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やってしまった………
でも左内さんの左内さんたるエピソードだし、やって悔いなし!
間話その2 取り返しのつかない出来事
 騎士学校への入学が決まり、私室を整理していたバルドは悩んでいた。
 懊悩していると言ってよい。
 内から湧き上がる衝動に身を任せてよいものか、そうすることで何を得、何を失うのかについて長い思考をめぐらせてもなかなか答えが出ることはなかった。
 バルドの目の前には金貨の山が積み上げられている。
 金メッキ細工や砂糖の出荷は、バルドの投資分については仲介料の二割を除いてバルドの取り分となっている。
 さらにマヨネーズのレシピ料やオセロの販売料なども順調に売り上げを伸ばしており、バルドの手元にはいつの間にか大量の金貨が蓄積されつつあった。
 そう、金貨!
 理性を狂わす黄金の眩い光が今、目の前にある!
 いや待て待て、ちょっと待とう、お願いだから待ってください!
 バルドのなかで融合している3つの人格が相反する感想をもたらした。
 貴族としての教育を受けているバルドや、現代人としての良識を持つ雅晴はこの種の誘惑に対して抜き去りがたい忌避感がある。
 しかし同一存在となった左内の欲求は、そんな忌避感を大きく上回っていた。

 「こ、これは左内殿への感謝……!命の恩人である左内殿への感謝のしるしっ!圧倒的感謝!」
 
 意を決したかのようにバルドは金貨を床に並べはじめる。
 小判のように叩き伸ばされていないため、表面積は小さいが、金にしか発することのできない摩訶不思議なオーラは小判であろうと金貨であろうといささかも変わることはなかった。
 その眩い輝きにバルドの瞳はみるみる蕩けて恍惚とした表情に変わっていった。

 「この輝き………この無垢な輝きが僕を狂わせる!」

 一枚、また一枚と金貨を並べはじめたバルドは見るも明らかな愉悦の笑みを浮かべて涎をこぼさんばかりであった。
 蓄えられた金貨の数は実に800枚あまり。
 たった半年で稼ぎ出したことを考えれば破格の金額である。
 しかし床一面に金貨を敷き詰めるにはまだまだ数が足りなかった。
 部屋いっぱいに金貨を敷き詰めるためにももっともっと金を稼がなければ、とバルドは思う。
 父の執務室ほどの部屋が全て金貨で満たされたとしたらさぞや壮観な光景に違いない。
 背に腹は代えられず、ある程度の隙間を置いて並べられた金貨はどうにか三畳ほどの広さになった。

 (――――――やるのか?)

 さすがにバルドの理性は躊躇する。しかし感情は興奮に高まり、今にも叫び出したいほどの焦燥すら覚えていた。
 喉がカラカラに渇き、その渇きが癒されるためには、もはやそれを実行するしかないことをバルドは本能的に自覚した。

 おもむろにバルドは服を脱ぎ捨てる。
 健康的に日焼けした肌に、治癒したとはいえまだ生々しい蚯蚓腫れのような傷跡が残された肢体が露わとなった。
 10歳も半ばを迎え、細いながらもつき始めた筋肉とまだ子供らしさを残したいかにも柔らかそうなバルドの肌肉はもし少年嗜好の者が見れば鼻血を噴きそうに美しいものだったが、当のバルド自身はまったく自己愛の趣味はない。
 あるのは金銭に対する異常な執着と愛情である。


 「I can fly!」

 生まれたままの姿を空気にさらしてバルドは自分が並べた金貨の海へ恍惚とした笑みを浮かべて飛び込んだ。




 ゴロゴロゴロゴロ………ドン!
 ゴロゴロゴロゴロ………ドン!
 ゴロゴロゴロゴロ………ドン!

 「げええっひゃっひゃっひゃっひゃあああ!」

 蒲生家家臣岡家の下屋敷では毎月恒例の秘密の行事が絶賛開催中であった。

 「うちの殿もこれさえなければなあ………」
 「確かに……まあ、金に興味がない殿というのも、もはや殿じゃない気もするが」
 「別に金が好きなのは構わないさ。でもこれは……やりすぎだろ?」

 その言葉に同僚は苦笑いしつつ頷く。
 主君、岡左内定俊が毎月小判を部屋に敷き詰め、そこで全裸で転がりまわるという奇癖はいつの間にか噂として家中に広まり、岡家の家臣である彼らは非常に肩身の狭い思いを強いられていたのである。

 「うひひひ………たまらんっ!たまらんぞおおおお!」

 部屋の隅から隅まで転がりまわり、壁にぶつかっては方向転換する左内の姿は、傾き者の多い戦国の世にあってもはっきりと変態というほかはなかった。
 この奇癖を左内はなんと寝たきりになる70歳過ぎまで欠かさずに続けたという。
 岡左内定俊――――どこまでもブレない男であった。(本当に史実です)

 「うほおおっ!来た!来た!来たああああ!!」


 戦では比類なき勇敢で知略溢れる大将であり、平時においても民をよく治めいざという時の備えを怠らぬ、本当に尊敬すべき自慢の主君である。
 ただ、この癖を除いては。

 「自重して…………くださいませんよねえ」

 互いに顔を見合わせた哀れな門番は深いため息とともに、何も聞かなかったことにすることを決めた。




 そんな左内の記憶が蘇る。
 背中で、胸で、頬で、指で、金貨の感触を感じたバルドの口から子供らしからぬ不気味な笑い声が漏れだした。

 「ふへへへへへへへへへへへへ」

 なんと楽しい!この世にはこんな素晴らしく感動的なことがあったのか!
 くっ……もっと量があればさらに金の感触を味わうことが出来たであろうに。

 ゴロゴロゴロゴロゴロ…………。

 縦横無尽に部屋を転げ回りバルドは初めてでありながらとても懐かしい行為に夢中となっていた。
 どれだけ感じても飽きそうにない。
 艶めかしい金の地肌、かぐわしい金の香り、肌で感じる金にしか感じることのできないぬくもり。
 左内に対する感謝の気持ちという建前はすでにどこかへ飛んでいた。
 この至福の時を再び味わうために、もっともっと金を貯めなければならない、とバルドは深く心に誓ったのである。





 丁度そのころ、イグニスじきじきにバルドの王立騎士学校入学を聞かされたセイルーンは、持ち前の笑顔も忘れたかのように生気の乏しい表情で虚空を見つめていた。

 (バルド坊っちゃまがいなくなってしまう………)

 そうなったら自分はいったい誰のために世話を焼けばよいのだろう。
 朝起きてから夜就寝するに至るまで、セイルーンの全てはバルドに捧げられていたと言うのに。
 たとえ何も出来なくてもバルドについて王都に行きたいと直訴しては見たものの、準軍事組織である騎士学校は寄宿舎で共同生活することも訓練のうちなのだという。
 中にはもちろん貴族の子弟もいるが、侍女を同伴する貴族はありえないらしい。

 「うっ………ぐすっ…………」

 ふとしたはずみに涙が毀れてしまう。
 あの惨劇の日からセイルーンはまるで自分が幼いころに戻ってしまったような錯覚すら覚えていた。
 まさかこんなにも自分がバルドに依存していたなんて。

 「坊っちゃま………バルド坊っちゃま………!!」

 かくなる上はバルド自身に連れて行ってもらうほかはない。
 たとえ寄宿舎で暮らすことになったとしても、学校の勉強だけで満足するバルドではないはずだ。
 セリーナとの取引は継続するだろうし、その連絡役はやはり王都にいたほうが便利だろう。
 いざとなれば寄宿舎でメイドとして働いても構わない。
 そうだ!それがいい!
 実に良い考えだと、小走りにバルドの部屋へ向かったセイルーンは逸る気持ちを抑えきれず、ノックもせずに扉へと手をかけた。


 「バルド坊っちゃま!お願い………したいこと…………が…………」



 ガチャリ


 扉を開けたそこには、全裸で金貨に戯れ、あられもない部分を惜しげもなくセイルーンの視線にさらしたバルドの姿があった。

 「坊…………ちゃま…………」
 「セイ………姉…………」

 時が止まったかのようとはまさにこのようなことを言うのだろう。
 互いに自分がどれだけ重大な事態に遭遇してしまったのか、ということを脳が受け入れるまでにしばしの時間を必要とした。


 「いやああああああああああああああああ!」
 「うわああああああああああああああああ!」


 呪縛から解かれたようにセイルーンが悲鳴をあげると慌ててバルドは股間を隠して乱雑に脱ぎ捨てていた服を引きよせる。


 「はわわわ………バルド坊っちゃまのお○ん○んが、お○ん○んが…おっきしてパオーンって………」
 「言わないでセイ姉!お願いだからそれ以上言わないでえええ!」

 悲痛なバルドの魂の叫びもセイルーンには届かない。
 壊れた人形のようにセイルーンは焦点の合わない目で呟き続けた。

 「パオーン………坊っちゃまパオーン…………」

 子供だとばかり思っていたバルドの予想以上に成長していた男性器は思春期を迎えたばかりのセイルーンにはあまりに刺激が強すぎた。

 「お、終わった………時が………せめて時が戻せたらっっ!」

 意識し始めていた女性に痴態を目撃されたバルドの精神的ダメージも並大抵のものではない。
 何もかも終わった絶望の表情で頭をかきむしるバルドと、「パオーン、パオーン」と呟き続けるセイルーンを、呼びに来た侍女長が発見したのはそれから一刻ほど経過した後のことであった。
 事情を問われた二人は黙して何一つ語ることはなかったという。



 ――――――その後、騎士学校へ出立する前日まで、バルドが部屋から出てくることはなかったのである。

 (ワエのせいやないが)

 左内がそうボソリと呟いたかどうかは定かではない。


高見梁川の心象世界


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