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研幾堂の日記

Quemadmodum desiderat cervus ad fontes aquarum,
ita desiderat anima mea ad te, "Veritas".

Noli foras ire, in te redi,
in interiore homine habitat veritas.

An invenisti, anima mea, quod quaerebas?

ΛΕΓΕ ΑΥΤΟΣ ΚΑΙ ΠΕΡΑΙΝΕ

ex magna luce in intellectu magna
consequuta est propensio in voluntate.

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2013-05-15 九条護憲のような九六護憲にならないために このエントリーを含むブックマーク

 新しいノートパソコンの新しいブラウザは、古いパソコンの古いサファリで見に行くと、ソフトが落ちてしまうので読むに読めずにいた、ネット上の様々な記事にアクセスできるようにしてくれた。それでこの数年間、とんと読まずにいたような著名なブログの数々なども、久しぶりに覗いてみたりしている。

 してみると、なんと数多くのものを読まずにいたことかと、あらためて感ずる。が、思えば Googleトップページすら、何故だか Safari がシャットダウンしてしまうのだから、一体どうやって読むものを見つけて訪ねていたのか、つい少し前のことなのに、自分でもよく分からない。

 で、読めなくなっていたことは、特段の損失でもなく、ものによってはかえって良かった、かような感想を持つこともしばしばである。著名な学者ブロガーの、しかブックマークがたくさんついているような記事で、あれこれの事柄の理解がこんなんでいいのかぁと、気分の悪い、釈然としない、不安と不審の混じり合った、幻滅と軽蔑区別できない、そんなこんなの性格違和感に、昔と変わらずに捕われる。

 そして一言、何か言いたくなる。国民国家を共同体と同一視したものなど、その一つである。そも国家と共同体とは、別々の概念なのであって、(おそらく文字面からして)国民国家もまた国家概念の一種なのであるから、同一物のように記すのは非常におかしなことである。 が、こうした同一視は、天皇制国家の理解と説明においては通例のものである。天皇制国家は、常に歴史的・文化的・宗教的、そして単一民族の共同体として説明される。そこではいわば、国家が共同体に擬せられているのである。

 またそうやって、共同体に擬似的なものとして国家の理解が与えられる。そしてこの国家理解が、戦後日本では、天皇制国家とは呼ばれずに、国民国家の語でもって語られてきた。そんなすり替えめいた工夫を誰が何時したものか、私は正確に知らないが、ともかくも、そうした言い換えが現在もよく行われている。

 ・・・一昔前の政治学、もしくは国家学的な国家概念の分類(・・・警察国家、法治国家というあの古風な分類のことである。)では、国民国家というものは含まれていない。ところでその類型、あるいは発展系列最後に、文化国家というものが言及されることがある。不思議なことに、戦前のその手のテキストで、のみならず戦後なら矢部貞次などの著作で、文化国家について述べられているものが、ほぼそのままに、今日各所で目にする「国民国家」の意味するところと重なり合う。

 それで私の読んだものでは、世界の歴史あるいは政治の流れは、国民国家を解体させるか、崩壊させるかするもので、それはまた、我々国民にとってバッドニュースなんだそうである。国家を共同体視させたり、あるいは文化国家、もしくは(戦後的な)天皇制国家として日本国を理解させようとしたりすることが、(そうした国家としてあり続けることが、)世界の変化の中で、不適切になっていくのなら、私からしてみれば、まことグッドニュースであるが。

 そんなこんなを記すのはここまで、これから本題。最近憲法六条改正反対の論を見ていると、私には、九条護憲の論を読んでいるような感覚に捕われる。岩波の『世界』最新号の目次を広告で眺めていたら、昔日の九条護憲の特集を見ているようなデジャビューに襲われる。そうして、最近の動きを、九条護憲ならぬ九六護憲と名付けたくなる。そう名付けて、自分でそうしていながら、九六護憲の論の有効性か、射程か、あるいは(提起される)問題性や批判性(の実質)やが、九条護憲と同じように曖昧で正体不明になっていくように思えてきた。以下に記すものは、この懸念をその根底に置くものである。

 さてまずこんなところから。今、憲法を守ろうと考えている人たちは、何を守ろうと考えているのであろうか?。憲法の字句、条文といった文言であろうか?。しかしただの言葉あるいはテキストを維持することのみを、彼らは意図しているのではないし、またテキストの保存のみを彼らが護憲と言っている筈はない。なぜなら憲法の文言は、それによって国制、国家機構、主権の性格、人々の権利といった、政治上の現実を規定するものであり、そして誰だって、問題の焦点はただの言葉ではなくて、現実そのものであると思っている筈であるから。

 ところで憲法の文言と、それによって規定され、かつその規定通りに存在する筈の現実とを見るならば、特にこの国家の実像を虚心率直に受け止めるならば、憲法の文言がそれとして意味している(意図している)ところのものと、現在の日本国との間に、大きな相違が存在していることを事実として認めねばならない。しもかこの著しい相違は、人々の主権、民主主義の政治、武力放棄による平和主義といった点を核として理解する立場からすれば、さらにまた同時に、政治の現実を冷静に、実態に即して把握する姿勢からすれば、昭和憲法の諸条文、諸文言が、いわば空文句になっているのではないか、かように受け止めねばならないと促しているようにすら思えるものである。

 例えば昭和憲法で天皇は、象徴として規定されている。ところでここで、人々の主権(国民主権)という根本原則に忠実に解すればそうなる筈の天皇と、実際の天皇の政治的役割あるいは行動とを並べてみよう。我々はそのとき、前者の天皇と後者の天皇との間に、乗り越えられないズレが生じていることを認めねばならない。昭和憲法での天皇とは、そこに列挙される国事行為を行う限りのものである。それらを行っていないときの天皇は、憲法でと同じく天皇と呼ばれはするであろうが、日本国の統治にとっては、いかなる意味も持たないものである。

 しかしながら我々に周知のことは、公的行為を行う天皇というものがあるし、これを行っている天皇は、政治上に有意なもののみならず、統治上の意義もまた(不明瞭ながら)与える得るかの如きものである。そしてその意味での天皇が、憲法学に一般に見られところでは、象徴としての天皇であるともされている。がしかし、国民主権(人々の主権)を憲法解釈の原点に置くに努めるなら、(・・・いや、そんなに力んで臨まずとも、誰もが程度の差こそあれ理解出来ることは、)準国事行為や公的行為の天皇というものが、憲法の天皇規定を原則に反しながら拡張解釈したものであり、その拡大解釈された天皇は、もはや単なる象徴天皇(国事行為の天皇)ではなくして、天皇制国家の天皇に相当するものであると言わねばならない。

 また例えば、我が国の人士に普く知られているように、九条の武力・戦争放棄に対して、自衛隊という軍事力の保持ならびに日米安全保障条約に基づく実力的紛争解決への協調あるいは支援・後援(、また近い将来、それへの参加も加わろう。)が行われているのは、日本国の非憲法的、反憲法、憲法違反的現実である。

 さらに人権についても、天賦不可侵の権利と解してのそれに対して、実際の権利の状態、あるいはその尊重のされ方は、様々なケースや観点から、憲法と現実とがズレているか、あるいは現実への取り組みに際して憲法が顧慮されていないと言い得るであろう。今はそのひとつに、民法の改正のことを挙げておこうと思う。詳細に論じないが、形式的にはその改正案作成の手順に於いて、内容的には新民法の諸規定に於いて、官僚政府ならびに法学者の考える権利は、昭和憲法が(自然権思想ならびに人権宣言の流れを受けて)権利と考えているものとは、全く別ものである。(おそらく、日本の法学者ならびに官僚政府にとって、権利とは純然たる実定的なもの、あるいは実定法上の制度で、それ以外のいかなる根拠も無いものなのであろう。)

 三権分立に関して見るならば、行政(官僚政府)と司法とが、憲法上要求されているような、互いからの独立性を実現させているとは、日本の裁判を注意深く見る者ならば、到底に言い得ない。裁判所は、官僚政府全体にとって、法務省を介して、まるでその一部分の機関であり、また、官僚政府の意思実現を、法律的に正当化することで補強するような役割を果たしている。

 最後に、議会(国会)を見れば、憲法に言う国権の最高機関たる実質は、そこにはまったく備わっていない。のみならず、かような権威と権能とを、国会に認めるようなまなざしは、例えば九条を守れと声高になるような者も含めて、様々な立場、関心からの護憲論者にすら持たれていないものである。彼らですら、もし現実政治へと目を向けて、そのあるべき姿を論じようとするならば、昭和憲法のことをまったく忘れてしまう。と言うのも、彼らは九条を守れと声高に言うのと同じ調子と頻度で、政治家代議士)が政治に関わることを、許容も是認も出来ないものと繰り返し告げるからである。

 だからこう言ってもなんらおかしなことはない、すなわち、護憲論者の多くは、憲法が規定し、そうあるべきとする国政とは、まったく異なった姿で存在している政治的現実、しかも、その異なった姿にこそ日本国をあらしめようとする者達が、そうつくりあげ、そう維持し、そしてこれからもますますそうしていこうとする日本の国制に即して、(昭和憲法とは大きくズレている現実の方にこそ即して、)政治を考えているのである。

 さてこうしたズレを直視するならば、現在時点、我々が憲法を守ると言うとき、それは何を含意してのものであるだろうか?。ズレを併せ持った憲法の現状を、護憲論は意図すべきものであろうか?。昔日の天皇を目して拡大された天皇条項、死文の九条、虚文の最高機関、実態なき三権分立、尊重されざる権利、かような憲法的状況を含めて、我々は護憲と言うべきなのであろうか?。

 ここで、私のようにズレを大きく意味付け、いわば不十分な側面を過剰に押し進めたりせず、たんにいくつかの不備、不足を言う穏当な立場に身を置き、そこから昭和憲法の理念理想を実現するのを目指すこと、これが護憲であると言う者もいよう。なるほど言うまでもなく、九条護憲をはじめとして、護憲とは常にそうした意味のものであった。

 我々の現在の憲法は、過去のその公布の時点で、それまでの非民主的な国家、およびそれまで強く・広く所持されていたところの、かような国家を理想とする諸々の思想・価値観信条を否定して、昭和憲法の目指すところの、国民主権による民主主義国家を建設することを、人々に促すものとされてきた。

 だから護憲、憲法を守るとは、まず第一に、天皇制国家の諸機構の遺産や、そこに生じた思想などを保守している者達やが持つところの、日本国に於ける政治的な力との対立、抵抗、そして克服の努力を言うものであった。そしてこの努力は、あの歴史的時点を顧みて言えば、長期の大規模な対外戦争の遂行のために、民主主義政治の出現に作用する政治要素と社会的性格を、ほとんど破壊され、微力にされた政治・社会状況の中で行わねばならないものであった。

 それはいわば、政治的空白からの出発だったのである。そして戦後の政治史は、およそ最初の十数年は、明治憲法体制を引き継ぎ保守する勢力の、戦争期から存留し、継承された、圧倒的な政治力に対して、廃墟的な無から出発し、それに導かれ、それに希望を持つ者達よりなる、昭和憲法に即した民主国家を作り出そうとする勢力が成長していくものであり、次の時期には、前者に対して後者が圧倒的な政治的優越を獲得し得ずに、まるで共存関係のごとくになって併存していくものであり、そして現在まで続く時期では、前者との共存・併存関係の中で、一方の後者から、昭和憲法を実あるものにする努力が弱まり、その営みの努力が理解されなくなり、他方の前者には、昭和憲法に引き寄せた言葉で以て、明治憲法体制的な政治・国家のあり方を説明する巧妙な政治的言説が、ふんだんに形成されることになった。

 言って見れば、昭和憲法に従ったところの民主主義を目指そうとする護憲は、空虚に始まり、虚妄に賭け、そして虚飾に落着したのである。しかも、この虚飾は、天皇制官僚政府の偽装的な民主主義として観察されるものばかりではない。現代に於いて護憲を言う者の多くが、民主主義を偽装した、巧妙な政治的言説に捕われたままに、しかもまだなお加えて、民主主義の諸概念、諸理念、諸原理を明瞭な観念として持つこと無く、むしろ天皇制国家を根底のコンテキストとしながら政治を考えているという、そういう意味での虚飾としても看取されるのである。

 すなわち、九条護憲は言わずもがな、護憲の立場の、伝統的な意味合いを保持してのものの多くは、とりわけ近時の政治的言説に範をとったところの、だからまたその欺瞞性や非民主主義的志向に知らず籠絡されたり、無反省に落ち込んだままの護憲論は、もはや護憲の実質を伴わないものとなってしまっているのである。

 そこで今もし護憲と言うならば、それが昭和憲法に何らかの関連をも持ちながらそう言うならば、それが実ある意味となるには、次のような立場しかない。すなわち、民主主義そのものの理解を深め、その可能性を見極め、その実現方法を堅実に見定める、そうした姿勢を堅牢に保持しつつ、昭和憲法をもいわば手段にして、それが現実政治に於いて不十分ながら出来させたものを手段にして、ならびに偽装的、外面的に利用されているものですらも手段にして、時々の状況が開いてくれるとば口をきっかけに、やがて民主的政治に結実するであろう、その前段階的、準備的、呼び水的(政治的)果実を手に入れるよう勉めること、これである。

 だから私自身は、現在の昭和憲法に準ずるかのごとくして、実質、その理念も原理も伴わず形式的、外面化して出来上がった体制(これについて、実体上、それが民主主義のものとは、もうまったく言えないと私は考えている。)も、そうした体制を説明しての、かつ昭和憲法に由来しての、偽装的な言説の数々も、さらに、欺瞞の政治言説に知ってか知らずか加担しての、護憲のつもりの言論も、金輪際・・・、可能な限り賛同したり、同調したりしようとは思わないし、その意味で、護憲ではない。今しばしは、ただもっぱら民主主義を望むばかりであり、この希望の一部として、(直前の段落で述べた意味で)護憲的な意見を言う者である。

 ・・・そして私は、憲法改正ですら、この意味での護憲の機会と考えている。もちろん、情勢や条件を考えれば、その意図するものを手に入れられるとは全く楽観できないが。さりながら、ズレた憲法状況を結局は守るような護憲でなくして、昭和憲法にただ単に依拠するのでなく、民主主義の実現を目指す中で、その存在を役立たせる護憲を目指そうと考えている。

つづく

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