第二十一話 少年ということ
ベッドから解放されたバルドを待っていたのは父イグニスの呼び出しであった。
まだ本調子ではないが、心配そうに見守るセイルーンの手前、ここはやせ我慢でも元気なところを見せなければならなかった。
「本当に大丈夫ですか?バルド坊っちゃま。お屋形様もどうしてついてきちゃいけないなんて言うのかしら………」
「たまには親子で語り合う必要もあるんじゃないか?」
もっともそんな甘い理由ではないだろうけれど。
父の怒りを思うと暗澹たる思いに囚われるが、全ては自分が蒔いた種だ。
「お戻りになったらすぐに包帯を替えますからね?あととっておきのおやつも用意しておきますから!」
バルドが倒れて以来セイルーンが前にもまして過保護すぎる気がする。
冗談か本気かわからないが、昨夜「お背中を流しましょうか?」と言われたときには危うく下半身が反応しかけた。
雅晴の記憶にメイド萌えを刷り込まれたせいなのだろうか………。
これから先、セイルーンとの距離感を掴みにくくて不安を覚えるバルドであった。
「失礼します」
「バルドか。入るがいい」
イグニスの執務室は重厚なオーク材をふんだんにつかった無骨なもので、装飾品はほとんどなく端整に整えられた書類の山は、おそらくイグニスによるものではなく優秀な家臣団の血と汗と涙の賜物であろう。
生死の境を乗り越えて生還した息子を出迎えるにしては、イグニスの表情は硬く険しい。
バルドは自分の想像が正しかったことを知った。
むしろここで怒らないほど父の頭がお花畑であっては困ると思ったくらいであった。
ドガッ!
鈍い打撃音とともにバルドの身体が吹き飛ぶ。
わかってはいたが、さすがに目にもとまらぬ速さであった。
まったくノーガードでもらってしまったバルドはそのまま執務室を転がり、来たばかりのオーク材の扉にぶつかってようやく止まった。
鼻血が噴きだし、まだいくつか残っていた乳歯が折れて口腔内を血に濡らした。
「なぜ殴られたかはわかっているな?」
「―――――はい」
何も言い訳するつもりはない。
全ては自分の慢心が引き起こしたことである。
もしもここが戦場であれば首をはねられても文句は言えないところであった。
「いつからセルヴィーの干渉があると思っていた?」
「本格的に農場が稼働してセルヴィー侯爵に情報が届くまで、ふた月はかかるまいと思っていました。その後情報を収集して堪忍袋の緒が切れるまで………ころ合いだと思っていたのは確かです」
「それをなぜ報告しなかった?」
「ひとつにはあくまでも農場は、伯爵家ではなくサバラン商会のによる民間起業という体裁をとっておりましたので下手に内容をお教えしては逆に迷惑が及ぶのではないかと思ったこと。そしてもうひとつは………私が十分対処可能であると考えていたことです」
そう、たかがセルヴィー侯爵の配下程度に負けるはずがないと高をくくっていた。
厨二病にありがちな全能感に陥っていた昨日までの自分を思い出しただけで、死にたくなるほど恥ずかしい心地がする。あるいは黒歴史というのはこのことを差しているのかもしれない。
「大した自信だな。それでセルヴィーの犬はそれほど弱かったか?」
「いえ――――私が母以外で初めて敵わぬと思った立派な騎士でありました」
あのときセイルーンとセリーナが現場にいなければ、もう一度バルドが立ち上がれたかどうかははなはだ疑わしかった。
そう思えるほどにバルドはトーラスの技量に巨大な壁を感じていたのである。
訓練と言う名のストレス解消をマゴットにとられ、イグニスはまだバルドと剣を合わせたことがないが、父イグニスや将軍のラミリーズなどはあまりに実力がかけ離れ過ぎていて比較の対象にならない。
そうした意味でトーラスはバルドにとって初めて敗北感を与えられたライバルであったと言えるのかもしれなかった。
「もし敵わなければなんとした?」
「セイルーンとセリーナは連れ去られ傭兵たちは全滅したでありましょう」
あのまま負けていれば間違いなくセイルーン達は連れ去られただろう。
そして情報を得るだけ得た後、彼女たちが解放される可能性は皆無である。
誘拐犯の素性と目的を秘匿しなければならない以上、二人は絶対に殺されていたはずであった。
バルドはその慢心によって二人の女性の命を危険にさらしたのである。
「二人がいたのは偶然と聞いた。本来我が領内の子供たちがその危険を担うはずであったのだ。お前が死ねば何の罪もない子供たちが死んだ」
「その通りです」
守らなければならないはずの民を危険にさらした。
それこそが問題の本質である。
イグニスが領民をどれだけ大事にしているか知っているだけに、バルドは己の愚かさ加減に歯噛みする思いであった。
ちゃんと避難訓練をしているから。
子供にはどうせ情報価値がないだろうから。
ジルコたち腕の立つ傭兵と自分がいれば敵を制圧するのは簡単なことだから。
そんなたらればばかりで、実際に子供が命の危険にさらされることなど本当の意味で想像もしなかった。
「我々貴族は国と民を守るためにこそ存在する。民を逆に我々の都合で危険に遭わせるなどあってはならぬことだ。その誇りと覚悟がお前には足りなかった」
無言でバルドは頷く。
左内や雅晴の知識があるために勘違いしていたが、バルドの本質的な部分はやはり10歳の少年なのだ。
子供らしからぬ政治的な策略をめぐらし、大人顔負けの武力を誇ろうとも、責任を背負う覚悟や生死をかけた闘争の経験のない上っ面のものでしかなかった。
それが今回の襲撃で白日のもとにさらされたのである。
「頼りない父に思えるであろうがな………それでもお前は子供なのだ。少なくとも私はお前のように守るべきものの軽重を違えることはない」
イグニスにも政治的にも経済家としても自分が3流であるという自覚はある。
おそらくバルドが遠慮した理由に、自分のその方面に対する配慮があったであろうということもわかっていた。
何せ交流のある数少ない貴族仲間から尋ねられるまで、自分の領内で砂糖が作られているらしいということも知らなかったのだ。
命に代えても領民を守る自負はあるが、領民を富ませるということに関しては自分よりもバルドのほうが優秀であるのかもしれない。
しかしその引き換えとして領民の命を賭けのチップに乗せるという行為はイグニスの貴族としての禁忌に触れるものだ。
マウリシア王国の藩屏たる貴族であるからには踏み越えてはならない一線があり、守らなければならない誇りがあった。
そうでない貴族のほうが多いのかもしれないが、そんなことはイグニスの知ったことではない。
少なくとも武門のコルネリアス家はそうあらねばならない、と当主がそれを知っていれば良いことである。
今回の一件があって、イグニスは自分がその騎士としての誇りをどこで学んだかを思い出していた。
「才あれど覚悟のない者に領主は務まらん。バルド、本来12歳からではあったが来月より王立騎士学校に入学しろ」
王立騎士学校はその名の通り騎士を養成するための官営の学校である。
イグニスも12歳から16歳までの4年間をここで過ごして多感な少年時代を送った。
初めて女を知ったり、色街で遊びを覚えたのもこのころだというのは、もちろんマゴットには内緒である。
本来12歳からの入学であるところを、特例で10歳での入学を認めたのは誰あろうラミリーズ将軍であった。
戦役の終了から一線の任務をはずれたラミリーズは昨年から王立騎士学校の校長に任命されていたのである。
ラミリーズはバルドの入学をもろ手を挙げて歓迎した。
「二つほどお願いがあります」
「言ってみろ」
「農場の子供を危険にさらしたのは私の落ち度でありますが、彼らにとっては給金を得られる貴重な職場です。どうか引き続き働きの場を得られるよう保護をお与えください」
いつの世でも子供の労働力というのは安価で割に合わないものである。
子供にも出来る軽易な労働でまともな報酬が得られるバルドの農場は、子供たちの親にとっても貴重な収入源になっていた。
さらに農場はサバラン商会の収入源の一部であり、その利益の一部はコルネリアス領の税収となって還元されるものでもある。
ここで廃止してしまうには悪影響がありすぎた。
「衛兵にはまだ余力がある。セルヴィーづれに手出しはさせぬと約束しよう」
「ありがとうございます。二つ目は、今後サバラン商会に対する貴族からの介入があるでしょう。しかしあの商会はコルネリアス領の発展には欠かせぬもの。決して他家の介入を許さぬようお願いいたします」
サバラン商会は今や金の成る木である。
コルネリアスのような田舎より自分の領地に、税を優遇するから移転してくれないか?という勧誘から、砂糖の製法を教えなければ貴族の特権を利用して罪に問うぞ、と脅迫してくる可能性も十分にあった。
セリーナがバルドを裏切るとは思わないが、コルネリアス領の繁栄を妬んだ貴族から魔の手を伸ばされる可能性は高かった。
「あのセリーナという少女の商会か。彼女にはお前の治療に貴重な薬を調達してもらった借りがある。私の力の及ぶかぎり助けると誓おう」
この単純な割り切りと誠意こそがバルドの父の誇るべき美点であった。
同時に欠点でもあるが、そこはバルドが補ってやれば済むことだ。
これがほかの領主であれば、サバラン商会の秘密を聞き出し、自ら儲けの独占に走ったことであろう。
それがどれほどの富の源泉となるか、イグニスはわかっているのだろうか?おそらくはわかっていないだろうが、仮にわかっていたとしてもイグニスの答えは同じであることをバルドは確信していた。
「それでは最後になるが…………」
領主としての険しい顔から一転して、イグニスは笑顔になると、くしゃりとバルドの銀髪を撫でて腰を下ろしながらバルドを力一杯抱きしめた。
久しぶりの父の抱擁は、母と違ってごつごつと硬かったが例えようもなく頼もしい安心感に満ちたものだった。
「よく生きて戻った。心配させおって………」
「父さんっ!」
不意に堰を切ったようにあとからあとから涙が溢れてくるのをどこか他人事のように感じながらバルドは泣いた。
父に許してもらったこと。
本当は死ぬことが途轍もなく恐ろしかったこと。
もしもセイルーンやセリーナが死んでいたらと思うと夜も眠れなかったこと。
そんな不安とも安堵ともつかぬものが心から溢れて止まらなかった。
壊れたようにワンワンと泣いて、バルドは今こそ自分が10歳の餓鬼にすぎなかったという事実を受け入れていた。
高見梁川の心象世界
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