慢性咳嗽 ( 2011.6.4 更新 )
<咳嗽のメカニズム>
 重要臓器のなかでも、機能が停止すればただちに死にいたる臓器は、脳、心、肺の三つだけです。そのような最重要臓器でありながら、唯一肺だけは直接外界と接しています。いわば、大銀行の金庫室が通りにむかって開け放たれているようなものです。金庫室に賊が侵入すればアラームが鳴り響き、警備員が賊を排除しようとするのと同様に、肺もさまざまなメカニズムで異物を肺外に排出しようとします。
 まず入り口の喉頭や気管には、知覚神経の末端である touch sensor が密に分布しており、刺激されると咳嗽反射が誘発されます。ご飯粒が気管に入るとむせるのはこのためです。さらに、気管支には chemo sensor が存在し、異物から漏出した化学物質に反応して、咳嗽反射を起します。また、細菌感染などをきたすと炎症が起こりますが、気道の粘膜下には知覚神経がコイル状になったJレセプターという筋紡錘や腱紡錘のような構造があり、炎症による組織の腫脹が起こると、コイルがわずかに伸びて、やはり咳嗽反射を引き起こします。肺の奥深くに吸い込まれたほこりなどは、痰に捕獲されてから線毛運動により気管上部に運搬され、一日量が150mlを超えると痰として自覚されます。声帯下にたまった痰は、おもに物理的刺激により咳を誘発します。
 以上をまとめますと、咳嗽というのは本来生体の防御作用であることから、他の症状に比べて薬剤による治療が困難であることがわかります。

<慢性咳嗽の鑑別>
 カゼなどによる一過性のセキが問題となることはあまりありません。開業医が治療に難渋するのは、2週間以上の長期にわたるセキ、夜も寝られないほどの激しくむせたようなセキ、息苦しさをともない起座呼吸をするようなセキなどです。
 こうした慢性咳嗽の原因には、逆流性食道炎や後鼻漏などの肺外性のものもありますが、大多数は肺内性で、これらは三つに分けられます。ひとつは物理的に刺激されるもので、肺癌や悪性リンパ腫などが含まれます。パンコースト型腫瘍を見逃さないために、レントゲンの肺尖部における左右差のチェックは不可欠です。ふたつ目は感染症。肺炎や結核などが問題となります。とくに若い人の若年性結核を見逃さないことが重要です。心陰影と重なった影や、肺炎のつぼみともいえる区域肺炎の影を見逃さないように注意しましょう。そして三つ目が気道の過敏性、すなわち普通の人には刺激にならないような軽微な刺激に過剰反応をきたし、長びくセキや呼吸困難を起こしてくるものです。昔は粉じんや職業的なものもありましたが、最近ではその大半に、何らかの形でアレルギーや免疫異常が関与しているものと考えられています。

<慢性咳嗽の検査手順>
 慢性咳嗽の最初の検査は、胸部のレントゲンです。可能であれば胸部CTもおこない、画像的に肺癌や結核や間質性肺炎などを見落とさないようにしなければなりません。血痰や茶痰、黒痰などを認める場合は三日連痰の喀痰細胞診が必要になります。ついでの話ですが、保険審査をやっていると、たまに三日間請求する医療機関がありますが、三日連痰は三日間採取した痰を混ぜて検査するので一回分しか請求できません。ご注意ください。
 レントゲンに肺癌や結核、肺炎などの異常陰影を認めないのに、気管の狭細化や気管粘膜の浮腫を示唆する所見があれば、まず room air での酸素飽和度を調べる必要があります。その際、酸素飽和度が95%以下であれば準呼吸不全、90%以下であれば呼吸不全として対応しなければなりません。気道の過敏性を呈するような症例では、高率に呼吸不全を認めるにもかかわらず、経過が長いと一種の慣れの現象をきたすために、自覚症状が意外なほどあてにならないことは、おそらくすべての内科医が一度は経験していることだと思います。急速に呼吸不全が増悪し、救急車で担ぎ込まれてくるのはこういう人たちです。
 検査としてつぎにやるべきことは肺機能検査です。肺生理学的に肺の障害は、肺活量の減少による拘束性障害、気道が呼気時に狭くなって十分に空気を吐くことができない閉塞性障害、それらが合わさった混合性障害に分かれますが、この検査における最大の問題点は、%肺活量が80%以上で、一秒率が70%以上あるような場合に、機械的に正常と判断されてしまうことです。なぜそれが問題になるかというと、正常と判断された場合であっても、咳で幾晩も寝られないという症状は厳然として存在していますし、なかにはroom air での酸素飽和度が90%以下というケースさえあるからです。要するに現時点で使用できる検査法が、すべての病態を正確に反映しているわけではないということです。
 それでも最近の肺機能は、古典的な%肺活量や一秒率以外に、有用なデータを提供してくれます。その最たるものが%PEFです。強い咳嗽が長期に持続して、ピークフローが低下していれば、まず咳喘息と診断しても間違いがありません。従来サイレントエリアと言われた細気管支領域の病変も、フローボリュームカーブの形そのものを解析することにより情報が得られるようになりました。これらは専門医でなくとも十分に利用可能な情報です。使わなければもったいないと思います。
 ここで皆さんは違和感を感じられるに違いありません。肝臓にしても腎臓にしても、その他もろもろの疾患において不可欠(?)な採血が何でないの?もちろん肺においても、たとえばサルコイドーシスでACEを測定したり、異常陰影があれば鑑別のために腫瘍マーカーなどを測る場合がありますが、たしかに他臓器に比べて生化学的アプローチが極端に少ないのが呼吸器の特徴です。それはレントゲンと肺機能で大体の診断がついてしまうと考えられていたからです。でもこれからは変わっていくことでしょう。咳嗽に関して言えば、気管支喘息の本体は気道の炎症ということはすでに広く受け入れられていますから、日ならずして開業医でも呼気ガスのNO測定がルーチンにおこなわれるようになるでしょう。現在咳喘息の三分の一が気管支喘息に移行するとされていますが、どのようなケースが移行しやすいか、血液一滴でわかるようになれば、その予防もまた容易になされることになります。
 レントゲンで異常陰影が認められ、肺癌や間質性肺炎を疑う場合は、すみやかに大学や基幹病院に送ることをお勧めします。以前は、外来でおこなえる検査を一通りおこなってから送るべきだというような風潮がありましたが、どうせ大学や病院で再び同じことをやるでしょうから、いまは詳細な画像診断をはじめ、気管支鏡肺生検などを用いた病理学的な検索を、なるべく早く実施できる状況にした方が良いと考えられています。
 胸部異常陰影のなかでは圧倒的に肺炎が多いのですが、昔と違ってほとんどの肺炎は外来で簡単に治療できるようになりました。診断は肺炎特有の陰影と、症状経過から容易になされると思います。もちろん細菌学的検査や、抗体などの免疫学的検査が必要になる場合もあります。
 長びく咳嗽と関連した感染症としては一時話題になった百日咳があります。ペア血清を用いた診断は、言うは易く行うは難し、ルーチンに実行することは不可能でしょう。いきおい簡便なシングル血清で判断せざるを得ないことになります。もっとも簡単なものは九大方式で、流行株の山口株の抗体価がワクチン株の東浜株の4倍以上か、山口株の抗体価が単独で320倍以上のいずれかを満たすものとされています。ただし、私も一時はかなりの数の疑診例の検査を行いましたが、実際はきわめて陽性率が低かったことを申し添えておきます。

<慢性咳嗽の治療>
 外来で肺癌や悪性リンパ腫の治療をすることはまずないでしょうから、ひとつめの物理的刺激による長期持続の咳嗽の治療は省きます。ふたつ目の感染症も、結核を疑う場合は早めに千葉東病院へ紹介したほうが良いでしょう。その場合おもて書きに結核の疑診例であることを明記してください。これは一般の呼吸器疾患の患者さんと、待合室での混在を避けるためです。
 肺炎の治療は、レスピラトリーキノロンが出現してから、ずいぶん容易かつ確実におこなえるようになりました。ただしこの薬剤は結核菌の検出を妨げますので、やはり結核の可能性があるケースでは、中途半端な治療をおこなわずに、すみやかに専門の医療機関に送るべきだと思います。もちろん明らかな市中肺炎では、去痰剤や消炎剤で肺のクリーニングを行いながら、先に述べたレスピラトリーキノロンなどでただちに治療に入ってかまいません。外来で肺炎の治療を行う場合には、4~5日の間をおいてかならずレントゲンの再撮影を行うように心がけてください。
 日常診療において、長びくセキの治療でもっとも厄介なのは、三つ目の気道の過敏性を呈する疾患群です。エヘン虫と称される症状は、気管支喘息やCOPDをはじめとして、慢性咳漱症候群、アトピー咳漱、感染後遷延性咳漱、咳喘息、アレルギー性気管支炎(bronchitis)、アレルギー性気管炎(trachitis)、などのさまざまな名前で呼ばれる病態で認められ、一般的なカゼの治療をおこなっても、「長く続く激しい咳」を抑えられないことが特徴です。こうした疾患群の治療を行うヒントは、今までの記述のなかにちりばめられています。
 まず基本的な病態である気道の過敏性を鎮めるために抗アレルギー剤が用いられます。メインルートであるシクロオキシゲナーゼ系統だけでなく、バイパス的なリポキシゲナーゼ系統同時に抑制したほうが治療効果は高まります。いわゆる抗アレルギー剤は種類が非常に多いので、作用機序別に何剤か手の内にあるクスリを作っておくとよいでしょう。症状経過によってはステロイドの内服をおこなわなければならない場合もありますが、そうした場合は呼吸器科の専門医に依頼したほうが良いと思います。気道の過敏性対策以外に外来でおこない得る治療としては、対症的な鎮咳剤去痰剤の併用と、大量の飲水の指示があります。この飲水指示はけっこうポイントです。咳嗽症状の強い時期にはリン酸コデインの屯用を重ねる場合もあります。
 気道の過敏性があるだけでは症状は顕在化しません。強い症状があらわれるときはかならず引き金があるはずです。この引き金にも三つの機序があります。もっとも多いのがカゼや気管支炎などの感染誘発、次に多いのがホコリや花粉を吸うことによって起こる吸入誘発、三つ目が運動して息がゼーゼーしたときにそのまま咳嗽発作に移行する運動誘発です。誘発因子が感染のときはマクロライド系の抗生剤を併用し、吸入誘発の場合はマスクの着用を指示します。もちろん運動誘発の場合は、症状がおさまるまで運動禁止です。
 こうした基本戦略に加え、肺機能検査で%PEFが低下しているような症例には、吸入ステロイドとLABAの合剤を積極的に使用します。通常の半量程度を少し長めに用いて、肺機能を徐々に正常化へ導くのがコツです。いわゆる咳喘息ではSABAを使うような場合はほとんどありませんし、ネブライザーを用いることもまれです。このあたりに新薬開発のヒントが隠されているのかもしれません。
 検査手順の項目で述べたように、気道の過敏性を呈するような症例のなかには、管理不十分だと突然重篤な呼吸不全をきたすケースがあります。2011年の花粉は予測通り多かったもので、週末になると耳鼻科や眼科に通院中の患者さんが、突然発症した(?)呼吸不全で担ぎ込まれてきて往生しました。咳が続いているようなケースでは、吸入した花粉により気管粘膜の炎症が起きているわけで、少なくとも酸素飽和度くらいはリスク回避のために測定されたほうが良いと思います。
 さて、そろそろ金庫室に賊が侵入しそうな気配がします。ご用心、ご用心。