思ったこと、頭の中に浮かんだことをひたすら書き殴ってるだけだから、間違ってること書いてても許してね笑
あくまで感想であって、評論する気なんか更々ないわけだし。
今日は増子二郎の『ポストガール』(全4巻)を。
知る人ぞ知る、つまり知らない人は絶対に知ることのない、自分の本棚の中でもかなりお気に入りの作品です。
戦争によって人も資源も消費し尽くされた世界では、断絶された人と人との間を埋める存在として人工知能を持つロボットが作られていた。
郵便配達用の人型自律機械・メルクリウスである主人公・シルキーには、他のメルクリウスとは少し違うところがあった。
彼女の頭の中には<バグ>が巣食っており、人間のように自己を自己として認識し、自らの意思によって行動するというプログラムの領分を越えた<人間らしさ>を持つようになっていたのだ。
機械である自身と、自分の中に生まれた<人間らしさ>との間で葛藤するシルキーが、様々な人との出会いを通して本当の「自分らしさ」を見つけていくお話。
人工知能を持ったロボットに自我が芽生えるっていう、ある種王道の展開が軸。
そもそも「ロボット」という言葉は、チェコの作家カレル・チャペックが1921年に発表した戯曲『R.U.R.』の中で初めて用いられたもので、以来SF作品の中でロボットは、アイザック・アシモフが提唱した「ロボット工学三原則」に従う人間の良き友として、あるいは人類の存在を脅かす敵として描かれてきたわけです。
「ロボット工学三原則」を知らない人もいるだろうから改めて書いておくと、
<第一条>
ロボットは人間に危害を加えてはならず、また人間に危害が加えられるのを見過ごしてはならない。
<第二条>
第一条に反しない限り、ロボットは人間の命令に従わなければならない。
<第三条>
ロボットは第一条および第二条に反しない限り、自身の身を守らなければならない。
『ポストガール』に登場する郵便配達用の人型自律機械・メルクリウスの行動原理も当然この三原則に依っている。
しかし住み着いた<バグ>によって<人間らしさ>を獲得したシルキーは、正常なメルクリウスであればプログラムによって自制が働くところであっても、激情や怒りに駆られたとき本来護身用でしかない電気弾拳銃で、その拳で、あるいは言葉によって人を傷つけてしまう。
更には嘘をついたり人を憎んだり、人への手助けであってもほんの少し「面倒」という言葉が頭をよぎったり。
自分でも望んでいないこれらの変化に、はじめシルキーは自己嫌悪するが、一方では<人間らしさ>によるプログラムの逸脱を都合良く利用したり、自己の不誠実を<バグ>のせいにして自分を納得させたりという強かさも見せる。
そうして、命令を遂行するために必要な以上には何も考えようとしない、人間との円滑なコミュニケーションを演出する以上の振る舞いを必要としないという軛から解き放たれたシルキーは、様々な人と出会い、別れ、多くの思い出と宝物を得ていく中で、自身に芽生えた<人間らしさ>や、メルクリウスが人間に似せて作られたことの意味を考えるようになり、物語の最後では自分と人間との関係性についてある一つの結論と決断に至る。
「・・・・・・こういうことをできるんですよ、わたしは。だれかを騙し、だれかを傷つけることが」
「わたしは憎むことを知っている。憎しみをもって、人を傷つけることを知っている。だから、人が人を憎み、傷つける気持ちがわかる。だから、悪意と憎しみを持つ人がどうするか、わかる。もちろん、すべてではないけれど・・・・・・」
「憎しみを知っているから、それを解くことができるかもしれない」
「そのためにわたしは手紙を運びたい」
(最終話「ディパーチャー」より)
以上が全4巻の大筋。
長いね笑
そもそも「小説」という文学は、物語の最初と最後で主人公の心情に生じる変化を主軸に描かれるものである。
シルキーが獲得していった<人間らしさ>は彼女がロボットであるという点において劇的ではあるが、他の作品において思春期の少年・少女が経験するものと何ら変わるものではない。
しかし本作では同じ経験をするのであっても、それが(自律的な思考をもたない単なる)機械と人間との中間的存在であるシルキーの「プログラムに忠実なロボットであれば絶対にこんなことはしないはずなのに」という苦悩によって浮き彫りにされ、より鮮明な印象が残る。
作品タイトルの『ポストガール』に対しては、「郵便屋の少女」という言葉通りの意味のほかに作中では「次代の少女」という訳語も当てられている(ただしこの用語が出てくるの第10話ただ一度だけ笑)。
現状の工学においてロボットは「人間の作業を代行するもの」だけど、それに留まらず、ただ単に人(あるいは人類)に奉仕するだけではない機械という意味が込められたこの言葉。
人工知能を搭載し、有機部品で金属の骨を包んだロボット達が「人の間」に立つ日が来るのかはわからないけれど、人と人との関係が希薄化し、2050年には日本の総人口が1億人を切るという予測もあるこの時代において、本当に必要なものは人間でもロボットでも変わらないのではないだろうか。
とまぁこの本を読んだ自分の感想はざっくりこんなところです。
一話完結の「連作短編集」と呼ばれる文章形態の読みやすさや、作品全体に溢れる温かみもこの作品の魅力だから、是非一読することをお勧めします。
自分にとっても、この先長く傍に置く本になると思う。