18日に2人の著名なジャーナリストが死去した。政治記者の大御所だった毎日新聞社特別顧問の岩見隆夫氏(享年78)の訃報は毎日などで大きく報じられたが、NHK出身の科学ジャーナリスト小出五郎氏(享年72)はほとんどニュースにならなかった。読売新聞が20日に定型の死亡記事を載せたのが目についたぐらいで、それもわずか6行。記事によると虚血性心不全のため亡くなったという。
NHKで解説委員などを務めた小出氏は、東京電力福島第1原発事故後、講演やシンポジウムなどで原発問題について発言してきた。2012年2月に開かれた毎日新聞労組などの主催によるシンポジウムでは、事故を通じて浮き彫りになったこととして、「既存メディアの報道に対するネットメディアの台頭」「発表報道の限界」「原子力ムラの構造」を挙げ、特に原子力ムラについては「そこに属していたジャーナリストたちが(市民の不安に対する)火消しに回った。お粗末で恥ずかしい。目を覆うものがあった」と断罪もしていた。
もちろん自身を例外視していたわけではなく、反省も込めてこう語っている。
「原子力の推進にメディアもかかわるという大きな流れの中で、批判することはしてきたという面もある。きちんと報道してきたこともある。新聞も、個々の記事をみれば健闘してきた。しかし、世の中全体に受け入れられたかというと、札束で物事を解決する文化が根づき、そこに原子力ムラが外部の意見とは関係なしに(原発を)進め、そこにマスコミもかんできた。報道もずっと寝ていたわけではなく、個々に指摘はしたけれど、なかなかうまくいかなかった。私も忸怩たる思いがある」
この「忸怩たる思い」については、原発事故発生から間もない2011年4月に行われた日本ジャーナリスト会議(JCJ)主催の講演でも語っている。
「それではお前はいったい何をしてきたのだと言われるでしょう。原子力ムラのメディアや科学記者の批判など、私が正しくて、ほかの人がみんな悪いみたいなものの言い方をして大変申し訳なかったが、70年代、80年代とずっとNHKで働いてきて、原子力推進の流れに抗したのかと問われると、やはり十分だったとは言えない。原発推進の番組をつくったことはないと思うけれど、批判的な番組をつくることにあまり努力しなかったなあということも一方にあって、そういう意味では忸怩たるものがないわけではない」
かねて「日本でいちばん危ない」と言われる中部電力浜岡原発について、小出氏は70年代に地震の危険性にからめた番組を制作した。ところが取材映像を見た上司の腰が引け、議論の末、なるべく視聴者の関心を呼ばないようなタイトルにして放送するという結論に落ち着いた。タイトルは「耐震設計」。ビル建築のような題名から、原発を連想する人は少ないだろう。
それでも原発と事故の可能性というセンシティブなテーマの番組を放送できた。「そのころは今と違って、若いディレクターは上司の言うことに逆らうのが当たり前の時代だったので、みんな今のようにおとなしくない」とも語っていた小出氏。テレビマンの気骨も感じさせる番組が、皮肉なことに大事故という不幸によって再評価されている。