【THE仕事人】小俣 智子さん
小児がんネットワーク 『MN(みんななかま)プロジェクト』代表
中学生の頃のマイブームは闘病記。 いろんな闘病記を読んでいたら、13歳のときに自身が急性リンパ性白血病を発症した。 大学2年で治療を終えた後も、小児がん体験者として、セルフヘルプ・グループ活動などに関わってきた。 ‘子どもへのがん告知’など、ライフパレットへの記事の寄稿でもすっかりおなじみの小俣智子さんが、THE仕事人に登場!
小俣さんって、どんな人?
小俣さんが代表を務めるMN(みんななかま)プロジェクトのイメージキャラクターたねちゃんたねくんはとってもピースフルでかわいい。 生みの親は日本画家の中畝治子さん。 神奈川県社会福祉協議会が支援するセルフヘルプ・グループ事業の講演会で、治子さんとその絵に一目ぼれした小俣さんが、初対面であるにも関わらず、絵を描いてくださいと‘ナンパ’したことがきっかけ。 会のパンフレットの印刷にいたっては、MNプロジェクトをサポートしてくださっているACCL(アジア・チャイルドケア・リーグ)※1 の渡辺和代さんとデザイナーが喫茶店で打ち合わせをしている隣に座っていただけ! ‘印刷はどうしよう’と困った様子に、印刷会社を経営する宮田さんが思わず助け舟を出してしまったのだ。 とにかく小俣さんの周りにはこんなエピソードが満載。 人をぐっと惹きつけて、一緒になにかをやりたいと思わせてしまうのが小俣さんという人なのだ。
本人を前にすればそれも納得。 物腰のやわらかさ、あねご! とでも呼びたくなるような安心感、それにユーモア。 小児がん経験者として病気をしっかり受け止めて生きてきた小俣さんだからこその強さとやさしさが人を包み込む。 泣き言を言うよりもまず自らが動く。そうやって、ただ守られるだけでない、自立した存在としての当事者のあり方を確立してきた。 その過程には、セルフヘルプ・グループ活動が大きな役割を果たしてきた。
※1 ACCL(アジア・チャイルドケア・リーグ)
ベトナムを中心に、アジアの難病や社会的困難に直面する子どもたち・家族のへの医療福祉支援を行うNPO団体。
http://www.accl.jp/
当事者の会、Fellow Tomorrow発足!
ソーシャルワーカーを目指して病院で実習を受けていたとき、指導してくださったソーシャルワーカーの方に、「ソーシャルワーカーになるのであれば、きちんと自身の小児がん体験を整理したほうがよい」と助言をもらった小俣さんは、自身の体験を客観的に整理するために初めて闘病記を書いた。
書いてみると、自身が当事者であることをもっと理解したい、当事者の研究がしたいとの思いが募った。
大学院へ進学した小俣さんは、セルフヘルプ・グループの研究に没頭する傍ら、一本の電話をかける。
相手は、小児がんの子どもを持つ親の会である『がんの子どもを守る会』だ。
実はこの会にとって、小児がん当事者からの電話は初めての経験。 治療が格段に進歩したいまでは、小児がんはイコール死につながる病ではなくなり、病気を生き抜いたサバイバーも格段に増えた。 だが、小俣さんが発症した80年代半ば、小児がんはまだまだ助からない病気。 だからこそ当事者の会はなく、親の会しか存在しなかったわけだが、会のソーシャルワーカーや親の希望もあり、当事者の会である『Fellow Tommorow』(以下、FT)を設立することになった。 会の名前に‘仲間(Fellow)と共に明日(Tomorrow)を築き上げていこう’という思いを込め、小俣さんたちは小児がん経験者としての活動をスタート。 誰にも語ることのできなかった思いを語れる場。仲間と出会い、共感を得られる場。 小俣さんは仲間たちとともにFTという場をつくりあげていく。 そして、メンバー11名のそれぞれの体験や座談会が収められた『仲間と。』を出版すると、当事者たちによる生の声として反響を呼んだ。
みんなでつながろう!小児がんネットワークMN(みんななかま)プロジェクト始動
代表として活動をする内に、講演会などにも頻繁に声がかかるようになり、小児がん体験者のエキスパート的存在として重宝されるようになってきた小俣さん。
ありがたいことである一方、新たな課題も見えてきた。
FTのようなセルフヘルプ・グループは、同じ問題を抱える人が集まって、自分の問題解決をして自立していく、あくまで通過機能。
つまり、リーダーがいなくては活動を継続することはできないが、ずっと留まっていても意味を成さない。
しかも、同じ人がずっとやっているとその人のグループになってしまうというジレンマを常に抱えている。
もちろん、いろんなセルフヘルプ・グループがあってよいが、小児がん経験者のグループの場合は、子どもの頃の病気体験を整理し、社会へ出て行くという意味が大きい。
また、医学の進歩など時代の変化に伴い、新しく入ってきたメンバーと抱える問題も自ずと異なってくるため、グループのリーダーは次のリーダーを育てていく必要がある。
そこで、次の世代へのバトンタッチを進めていく間、小俣さんは小児がん活動を続けるか否かも含め、新たな道を模索する。
そうして、構想3年。
既に自分の体験を消化・浄化し終え、セルフヘルプ・グループから自立段階にあるメンバーたちで、2005年、『MN(みんななかま)プロジェクト』を立ち上げた。
MNプロジェクトの大きな特長は、小児がんのセルフヘルプ・グループ同士をつなぐネットワークとしての役割を果てしていること。 新たなグループをつくったり、グループを活性化させるためのサポートを行うなどセルフヘルプ・グループの枠組みを超えた活動を進めている。 また、年に一回、『ゴールドリボンキャンペーン』と銘打ってイベントを開催。 今年は2009年2月28日(土)に京都で開催した。 ほかにも『出前講演』など、小児がんの普及啓発のために積極的な活動を行っている。
現在、小俣さんがひとつの大きな課題と感じているのが、小児がん経験者でありながら告知を受けていない、いわば過度期にあたる当事者たちの存在。
自身が小児がん経験者であることを知らないままに晩期合併症としての病気や障害に苦しんでいる仲間たちが全国に数万人いるとも言われる。
このような問題だけでなく、社会の偏見による就職や結婚など生活課題や制度の未整備などの問題もある。
そこで、こうした小児がん経験者のために、小児がんを専門とする医師たちの調査や研究が多く取り組まれるようになった。
その一つとして小児がん経験者の追跡調査が行なわれているが、カルテが残っていなかったり、転居などで行方がわからなかったり、告知をされていないため直接本人に連絡を取ることができなかったりと様々な課題も判明している。
しかしながら、そのような課題が明らかになったことも含めて大きな前進と言えるだろう。
さらに、調査結果の公表を前に、小児がんへのマイナスイメージとならないようにと、医師側から小俣さんたち当事者の意見を聞くための場を開きたいとの提案もあった。
こんなふうに当事者が参加できるようになったことも大きな進歩。
ようやく晩期合併症にも対応できるよう、小児がんの拠点病院の整備や長期フォローアップ外来の設置などの取り組みがなされるようになってきたからこそ、告知を受けている仲間たち同様、告知を受けていない仲間たちにも的確な情報が届くようにと願ってやまない。
そのためになにができるのか、小俣さんは日々フル回転だ。
小児がん体験者だけでなく、みんなでつながれば鬼に金棒
活動を続けてきて、小児がんに関わらず子どもの頃に闘病した人々、さらには大人の病気の方とも共通点は多く、共感できることは少なくないと実感する機会が増えた。
小児がんという病気はまず命に関わるし、内臓疾患、義眼や義足、車椅子など障害を持つこともある。二次がんなどの晩期合併症もある。つまり、病気を持つ人々の代表とでもいおうか、問題を網羅しているように思う。だからこそ、小俣さんは軸にあるのは小児がんでも、そこにこだわらず活動を展開していきたいと考えている。実際に病気を体験した当事者や医療従事者に止まらず、教育などいろんな領域で多くの小児がん支援者がいる。だが、残念ながら横のつながりがない。では、つなげるのは誰かと言えば当事者しかいない。病気を盾にするのではなく、上手に当事者として主張はしながらみんなでつながっていくことができれば、小児がんだけでなく、日本の医療を取り巻く環境はきっとよくなるはず。
ソーシャルワーカーとして医師と患者の間をつなげてきた交渉力がここでも大いに発揮される。
ソーシャルワーカーとして12年間病院で勤めた後、現在は大学講師として福祉を志す若者たちの指導に当たりつつ、セルフヘルプ・グループ研究を行う。
小児がん経験者。MNプロジェクト。ソーシャルワーカー。大学講師。これらはすべて小俣さんの肩書き。「バラバラだけど私の中ではつながっている」と言うが、傍からすればまっすぐに貫かれた線のようにも見える。だが、それはあくまで結果論。小児がん経験者であることは、たしかに小俣さんの根っこにある。だけど、それがすべてではない。むしろ、その体験を切り離せるクールさがあったからこそ、いまの小俣さん、そしてMNプロジェクトがある。
‘もう5年したら、MNプロジェクトは全国の温泉に入る会になる予定’と本気とも冗談ともつかない口調で(多分、大真面目? )愉しそうに語ってくれた小俣さん。これからもきっと小俣さんはこんなふうに気負わずいろんなことをやり遂げてしまうのだろう。まだ他人がやっていないこと、愉しそうなことに、小俣さんはとにかく目がないのだ。