ようやく処分が正式発表。
詳細はここに出ています。
けっこう、真剣に、周到に用意した上で「斬った」のやな、というのが第一印象です。
永久追放されたはずなのに、事実上野放しだった、血液沸騰親父の存在について咎めており、
選手の移籍や、興行の名義貸しについても、逃げ道を塞ぐための論理構成が、一応、用意されている。
ここに穴が空いたら、どう処分しようが意味が無いと思っていたので、少々驚きでした。
あと、実際にどうなるかは不明ですが、TBSが放送から撤退することを検討している、との記述も。
名義貸しとTV放送、このふたつの逃げ道が切れたら、いよいよ詰み、と見ていましたが、
まあそんなことにはならんだろう、と思っていました。もしこうなるなら、大変けっこうなことです。
そもそも、あれこれあった過去の処分の中に、今後問題を起こしたら追放する、というような
条件付きの存続容認も、あったように記憶しています。
それを考え合わせれば、今更裁判をやったところで、JBCが一方的に負けることもないでしょう。
それにしても、今更ながらため息が出ます。
この10年ばかり、ボクシングの社会的信用がこの一家のためにどれほど傷つけられ、失墜してきたことか。
TV局のバックアップによる知名度、圧倒的なTV視聴率を持ち、
しかしボクサーとしては、普通に段階を踏んでキャリアを重ねていれば、
おそらく日本タイトル到達までに淘汰される程度の才能しか持たない者を、
世界チャンピオンにしてやるために、ボクシング業界はありとあらゆる無理を重ねました。
過去に一生懸命批判していた頃、さんざん書いたことですが、これはあの一家のみを責めて済む話ではありません。
業界最有力者を筆頭に、首脳数名が先導し、助力し、それにJBCも追随したのです。
時に反則連発の試合を黙認し、世界ランキングをねつ造し、あり得ないはずの世界戦を成立させる。
そしてその試合自体にもまた、不可解という言葉を飛び越えた「結果ありき」の判定が下されました。
長谷川穂積が戴冠する前、世界といえば徳山昌守以外に、安定して勝利を重ねる王者がいなかった頃、
業界全体は経済面で苦境にありました。その苦境を打開するために、亀田の人気と知名度を利用しよう、
という意図の元、様々な無理が重ねられたわけです。
その際、ボクサー亀田の内実が問われることはありませんでした。
当時、日本と東洋のダブルタイトルを保持していた内藤大助との対戦を経て、
もし勝利したら、業界全体でバックアップをする、ということであれば、
それは誰もが納得の、真のスター候補への、あってしかるべき支援だったでしょう。
しかし現実は、ボクシングの持つ勝負としての厳しさ、宿命を冒涜する「保護政策」が採られました。
この舵取りの誤りが、後にどれほど日本のボクシングを害したか。誠に愚かしい、としか言いようがありません。
私はこの舵取りを容認した幾人かの業界首脳に対し、今もってなお、言葉にしない方が良いような悪感情を持っています。
何なら、損害賠償を請求したいくらいです。無理でしょうけど。
そして、JBCについて。
この組織の行動原理というのか、内在論理というのか、それはボクシングの社会的信用を護るためでなく、
業界の、その時々のご都合に追随し、それを支える理屈をひねり出し、体裁を整えるためにある。
私は長らくずっとそう見てきました。それを部分的に覆しかけた人物は、数年前、ある意図を持って放逐され、
その後任に森田健が座ったことで、元の木阿弥となったのも、記憶に新しいところです。
そもそもこの組織は、本来なら管理対象である、業界の手によって、白井義男世界挑戦の際に作られたものであり、
生まれた事情からして、業界の都合をかなえるため、だったのです。
いわば宿命的に、業界の側に追随する組織であったと言えます。
だから、業界首脳がその存在を支持し、容認している間は、あの一家を切ることはならなかった。
その上、宿命的に業界追随の組織であるので、当然ながら有能な管理組織として成り立たず、
業界首脳との離反の後も、あの一家の様々な無法を取り締まることも出来なかった。
昨年末の大阪での混乱劇も、もちろん、いい加減にしろよと思いはしましたが、
結局はJBCが頬被りして何も無しだろう、とも思いました。
ですので、今回の処分への流れは、改めて驚きではありました。
JBCの内部がどうかなど、知る由もないですが、ボクシングの社会的信用を護れない現状に甘んじる勢力と、
現状を打破しようとする勢力が存在して、後者が前者を押し切った、のかも知れません。
もしそういうようなことであれば、大変喜ばしいことではあります。
しかし、そのような意志などそもそも存在せず、結局は、件の「負けても王座保持」の規定を巡って、
亀田側が「誤解が生じた」原因を、JBCやマスコミの不勉強にある、と、半ば喧嘩を売る形で批判したことに対して、
JBCが懲罰を与えんと重い腰を上げただけ、なのかも知れません。
今回の処分を受けて、これからも、あれやこれやといろんな話が飛び交うことでしょう。
ただ、これでもってJBCという組織を、全面的に信用出来るかというと、全く違います。
今回の処分自体に関してはまず、良かったと思います。
その反面、その処分が、単に自分たちの体裁を護るためだったのか、
それとも「ボクシング」の権威を護るためのものだったのか、そこが厳しく問われるでしょう。
その答えは、JBCの今後、あのような特殊な一家に対してではなく、
普通の試合、普通の業者に対する姿勢から、自ずと見えてくるでしょう。
とまあ、色々あれこれとやかくつべこべと書きまくっておいてナニですが、
本来、コミッションがどう、業界がどう、なんていう話は、ボクシングを見る上では、余計なものでしかありません。
このような存在を意識せずに、試合そのものを単に楽しめれば、それでいいのです。
コミッションには、ただひたすらに、厳しく公正な運営で、ボクシングを護って欲しい。
それだけがファンとしての願いです。
詳細はここに出ています。
けっこう、真剣に、周到に用意した上で「斬った」のやな、というのが第一印象です。
永久追放されたはずなのに、事実上野放しだった、血液沸騰親父の存在について咎めており、
選手の移籍や、興行の名義貸しについても、逃げ道を塞ぐための論理構成が、一応、用意されている。
ここに穴が空いたら、どう処分しようが意味が無いと思っていたので、少々驚きでした。
あと、実際にどうなるかは不明ですが、TBSが放送から撤退することを検討している、との記述も。
名義貸しとTV放送、このふたつの逃げ道が切れたら、いよいよ詰み、と見ていましたが、
まあそんなことにはならんだろう、と思っていました。もしこうなるなら、大変けっこうなことです。
そもそも、あれこれあった過去の処分の中に、今後問題を起こしたら追放する、というような
条件付きの存続容認も、あったように記憶しています。
それを考え合わせれば、今更裁判をやったところで、JBCが一方的に負けることもないでしょう。
それにしても、今更ながらため息が出ます。
この10年ばかり、ボクシングの社会的信用がこの一家のためにどれほど傷つけられ、失墜してきたことか。
TV局のバックアップによる知名度、圧倒的なTV視聴率を持ち、
しかしボクサーとしては、普通に段階を踏んでキャリアを重ねていれば、
おそらく日本タイトル到達までに淘汰される程度の才能しか持たない者を、
世界チャンピオンにしてやるために、ボクシング業界はありとあらゆる無理を重ねました。
過去に一生懸命批判していた頃、さんざん書いたことですが、これはあの一家のみを責めて済む話ではありません。
業界最有力者を筆頭に、首脳数名が先導し、助力し、それにJBCも追随したのです。
時に反則連発の試合を黙認し、世界ランキングをねつ造し、あり得ないはずの世界戦を成立させる。
そしてその試合自体にもまた、不可解という言葉を飛び越えた「結果ありき」の判定が下されました。
長谷川穂積が戴冠する前、世界といえば徳山昌守以外に、安定して勝利を重ねる王者がいなかった頃、
業界全体は経済面で苦境にありました。その苦境を打開するために、亀田の人気と知名度を利用しよう、
という意図の元、様々な無理が重ねられたわけです。
その際、ボクサー亀田の内実が問われることはありませんでした。
当時、日本と東洋のダブルタイトルを保持していた内藤大助との対戦を経て、
もし勝利したら、業界全体でバックアップをする、ということであれば、
それは誰もが納得の、真のスター候補への、あってしかるべき支援だったでしょう。
しかし現実は、ボクシングの持つ勝負としての厳しさ、宿命を冒涜する「保護政策」が採られました。
この舵取りの誤りが、後にどれほど日本のボクシングを害したか。誠に愚かしい、としか言いようがありません。
私はこの舵取りを容認した幾人かの業界首脳に対し、今もってなお、言葉にしない方が良いような悪感情を持っています。
何なら、損害賠償を請求したいくらいです。無理でしょうけど。
そして、JBCについて。
この組織の行動原理というのか、内在論理というのか、それはボクシングの社会的信用を護るためでなく、
業界の、その時々のご都合に追随し、それを支える理屈をひねり出し、体裁を整えるためにある。
私は長らくずっとそう見てきました。それを部分的に覆しかけた人物は、数年前、ある意図を持って放逐され、
その後任に森田健が座ったことで、元の木阿弥となったのも、記憶に新しいところです。
そもそもこの組織は、本来なら管理対象である、業界の手によって、白井義男世界挑戦の際に作られたものであり、
生まれた事情からして、業界の都合をかなえるため、だったのです。
いわば宿命的に、業界の側に追随する組織であったと言えます。
だから、業界首脳がその存在を支持し、容認している間は、あの一家を切ることはならなかった。
その上、宿命的に業界追随の組織であるので、当然ながら有能な管理組織として成り立たず、
業界首脳との離反の後も、あの一家の様々な無法を取り締まることも出来なかった。
昨年末の大阪での混乱劇も、もちろん、いい加減にしろよと思いはしましたが、
結局はJBCが頬被りして何も無しだろう、とも思いました。
ですので、今回の処分への流れは、改めて驚きではありました。
JBCの内部がどうかなど、知る由もないですが、ボクシングの社会的信用を護れない現状に甘んじる勢力と、
現状を打破しようとする勢力が存在して、後者が前者を押し切った、のかも知れません。
もしそういうようなことであれば、大変喜ばしいことではあります。
しかし、そのような意志などそもそも存在せず、結局は、件の「負けても王座保持」の規定を巡って、
亀田側が「誤解が生じた」原因を、JBCやマスコミの不勉強にある、と、半ば喧嘩を売る形で批判したことに対して、
JBCが懲罰を与えんと重い腰を上げただけ、なのかも知れません。
今回の処分を受けて、これからも、あれやこれやといろんな話が飛び交うことでしょう。
ただ、これでもってJBCという組織を、全面的に信用出来るかというと、全く違います。
今回の処分自体に関してはまず、良かったと思います。
その反面、その処分が、単に自分たちの体裁を護るためだったのか、
それとも「ボクシング」の権威を護るためのものだったのか、そこが厳しく問われるでしょう。
その答えは、JBCの今後、あのような特殊な一家に対してではなく、
普通の試合、普通の業者に対する姿勢から、自ずと見えてくるでしょう。
とまあ、色々あれこれとやかくつべこべと書きまくっておいてナニですが、
本来、コミッションがどう、業界がどう、なんていう話は、ボクシングを見る上では、余計なものでしかありません。
このような存在を意識せずに、試合そのものを単に楽しめれば、それでいいのです。
コミッションには、ただひたすらに、厳しく公正な運営で、ボクシングを護って欲しい。
それだけがファンとしての願いです。