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第二十話  戦い終わって
 騎士団の支柱、メンバーの最大戦力であるトーラスの死は残された仲間たちの士気を決定的に打ち砕いた。
 たとえ死んでも任務が達成されるならばよい。しかしトーラスが死んだ以上任務が達成される確率は皆無に等しいものとなったのである。
 もはや彼らに残されたのは、故国の迷惑にならぬよう立派に戦って死ぬことだけであった。

 「いやいや、驚いた。おみそれしやした」

 ジルコはバルドのまさかの勝利に心底驚愕していた。
 間違いなくトーラスは化け物の領域に達しようとしていた武人であった。すなわちそれはバルド自身が化け物の仲間入りを果たしたということにほかならない。
 10歳の化け物とは、いかにマゴットとイグニスの血統を引いたことを差し引いても、空恐ろしいものと言わなければならなかった。

 「悪いがこっちの勝ちだ。手柄を逃すなよ」
 「おうとも。金貨10枚は俺がもらった!」
 「冗談!誰がお前なんぞに渡すかよ!」

 負け戦となれば真っ先に逃亡するが、勝ち戦となれば誰よりも勇敢に戦うのが傭兵という人種である。
 トーラスという支柱を失い、退路を断たれた騎士たちはそう長くは粘れなかった。
 それでも包囲を突破し森に逃げ込もうとあがいたものの、森に到達するまでに半数以上を失い、森に入ってからはセルの投擲術の前に為すすべもなかった。
 彼らは一流の騎士ではあったが、トーラスのように限界を突破した存在ではなかったのだ。
 結局夜の帳を待つことなく、侵入した騎士たちは全滅した。
 ジルコたちに手加減する余裕がなかったこともあるが、結果は同じであったろう。生きて捕虜となったものは一人もなかった。




 バルドが見るも無惨な重傷を負って運び込まれたことで伯爵邸は騒然となった。
 ありったけの治癒師が呼ばれ、薬についてはセリーナのサバラン商会が最高級品を調達した。
 息子の変わり果てた姿を見たイグニス伯爵は拳を震わせて絶句したという。
 幸いなことに回復力の高い子供ということもあって、バルドは急速に回復していった。
 しかしさすがに露出するほど激しく折れた右腕の骨や、ちぎれかけた左手の指は回復に一月程度の時間を必要とするようであった。
 セイルーンは寝食を忘れてバルドの看病にあたった。
 侍女長は本来休ませるべきところであるが、セイルーンの気持ちを慮ってそれを許した。
 実際半日以上涙の止まらなかったセイルーンは看病でもしていなければ、精神の均衡を失うことにもなりかねなかったであろう。

 「渡さない、この命賭けても」

 そう言って背後にセイルーンたちをかばったバルドの小さな背中が今でも瞼の裏に焼きついて離れなかった。
 頼もしいと思った。一人の女としてうれしいとさえ思った。
 ――――――バルドがまるで使い古されたボロ雑巾のように吹き飛ばされるまでは。
 バルドでも斬られれば怪我もするし、戦えば死ぬこともあるのだ。
 そんな当たり前のことに気づくと、途端にバルドを失うことが恐ろしくなった。
 
 死なないで
 死なないで
 今度は私があなたを守るから
 あなたを傷つけるくらいなら、私が死んで終わらせるから。

 気になる男性として意識し始めたというだけではない。
 いつの間にか何もかもがバルドを中心に回っている自分に気づいた。
 だからこそ、バルドの重荷になってしまった自分が許せなかった。

 「セイ姉、泣いてるの?」

 治療から3日目の朝、ようやくバルドは目を覚ました。
 いつもと変わらないバルドの優しい眼差し、綺麗なマリンブルーの瞳を覗きこんだセイルーンは破顔してバルドの首筋に飛びついた。

 「坊っちゃま!バルド坊っちゃま!!」
 「いてて………セイ姉、大丈夫、もう大丈夫だから……」

 わんわんと泣きじゃくるセイルーンの茶金の髪を撫でながら、バルドは自分が生き残ったことを実感していた。
 ぼんやりとだが、左内の人格が出てきて敵を倒したような記憶はある。
 しかしそれは例えるならばTV番組の中継を見たような実感の伴わぬものでしかなかった。
 セイルーンの柔らかな肢体と温かい体温を感じることで、あの死地から生きて帰ったことをようやくバルドは理解したのである。
 すでに疲労の極に達していたのだろう。
 抱きついて泣いていたセイルーンはすぐに安らかな寝息をたてはじめた。

 「おやすみ、セイ姉」

 このところ成長の著しい胸の感触が離れていくのを若干名残惜しく思いつつ、バルドは優しくセイルーンの腰に手を回すと彼女の細い身体をベッドに横たえた。





 一方そのころ、コルネリアス伯爵家下屋敷ではジルコたち歴戦の傭兵が身を寄せ合って震えていた。

 「久しぶりだねえ、ジルコ。いや、今は突風のジルコと呼んだ方がいいのかい?」
 「い……いやだねえ姉御。ジルコでいいって………」

 そう言いつつもジルコは全身が冷や汗に濡れるのを抑えることが出来なかった。
 あの不遜なジャムカですら顔面を蒼白にして黙りこくっている。
 余計な口をはさむにはマゴットのまとう殺気があまりに強すぎたのである。
 
 銀光マゴット、同じ年代の傭兵の間ですら伝説の人物として語り継がれる女傑である。
 普通噂というものは誇大に語られるものだが、彼女に関する場合噂のほうがおとなしいという事態が往々にして存在する。
 類まれな美女である彼女には、下級貴族をはじめとして数多くの男たちが言いよったものだが、自分より強い男としか付き合わないと言った彼女は戦役の数年間の間に、実に百人以上の男から決闘を挑まれた。
 その結果はもちろん無敗。なかには10人がかりで挑んだ貴族もいたが全く相手にもされずに一蹴されたという。
 彼女一人で一個大隊に匹敵するとされた化け物中の化け物が、今にも食い殺さんばかりの殺気をまき散らしているのに怯えるなというほうが無理な話であった。

 「それで?私の息子をあんな目にあわせた男はどこの何者だい?」
 「…………大将はセルヴィー侯爵の手のものだと言っていたがね」
 「奴ら本気で私に喧嘩を売るつもりなのかねえ?」

 くつくつとマゴットはいかにもおかしそうに嗤った。
 だがその笑顔をみせつけられたジルコたちはたまったものではない。下手をすればいますぐセルヴィー侯爵に殴りこみをかけそうな錯覚に襲われて思わず背筋が震える。
 あの銀光マゴットであれば、あながち不可能ではないと思えてしまうところが恐ろしかった。
 
 「あんな息子でも私が鍛えたからね。随分と張り込んでくれたようじゃないか……」
 「ああ、大将が相手をした男は本当にやばかったね。十年も修行したら姉御ともいい勝負をしたかもしれないよ」
 「へえ…………ジルコ。私の息子にそんな男を任せておいて随分と余裕があったようじゃないか」

 (藪蛇だった―――――!)
 (てめえ!余計なこと言ってんじゃねえよ!)

 ジルコたちはバルドが死にかけた責任をいつ追及されるかと気が気ではなかった。
 まさかとは思うがマゴットが息子可愛さのあまり、ジルコの不手際を責めてきた場合、ジルコたちにマゴットに対抗する術はない。
 傭兵を引退して10年、少しはマゴットとの力の差は縮んだかと思ったが、現実はむしろ開いていたらしかった。

 「いやっ……それは大将に残った連中の足止めを命じられていたからで……」
 「雁首そろえて足止め?稽古からやりなおしたほうがいいかしら?」
 「勘弁してください。死んでしまいます」

 マゴットは手加減と言うものが苦手で、訓練を任せると半分以上の新兵が壊されたという逸話をジルコは知っている。
 まして八つあたりまでかぶった日には本気で死んでしまいかねなかった。



 「運が良かったねえ、ジルコ………」

 その瞬間、マゴットの声が凍りつくように低くうなるような声に変わった。
 10年を経過してもなお、戦場の死神としてまるで空気の密度が増したような濃厚な死の気配は健在であった。
 
 「傭兵は生き残るのが第一だしそれについて私が言うことは何もないよ。でも、もし息子が死んでいたら地の果てまで追いかけても首をネジきっただろうからね」
 「はは………冗談きついよ姉御…………」

 ばれている!
 バルドを見捨てて逃げようとしていたことを見抜かれている!
 顔を痙攣させてジルコは背中ばかりか額から一斉に汗が顔を流れ落ちていくのを感じた。
 冗談どころかマゴットはやると言ったら絶対にやる有言実行の人だし、その力も十分以上に備えた人である。
 しかしそれを表だって認めてしまうのはさらに事態を悪化させる可能性しか感じなかった。

 (よ、よかった!逃げないでおいて―――――!!)

 バルドが立ち上がったあの瞬間まで、ジルコは九分九厘まで逃げる決心を固めつつあった。トーラスが参戦してきた場合こちらが全滅する未来しか描けなかったからだ。
 雇い主が死んだのに命果てるまで戦い続ける傭兵はいない。
 傭兵としてジルコの判断は決して間違っていなかったし、それはマゴットも認めていた。
 しかしバルドの生命を失ったという結果責任はそれとは別に発生するのである。
 復讐の決意も露わにした銀光マゴットに首を狙われるなど、想像するだに恐ろしい話であった。

 「馬鹿息子にももちろんお仕置きが必要だが――――手下のあんたたちにもお仕置きをして悪いとは言うまいね。まだ契約は解除されてないだろう?」

 マゴットの言葉にいい年をした歴戦の傭兵は顔色を真っ青にして口ぐちに抗議の声を上げた。

 「待ってくれ!もう任務は終わりだろ?」
 「ていうかお仕置きって何?」 
 「俺には国においてきた妻が………」

 どさくさにまぎれて何やらカミングアウトしている男もいたが、マゴットは獰猛に嗤うと彼らに最後通告をくだした。

 「―――――命があるだけありがたく思いな」

 溺愛する息子を殺されかけてマゴットは静かに、深く激しく怒り狂っていた。
 今はそのストレスを幾分でも発散しなくては本気でセルヴィー侯爵領に殴りこみに行ってしまいそうであった。




高見梁川の心象世界


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