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間話その3 旅立ち
 コルネリアス伯爵家のイグニス伯爵とマゴット伯爵夫人は自他ともに認めるオシドリ夫婦である。
 コルネリアスの夫婦狩りと世に呼ばれる劇的な結ばれ方をした二人だが、実生活では妻であるマゴットが夫のイグニスを尻に敷いているというもっぱらの噂であった。
 それでも互いに愛し合っていることは確かであったし、少々女癖に難があったイグニス伯爵がようやく落ち着いてくれたと家臣団もほっと一息ついている様子である。
 だが、伯爵家の嫡男として薫陶を受け王都で騎士の教育を受けたイグニスと、傭兵あがりのマゴットでは見解の異なることも数多く見受けられるのは当然である。
 たいていの場合、貴族としての体面を慮ってマゴットが遠慮するケースが多かったが、(主にそのストレスの解消はバルドに向けられることになっていたが)譲れぬ問題も存在した。
 特に、先日勃発した一件は二人の意見が正面から反発することになり、コルネリアス家に深い爪痕を刻むことになる。


 

 「バルドを殴ったそうだね?」
 
 マゴットの視線はまるで鋭利な刃物にように冷たかった。
 彼女が大変立腹していることに気づいたイグニスだが、それでも毅然として言葉を返す。

 「今回バルドが犯した失態に何の罰もなしに見逃すことはできない。バルドもそれはわかっていたよ」

 「はっ!」

 マゴットはイグニスの返答を鼻であざ笑った。

 「いったい何をさして失態だと?女を庇い、農地を守り、一人残らず敵を返り討ちにした。報奨金を与えてもいい大戦果じゃないか!」
 「それは結果だ」
 「何よりも大事なのは結果さ。結果を伴なわない理想なんざ犬に食わせればいい。独断専行は失敗すれば斬首だが成功すれば大手柄だ。戦場で独断専行した経験がないとは言わせんぞ?イグニス」

 もともと傭兵であるマゴットは現実主義者である。
 結果に対する責任は取らなければならないが、今回のバルドはむしろ最上の結果を出した。危うく大事な息子が命を落とすところであったことに関しては大いに意見のあるマゴットであるが、ことバルドのとった行動に関してはとりたてて責めるべき個所はないと思う。
 セイルーンを命賭けで守り、見事敵を討ち果たしたのだ。
 むしろ我が息子ながら天晴れと賞賛したいところであった。

 「あの子はまだ責任を負える立場ではないぞ?あれはバルドの背負える責任の範疇を超えている」

 敵対する国からの侵略者を明確に予想しながら独力で撃退の策を練り、そのために領民の危険を許容する。そんな権限を息子に与えたつもりもないし与えるつもりもない。
 イグニスとしても領主としてそこは譲れぬところであった。

 「――――あの時点であの農場に領軍を投入するわけにはいかなかったんだよ。せっかくの砂糖の秘密を維持するためには人知れず連中を始末するのが最適だったんだ。下手に手を出せば砂糖とうちの繋がりを勘ぐられることになるしね。もうすでにあんたも社交界で何度も砂糖について質問されただろう?」

 「ああ、でも別に誰が作ったっていいじゃないか。砂糖なんて」

 こめかみに太い青筋を浮かび上がらせたマゴットはイグニスの右頬スレスレにナイフを投擲した。
 
 ガスン

 重々しい音を立ててナイフが柄のあたりまで壁に埋まるのをイグニスは青い顔で見つめるしかなかった。

 「脳まで筋肉で出来てるのかい?あんたは。砂糖ってのはサトウキビが取れる南方でしかとれないんだよ。サトウキビの育たないこの辺ではそもそも砂糖なんて作れやしないのさ」
 「じゃあなんで出来てるんだ?」
 「だからそれを知るために国中がやっきになって調べてるんじゃないか!セルヴィーの連中もそれを確かめるために来たんだよ!」
 「…………だったらなおさら兵を出して警護するべきなんじゃ………」
 「この脳なし!まだわからないのかい!セルヴィーなんかよりもマウリシア国内の貴族どもの手出しを抑えるためさ!」

 砂糖の生産地をコルネリアス家が兵を出して保護したということになればもはや知らぬ存ぜぬは通じない。
 これまでは地元の一商会がやっていることでよくわからない(実際にそのとおりだったが)で押しとおしてきたのだが、それが通じないとなるとイグニスに秘密を守らせるのは不可能に近いということをマゴットも認めざるを得なかった。
 というかこの男、味方の友軍となると途端にわきが甘くなる傾向がある。
 戦場で共に戦うには頼もしい男だが、平時においてはもっとも身近な敵となるのが味方であるということをわかっていないのだ。
 まだ釈然としない様子のイグニスにマゴットはため息をついて言い募った。

 「国宝級の剣を打つ鍛冶師がいるとしよう。その技術は当然ほいほい誰にでも教えるものじゃない。どこで悪用されるかわからないからね。そうした鍛冶の家ではたいがい技術を門外不出として子供にだけ伝授するのさ。砂糖の技術も同じこと。発見した多大な労力や投資を考えれば、ただで教えてくれなんてのは論外だし失礼な話だと思わないか?」
 「なるほど、そういうことなら話はわかる」
 「と、いうわけで、だ」

 実はここまでは前フリでマゴットにとって重要な話はこの先にある。
 いつもはイグニスの決定には表立って反対しない彼女にとって、絶対に許容できないことがあるのだった。

 「バルドは何も間違ったことはしていない。というわけで王立騎士学校への入学は中止ということにしようじゃないか」

 「はっ??」

 何を言ってるんだこいつ、という目をしてイグニスは瞬きをする。
 突然マゴットが言いだしたことがあまりにイグニスの意表を突いたのである。

 「だってそうだろ?バルドを再教育するために騎士学校にいれるんだろ?バルドが間違ったことをしてないとなれば入れる必要なんてどこにもないじゃないか」

 要するにこのマゴット、大事なおもちゃ…もとい、大事な一人息子を手放すのが嫌で嫌でたまらないのであった。

 「出来るわけないだろうそんなこと」
 「なんでだい!」

 今度は立場変わってイグニスがマゴットの非常識さを指摘し始めた。
 結局のところ得意不得意はあっても根本的な部分で似たもの夫婦なのだろう。

 「これは王立騎士学校校長のラミリーズ将軍の許可、ひいては国王陛下がお認めになったことなんだ。こちらの事情で勝手に止めてよいというものではない。それに騎士学校で学ぶのは何も騎士としての心得だけというわけではないんだぞ。バルドの将来にとって決して無駄になるようなことはないよ」

 イグニスは少年の日をすごした王都の日々を思い出していた。
 同い年の身分の壁を超えた親友たちと切磋琢磨した日々、休日の王都に繰り出して馬鹿をやって騒いだ楽しい時間、そのすべてがイグニスにとって大切な財産だった。
 そして初めて抱いたあの女性との―――――。

 「女だね?」 
 「うえっ?」

 初めて付き合った思い出の女性をつい思い浮かべてしまったのがまずかった。
 イグニスから過去の女の匂いをかぎとったマゴットは、たちまち戦場を支配する残酷な女神銀光のマゴットへと変貌した。

 「…………そうかい……まさか童貞を捨てた思い出の場所に、私の大切なバルドを送り込もうとしたとはねえ?」
 「いいいい、いや、そういうわけではなくてね?お願いだから冷静になって、マゴット」
 「ふふふふふふふふふふ……こんな不愉快な気分にさせられたのは久しぶりだよ。どうだい?久しぶりに戦場舞踏と洒落こもうじゃないか………」
 「ちょっ!過去の過ちは時効って言ったじゃん!」
 「私のバルドを穢そうって馬鹿には罰が必要なんだよ!」
 
 
 ―――――一刻後、ボロボロに体中を内出血だらけにして転がされたイグニスは鉄壁イグニスの名に恥じず見事自らの命を守りきった。
 そして肉体言語によるマゴットの懸命の説得にも関わらず、遂にイグニスはバルドの入学を強行することに成功したのである。
 もっともそのために払った代償は甚大というほかはなく、しばらくコルネリアス家では夫婦の寝室から叩きだされて執務室で毛布にくるまるイグニスの姿が目撃されたという。




 なお翌日。

 「行きます!私、絶対に何があってもついていきます!」
 「頼んだぞセイルーン。ラミリーズのじい様には私から話を通しておく。何があってもバルドに悪い虫をつけるんじゃないよ!」
 「お任せください奥様!」

 がっちりと握手する二人にイグニスは未来のバルドの苦労を幻視した。
 どう見ても息子(夫)を心配する姑と嫁の姿にしか見えなかったからである。
 まあセイルーンが嫁になること自体は構わないが。

 「手に余ることがあったらすぐに私を呼ぶんだ。遠慮なんてするんじゃないよ?あの馬鹿旦那みたいにこの年頃の男なんてすぐに童貞を食われちまうんだから!」
 「勿論です。坊っちゃまのパオーンに他の女を近づけるわけには参りません!」
 「パオーン?」
 「い、いえいえ、坊っちゃまの貞操はこのセイルーンが命に代えてお守りします!」

 哀れな息子よ。この際だからセイルーンを早めにこまして味方に引きずりこんだほうが………。

 「また私と舞踏を踊りたいのかしら?」
 「息子をしっかりと頼む」

 すまん息子よ。父も命が惜しいのだ。




 旅立ちの時が来た。
 馬車に乗ったバルドはイグニスとマゴットに深々と頭を下げる。

 「それでは行って参ります。父さま、母さま」

 当然のようにバルドの隣の席を確保したセイルーンは目的を達して満面の笑みである。
 これでライバル、セリーナに一歩リードすることが可能となったのだ。
 もっともあのセリーナのことだからすぐに王都まで追いかけてきてしまうとは思うけれど。

 「しっかりと学んでくるのだぞ」
 「もう一度自分を見つめなおしてみたいと思います………」

 最近とみに虚ろな目で自分を卑下する傾向があるが、それほど先日の叱責がショックだったのだろうか。
 先日などは生まれてきてすいませんなどと言っていたからな……。
 しかし若いバルドのことだ。きっと立ち直りさらに大きな成長を見せてくれるに違いない。

 「これまでありがとうございました、母さま。教えていただいた武がどこまで通用するか試して参ります」
 「ふん……王都の稽古に飽きたらまたあたしがしごいてやるさ」

 (意訳)
 「いつでもうちに帰ってきていいのよ?」

 「そうならないように精進いたします」
 「くっくっくっ………まああまりぬるいようなら私が直接殴りこみに行くからね?」

 (意訳)
 「あまり母を一人にしているとこっちから会いに行っちゃんだから!」


 御者がイグニスに向かって頭を下げると鞭を振り上げ、簡素な二頭立ての馬車は遂に王都へと動き出した。
 座席から身を乗り出してバルドは見送りに来てくれたコルネリアス家の人々に大きく手を振った。

 「みんな!今までありがとう!行ってきます!」

 街道から馬車の姿が見えなくなるまで、バルドもイグニスもマゴットも手を振り続けた。
 そして馬車が見えなくなると同時に、マゴットはイグニスの胸に抱きついてすすり泣きを漏らした。

 「ううっ………バルド……バルドぉ………」

 ぐしぐしと娘のように泣き続けるマゴットを優しく抱きしめて、イグニスはマゴットの耳元に囁いた。

 「よく我慢したね。立派だったよ」
 「ふええ………」

 マゴット・コルネリアス、鬼教官が板につきすぎたのか、さびしがり屋なくせにどこまでも息子の前で素直になれない女であった。



高見梁川の心象世界


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