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”私の人生は私のものであり、私がそれを創造している”

   あなたが自分には誰か他の人の助けが必要だと考えるとき、その援助を人々に求めることは確かに何も間違ってはいないし、時には多くを得ることもあるでしょう。しかし常に誰かに助けを求めることが習慣的になっている人は、自分自身で取り組むことをせず、その習慣を責任逃れの手段として用いているのです。

   具体的な物理的問題で、ほとんど知識のない分野であれば助力を求めるのは当然のことです。しかし多くの人々が、人生全般における答えを、霊能者や医者、心理カウンセラー、精神科医、聖職者、友人など、自分の外側に求めており、それによって自己認識をするので成長するべき自らの能力を否定しているのです。

   あなた方の世界にある教育に関する「枠組み」のために、人は「内なる自己」を探求するのではなく警戒するように教えられます。そのために一般的に多くの人々は、自分の問題を解決するためにその手段を外に求めるのですが、そこで見つかるはずもありません。

   グルや聖職者、科学者、心理学者、友人の言葉を、あるいは私の言葉を、あなた自身の存在が感じていることよりも高いところに置かないでください。他の人々からも多くのことが学べますが、もっとも深遠な知識はあなたの内側から生じなければなりません。あなたの意識は基本的に、他の人々の経験し得ない一つの現実に関わっているのです。その現実はそれ自体が意味を持って、「成就の道」に従っているのです。

   今いるところから始めてください。
   今あなたが持っている属性を、未だ充分に発達したもののようには見えなくても、期待せずに楽しく伸ばし始めることです。あなたは自分自身を愛し、容易に隣人を愛することができるでしょう。今の自分自身と、自分についての理想化された概念を比較したとたん、あなたは自然に心に咎めを感じるでしょう。そうしたやましい気持ちは、あなたが自分のうちに抱えている観念や信念を処理するまで、さまざまな出来事によって引き出され、引き起こされるでしょう。

   あなたをやましい気持ちでいっぱいにする、具体的な行為や出来事をリストにするのはいい考えです。それらを追跡することで、子ども時代に持つようになった観念にまで容易にたどり着くこともできます。そうした中には、親が善意から、あるいは大人の無知から、徐々に教え込んだ観念もあるでしょう。けれどもそうしたものも明るみに出されると、それらの多くはあなたの理解力を前に消滅してしまいます。

   この宇宙における自分の存在の正当性を肯定できると、あなたは自分自身の本質のある側面を通して、他の人々と容易に自然に協力するようになります。あなたがあなた自身であることが、他の人々が彼ら自身であることを助けるのです。あなたは自分にはない才能を妬んだりしないので、他の人々の持つ才能を気前よく助長することができます。なぜなら自らの独自性を認めているので、ほかの人々を支配する必要もなく、しかも彼らを羨んだり、へつらう必要もないからです。

   あなた方はいつかは自分自身を信頼し始めなければなりません。
   私は、今そうすることを勧めます。他の人々があなたを認め、あなたの価値を証明してくれるのを期待して待っている限り、あなたが彼らから満足を与えられることはありません。どうするべきかをいつも他人に尋ね、そうしているにも関わらず自分が満足することはなく、むしろ助力を求めている相手を恨んだりすることになります。つまりあなたは自分の経験は偽物であり、他人の経験こそが正当なもののように思っているのです。

   自分自身を肯定するという、簡単な手段を用いる必要があります。
   その肯定こそが、あなたが持つ本来の属性を解き放ち、新たな経験を自分のものとするのです。たとえば、自分が見た夢を解釈して欲しいと誰かに頼む時、あなたは自分が本来持っている潜在能力を、切り開く手立てを1つ放棄するのです。

   自分の人生の行くべき方向を教えてほしいと誰かに頼む時、実はあなた自身がすでにそれを知っているということを、自分自身に認識させないようにしているのです。このような「気づき」がないならば、根本のところであなたが救われることはありません。

   すでに述べましたが、肉体を否定することでより霊的になるということはありません。
   肉体とともに生きる人生が、ここでのあなたの人生なのです。あなたの本質的なことや身体的な存在を理由に、あるいは何らかの宗教的な教義を理由にして、人間は生まれながらに悪であるとか、罪を犯しているなどというような人を信頼してはいけません。またあなた自身の現実から逃げるように教える人や、罪の償いをする必要があると説く人にも注意しなければなりません。

   そうしたものの代わりに、自分自身の存在の自発性と、あなた自身のものである人生を信頼しましょう。今いる状況が気に入らないのであれば、それをつくり上げた自分の観念がどういうものであるかを調べてみることです。それらをすべて明るみに出す時、あなたの内には怖れるべきものは何もないことがわかります。

   ”私の人生は私のものであり、私がそれを創造している”

   
この言葉を繰り返し、常に自分に言い聞かせてください。
   自分の人生を創造しましょう。あなたがこの世に誕生するときに選択した身体的なものを除いて、あなたが変えることのできない状態など1つもないのです。今あなたが病気であったり、ある困難な状況のために自己憐憫でいっぱいであるのなら、自ら主導権を握るようにしてください。そしてその原因となった自分の観念や信念を正直に直視し、その苦しみの原因を見つけ出してください。

   私はこれを読む人々の1人1人に内在する「内なる生命力」と、彼らの「内なる知識」と話しています。繰り返しますが、あなたは自分の観念に従って自分の現実を創造しています。あなたの思いである観念や信念は、あなたの世界をつくる創造のエネルギーです。あなたが信じているものを除いて、自己というものに限界はありません。あなたの存在の根源はあなたの内にあり、それはあなたが知る自己をはるかに超えたものです。自分自身を敬い、自分の存在の内なる神性とともに進んでください。


       book 『個人的現実の本質』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット

                            抜粋

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