく見えないや。」
目ざとく石になった小指を見つけた子供達だったが、その手は頭上高く持ち上げられており、眺めることすら侭ならない。二人はなにやら相談を始めた。
「おもしろくないね。」
「ホントにね。」
「ねえねえ?じゃあ、もっとくすぐれば、足の指とかも石になるんじゃない?」
「あっ、そっかー。」
「いやー!!やめなさい!!そなた等、やめてくれるのであれば、なんでも望みを叶えましょう。」
聞き捨てならない言葉に、美姫は強い口調で話へと割り込んだ。姉弟は一瞬顔を見合わせたが、真剣な顔で美姫を見つめた。
「じゃあ、お姫様は、父さんを返してくれるの?母さんを返してくれるの?」
「ねえどうなの?お姫様は偉いからお姫様なんでしょう?すごい力を持っているから、お姫様なんでしょう?だったら、もう一度、お父さんに会わせてよ!!お母さんに会わしてよ!!」
「そっ、それは…。」
邪気のない澄んだ瞳に射抜かれ、美姫は言葉を言いよどむ。
この世界では、死者を呼び戻す方法は伝説の中にしか存在しない。ましてや、王家に生まれたというだけで今の地位を得た美姫が、その術を知るべくもなかった。
「なんだ、さっきから偉い偉いって言ってたけど、何もできないじゃない。」
「偉いってどんな意味があるの?高貴な人ってなにが高貴なの?何の意味もないんじゃないか!!」
子供達の手加減のない鋭い言葉が、美姫の胸に突き刺さる。美姫は目を逸らせながら、消え入るような声でおずおずと声を掛けた。
「そ、それ以外なら、何とかできると思います…。」
「じゃあ、2番目のお願いを叶えてくれるー。」
「お姫様にしかできないことー。」
「いいですわ、何でもおっしゃって。」
先ほどとは違う無邪気そうな子供達の笑みに、美姫は幾分緊張を解いて聞き耳を立てた。
「やったー!!じゃあね、このまま石像になってくれる。」
「お姫様が石になるのが僕等の望み。お姫様が嫌だといっても石になってもらうけどね。」
「ヒッ!!」
子供達の瞳を覗き込んだ美姫は、そこに宿る邪悪な炎に息を飲む。しかし、それも一瞬で、すぐに無邪気な笑みに取って代わられていた。
「そういうわけで、くすぐり再開!!」「再開!!」
二人は美姫の足をそれぞれ取り、姉は右足首を抱え込んで土踏まずを、弟は左足の太腿から脹脛にかけてを捏ね繰り回し始めた。
「やめ、やあははははは、そこおおおおおおおほほほ。もういやあははははははは。」
ピシ、ピシピシ。
弾けるような音と共に、美姫の肌が少しずつ石の灰色に染まっていく。それは布が水を吸い上げるように、手足の先からゆっくりと広がろうとしていた。
美姫はくすぐったさを必死に我慢しようとしたが、これまでのくすぐりで開発された神経は過敏に反応してしまう。悉く自分の意思を裏切りつづける己の肉体に、美姫は笑いながらも歯軋りしていた。
程なくして、子供達の思惑どおり、美姫の左足の小指が音を立てながら石に変わっていった。
「これが、石になった指か。ホント、そのまんま石になってるね。」
「おもしろーい。指紋や皺までキッチリ石になってる。」
「ねえ、お姫様。足の指、痛い?ねえ、痛い?ねえ、痛い?ねえ、ねえ、ねえねえねえねえねえ!!」
少女が石になった左足の小指を手に取り、玩具のように弄り回している。くすぐりから開放され荒い息をついていた美姫だったが、繰り返される質問に耐え切れなくなり半狂乱になって答えた。
「うるさいですわ!!痛くなどありません!!それどころか、何も感じません!!お願いですから、もうやめてください。十分でしょう。ねえ、お願いしますから…。」
尻すぼみになる美姫の叫び声に、子供達は無邪気に笑い合う。
「なんだ、ちょっと表面が石になっただけで泣き言、カコワルイ。もっとねばってよう、お姫様。」
「そうだよ。これからが本気なのにねえ。」
「今は亡きお母さんに仕込まれたピアノの腕を、お姫様の身体で思い存分発揮するんだから。」
少女の指が、まるでそれぞれが別個の生き物のように動いている。
「姉ちゃんの演奏、久しぶりだな。あの日以来だね。」
「そっか、あの日以来になるのね。」
「もう、おやめになっ、ひゃあはははははははは…。」
少女の指が、美姫という楽器を得て、美しい音色を奏で始めた。
相変わらず広場は人で溢れていた。そして、相変わらずその中心に美姫はいた。
永遠に続くかと思われた順番待ちの列も消え、今や台に上がる二人組みの男女だけとなっている。微かに悲鳴を上げながら、美姫は灰色に染まった肉体を晒していた。
美姫をくすぐっていた最後の男女が降り、代わってカインが彼女の目の前に立った。くすぐりの順番を待つものは既にいないが、民衆達は美姫の最後を見ようと誰一人去ろうとはしなかった。
「最後の相手は俺だ。もっとも、生身のところはもう僅かなようだがな。」
虚ろな瞳が、ゆっくりとカインの方を向く。その目はカインを捕らえているはずだが、何も映してはいなかった。瞳に渦巻くのは恐怖、笑うことに対する恐怖だけだった。
美姫はカインの指示によって、石化が肌に現れた直後からその姿勢を調整されていた。両腕は天へ何かを掴むように伸ばされ、その指は何かを掴み取るように開かされている。両足は肩幅大に開かれ、真っ直ぐに伸ばされていた。腕を固定していた縛めは取り払われていたが、石化の進行が著しく灰色の硬い肌は二度と動かせないだろう。太腿と脹脛は、笑いの影響だろうか、筋肉が強張ったまま石化していた。引き締まった小振りな尻から背中にかけても石と化しており、生身として残っているのは豊満な形のよい胸、脇の下、首から上にかけた頭部だけとなっていた。生身と石化部の境界は、互いの色が溶け合い絶妙なコントラストを醸し出している。
「どうかな、罪に対する罰を十分に味わってもらえたかな?反省を感じさせる良い表情になっているようだが。」
「…。」
手の平に納まりきらない双球を惜しむように揉みながら、カインは反応の薄い美姫に話しかけた。
「とにかく、いよいよあんたも最後だな。このままくすぐり続ければ、あんたは感覚を失いつつ夢見心地のまま石になれる。笑い地獄から開放されるわけだ。まあ、あんたも短時間だったが、十分罪を償ったと思うよ。これは石像と化すあんたへのせめてもの手向けだ。さあ楽にしてやろう。」
あまりに意外なカインの言葉に、美姫は目を見開いた。そして、それはその場にいた他の者にとっても同様だった。
「ブーブー!!」「そいつを許すなー!!」「俺達を裏切るつもりか!!」「慈悲などかけるな!!」「そいつの仕打ちを忘れたか!!」
周りを取り巻く民衆から非難の声が叫ばれる中、カインはそれらを無視して美姫の脇の下をくすぐった。悪夢のような時間が終わることに安堵したのか、美姫はくすぐったさも忘れ、穏やかな笑みを浮かべて目を瞑る。美姫の頭頂から幕が下りるように肌の色が変わり、腰まで伸びた美しく輝く髪もその毛先まで灰色の波に飲み込まれていった。それは女神の微笑と称しても大袈裟ではないほど、穏やかで美しいものだった。
ポイントである顔が理想の状態になったことを確認し、カインは一旦くすぐるのを止めた。美姫の胸が不安げにプルンと揺れる。
「くっくっく、『楽にしてやろう』か…。俺が本気でそんなことを言うとでも思ったか?あんたのような悪女には、未来永劫苦しんでもらわなくては。それと、あんたには、我々、そして子孫達の目を、平和の像として楽しませてもらわなくてはならないからな。それには怯えた表情はうまくない。そのための演技だよ。おかげで、いい表情になった。」
未だ石にならずに残っている美姫の豊乳が、引き攣るようにプルプルと揺れ始めた。小動物が猛獣を前に怯えるように次第に震えが大きくなる。
「どうやら、俺の声がまだ聞こえているようだな。いい反応だ。」
恐怖で震える右乳首を指先で軽く弾き、カインは満足そうに微笑んだ。
「それでは、本当の仕上げに取り掛かろう。さすがに見ることはできないだろうから詳しく説明するが、今俺の懐には2本の注射器がある。どちらも同じ薬液が入っているんだが、こいつをあんたの震えている乳首に一本ずつ打ち込むことにより、回りの組織が石化したことで一時的に眠っている全身の神経が一斉に目を覚ます。神経は目覚めることにより石化をはじめ、肉体とは別の材質の石に変化する。石と化した肉体と神経の接点では、常に反発が起こりつづけ、あんたはこれまで以上に凄まじいくすぐったさを感じることになるだろう。そうそう、石になっても死ぬわけじゃあない。簡単にいえば違う物質に置き換えられるだけだ。これまでとは異なる方法で、全身でくすぐったさを堪能することになるんだろうな。詳しくはよくわからないが…。とにかく、あんたが石であるうちは、それを体験しつづけるわけだ。」
懐から取り出した注射針の先でピンクの頂きをツンツンと突付き、その反応を楽しむカイン。針先を逃れるように常に位置を変える突起へ、執拗に刺激を与えつづけていた。
「待たしちゃ悪いからな。説明はここまでだ。」
震えつづける右乳首に狙いをつけると、カインは何の予告も無く手に持った注射器を突き刺し、謎の液体を注ぎ込んだ。そして、続けて左乳首にも同様に注入する。
最初はただ震えるだけだった美姫の胸が、ジンワリと灰色に染まり、震えで形を微妙に崩したまま石と化してしまった。
「くっくっく、性悪女のあんたが平和の像か。我ながら、なかなか皮肉の効いたジョークだな。」
両足を肩幅大に開き、両腕を天に伸ばして笑みをこぼす石像と化した美姫。
ザワザワザワ
その生身の時と同じ、いや、その尊大な態度がなくなった分、今まで以上にその美しさが際立つ美姫の様子に、民衆達は驚きを隠せなかった。
完成したばかりの『平和の像』を、カインは満足げに眺めていた。しかし、その表情は次第に強張っていき、崩れ落ちるように膝を着くと両手で顔を覆った。
「虚しい。なんと虚しいことか。仇であるこれがいくら苦しもうとも、愛しい人は帰ってこない。私の胸にぽっかりとあいた穴も埋まらない。もう一度、君の声を聞きたい。」
溢れ出る涙を拭おうともせず、カインは天を見上げ絶叫した。
「ナターシャー!!」
苦悩の叫びが広場に響き渡る。美姫の最後と新たな芸術品の出来栄えを見ようと集まった民衆は、悲劇の英雄にかける言葉を知らず、ただ見つめることしかできなかった。
…というお話じゃ。」
「悲しいお話だね、おじいちゃん。」
「そうじゃな。復讐は、それを遂げた本人に何も与えてくれなかった。憎しみからは、なにも得られなかったんじゃ。」
「ふーん。ねえ、おじいちゃん。その後、カインさんはどうなったの?」
「英雄は革命を果たした後、周囲が引き止めるのを振り払い、一人どこかへと立ち去ったそうじゃ。」
「そう。辛かったろうね。カインさん。」
「じゃがな、ボウズ。復讐をした本人は何も得られなかったが、その他大勢の民衆は宝を得られたんじゃ。」
「えっ、それは何?」
「それがあの像じゃよ。石の中では未だに美姫が苦しんでおるじゃろうが、民衆は美しく細部に渡って作りこまれた裸婦像を手に入れたんじゃからな。」
「ふーん。でも許せないよね。石になっても悪いお姫様は生きているんでしょう?一応。」
「まあな。あの女にとって今の状態は、身動きが取れず眠ることも気が狂うことも侭ならない状態じゃ。目も耳も肌も石になっているから外からの刺激はなく、体内から湧き上がるくすぐったさしか感じることしかできない。しかし、哀れではあるが同情はできんな。」
「あんなに綺麗なのに、最悪だね。」
「ああ、まったくだ。なあ、ボウズ。この話、そして、悲しい英雄のことを忘れてはならんぞ。今のワシらが暮らせるのは、先人達のおかげだということを忘れてはならん。」
「うん、僕、絶対に忘れない。」
「それから、あの像へ悪戯してもいかん。あれは確かに元は悪人じゃが、今は我々の目を楽します芸術品じゃからな。中の人がどう思っとるかは知らんが、ワシらにとっちゃあ大切な宝じゃ。滅多なことで傷は付かんらしいが、万が一にも壊したりしたら、子供とはいえ重い罰を受けることになるぞ。」
「うん、わかったよ。ねえ、おじいちゃん。この話、友達に教えてもいい?」
「ああ、いいとも。いろんな人に伝えるんじゃ。ボウズが大人になったら、嫁さんや子供にもしっかりと伝えるんじゃぞ。」
「えー、よくわかんない。けど、約束するよ。」
「よしよし、約束じゃ。」
Fin