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第十八話  敗北、そして……
 バルドはトーラスを一目見て彼が一流の戦士であることを感じ取った。
 そこまでしてコルネリアスの裏を覗きたかったのか、とバルドは自分がセルヴィー侯爵の妄執を甘く見ていたことを悟った。
 ――――――失敗だった。全て僕の責任だ。
 敵の戦力を甘く見積もり、その甘さのためにかけがえのない少女を危険にさらした。
 許されざる失態である。
 敵が本当に野犬であればセイルーンは素直に逃げただろう。
 そして彼らがセルヴィー侯爵家の放った猟犬であると知れば、いかにバルド付きの侍女であろうと当主イグニスに注進したはずだった。
 結局は現状をコントロールできるという自分の慢心が全ての元凶である。
 なればこそここは命を賭けても二人を守らなければならなかった。
 無言のままにバルドは剣を抜く。
 目立つために槍を携行することをためらったのも失点だった。
 トーラスが槍を携行していない以上、武器の優位はバルドにとって心強い味方となったに違いない。
 
 「そこの女を渡せ」

 「ひっ!」

 トーラスの言葉にセイルーンとセリーナの身体がブルリと震える。
 問答無用にセイルーンとセリーナに襲いかからないのはトーラスの勘が、バルドを強敵だと見抜いたためだ。
 理性はたかが餓鬼一人と訴えていたが、こと戦場では勘を優先させなければならない場合があることをトーラスは知っている。
 それにまるで女の子に見紛うばかりの少年が、あの手練の傭兵一人一人に匹敵するだけの殺気を放っていることだけは間違いない。
 油断なく間合いを詰めるト-ラスにバルドは舌打ちしたい思いであった。
 子供だと思って油断する気配が微塵も感じられないからである。
 獅子は兎を狩るにも全力を尽くすというが、トーラスもまた任務のために力を出し惜しむような男ではないということなのだろう。

 「渡さない、この命賭けても」

 バルドの一言でトーラスは少年が死すまで退くことのないのを知った。
 これは驚くべきことだ。
 死を恐れながらも死を覚悟することのできる人間は少ない。
 トーラス自身、死ぬことを覚悟出来る人材を選抜した結果、危うく侵入部隊は10名を割り込むところであった。
 かろうじてドルンの配下から3名ほどの応援をもらい、今の戦力を集めることが出来たのである。
 それほどの誇るべき部下と同じ覚悟を10歳程度の少年から感じたことに、ト-ラスは新鮮な驚きを禁じ得ない。
 同時にこうした覚悟を持つ兵士がどれだけ絶望的な状況下にあっても、決して諦めない不屈の戦士であることをトーラスは誰よりもよく承知していた。

 「ならばよし」

 たとえ子供であろうとも倒すべき雄敵。
 トーラスは一気に加速してバルドとの距離を詰めた。
 それを見越したかのように、目にもとまらぬ早業でバルドはトーラスに向かって石を投げつける。
 通常であればいともあっさりと人を殺すに足りる一撃だが、トーラスほどの武人を相手にするには素直すぎる攻撃である。
 余裕を持って回避しようとしたト-ラスの前で、子供の拳ほどの石塊は木っ端みじんに砕け散った。

 「崩落」
 「うぬっ!」

 砂の粒子に変えられた石が目つぶしとなってトーラスの視界を塞ぐ。
 まともな魔法なら一瞬で無効化したであろうが、トーラス自身ではなく、その前方の無機物に向かってかけられた魔法まではさすがに解除できない。

 (この子供………やはり侮れん………!)

 一瞬塞がれた視界を諦めてトーラスは神経を張り詰めさせた。
 バルドは小さな身体を生かして地を這うような低空からトーラスの脛を狙う。
 事実上セルヴィー侯爵領へ帰りつかねばならないトーラスは、足を怪我させられただけでも致命傷となる。
 だが目に頼らずに気配を探っていたトーラスにはバルドの鋭い剣先が手に取るようにわかった。
 剣で迎撃していては間に合わない。
 なるほど素晴らしい一撃だ。あくまで少年にしては、だが。
 トーラスは全く慌てずに、逆に足を薙ごうとしたバルドの剣を避けた足で踏みつけて無力化しようと図った。
 最高のタイミングで放ったはずに斬撃を軽々と避けられたばかりか、そのまま剣を踏みつけられそうになったバルドはそこで一瞬の躊躇もなく剣を手放した。
 かろうじてトーラスに対抗できる唯一の武器である剣をあっさり手放してしまうあたり、バルドのセンスはやはり水準を大きくはずれている。
 トーラスほどの武人が、不覚にもこのバルドの判断には度肝を抜かれた。
 少年の戦闘力を考えれば剣を失うということは戦闘そのものを失うことであるはずだからだ。
 バルドの手から剣をはじき落とすつもりで勢いよく振りおろされた足は今さら止められるはずもない。
 剣自体をへし折らんばかりの勢いでトーラスの足が大地に叩きつけらると同時に、バルドは懐から抜いたナイフをトーラスの足の甲に深々と突き刺した。


 肉を斬らせて骨を断つという言葉がある。
 トーラスは任務のために重傷を負えないということは厭と言うほどわかっていたが、避けることができないと判断した瞬間に、それは必要な犠牲であると割り切った。
 そして決して致命傷ではない怪我を押させるために少年が払った犠牲を思った。
 ―――――おそらく、この少年は自分より強い人間と命ギリギリの戦いをしたことがない。
 そしてむしろ一個の戦闘者としてより指揮官としての才が勝っているのだろう。
 彼が味方の勝利を信頼する限り、ここでトーラスを負傷させておくという判断は完全に正しい。
 だが、君は指揮官である前に戦士であり、君が相手をしているのはこの私だ―――――。

 世界の全てがスローモーションに見えるような刹那の時の中で、トーラスはそんな思考をめぐらせていた。
 そして尊敬すべき敵の首筋へと、ごく当然の作業として、容赦のない斬撃を叩きつけた。

 
 ガキッ


 バルドが右手をあげたのは、まさに奇跡的な偶然と勘によるものである。
 右手で剣を離したためにナイフは左手に握られていた。
 そのため手甲をはめていた右手の防御が間に合ったのである。これが左手であれば腕ごとバルドの首は宙に飛んでいただろう。
 しかし膂力と体重の大きすぎるハンデは、防御ごとバルドの腕をへし折り、その小さな身体を10m以上彼方へと吹き飛ばした。
 落下とともに2度3度とバルドの身体は地面をバウンドしてその肌に無数の小さな裂傷を刻み込んだ。
 トーラスの剣を防御した右腕は手甲の反対側から骨が突き出しており、かろうじて生きてはいるがもはやバルドに立ちあがる力が残されていないのは明らかだった。
 
 あの瞬間に防御したのは天運か?いずれにしろ将来恐るべき使い手よ―――――。

 「バルド坊っちゃま!」

 甲高い悲鳴をあげてバルドへ駆け寄ろうとするセイルーンとセリーナをトーラスは無言で左手に抱え込んだ。
 セイルーンとセリーナの細い身体はトーラスが片手で抱えるのも十分な軽さだった。

 「いやああっ!離して!バルド坊っちゃま!」
 「はなしい!はなさんかい!このとうへんぼく!」

 必死の力を振り絞って暴れる二人だが、歴戦の戦士の圧倒的な力を前にしてはあまりにその抵抗は空しい。

 「ちいっ!」

 トーラスにバルドが倒されるのを横目に目撃したジルコは思わず舌うちを禁じ得なかった。
 優勢に戦闘を進めてはいるが、相手に手傷は増えても、まだ人数までは減っていない。
 ここにトーラスが参戦すればこちらが劣勢に追い込まれるのは明白である。
 それに―――――。

 (姉御には遠く及ばんが、あいつも化け物のはしっこには引っ掛かってる……)

 トーラスが自分たちの誰よりも戦闘力を持っていることを、ジルコはバルドとトーラスの戦闘から感じ取っていた。
 自分はあいつには及ばない。世の中には一流と呼ばれる人間がどれだけ努力しようとも届かない領域の化け物がいるのだ。
 戦場でそうした化け物に類する人間に出会ったときの傭兵の身の処し方は決まっていた。
 味方が勝てそうなときは死なない程度に頑張る。そして負け戦の時は逃げる。

 (大将、あんたいい指揮官だったが運がなかったよ)

 半ばジルコは作戦を放棄して逃亡することを決意しかけていた。
 報酬は惜しいが雇い主があの有様では、支払われる見込みは少ないだろう。


 「お願い!助けて!坊っちゃま!坊っちゃまああ!」
 「バルド!嘘やろ?動いてや!」

 

 ……二人の悲鳴がどこか遠くで聞こえるような気がする。
 薄れていく意識のなかでバルドはかろうじてそんなことを考えていた。
 かろうじて意識を繋ぎとめていられただけでも奇跡のような確率であった。
 右腕から先の感覚がない。まるで根こそぎ斬り落とされてしまったかのようだ。
 口の中は錆びた血の味が充満して、身体に力が入るならば今すぐ吐き出してしまいたかった。

 (セイ姉、セリーナ………そんなに泣かないで)

 ――――自分が守るから。
 そう言おうとしてバルドはその手段がないことに気づく。
 腕の感覚もない。
 足に力も入らない。
 頭を打ったのか、三半規管を揺らされて、天と地が入れ替わっているような錯覚すら覚える。
 
 セイルーンを失う?
 セリーナを失う?
 幼い日からの日常において、いつもバルドを見守り続けてきた二人が今連れ去られようとしている。
 ほかならぬ自分の失態によって。
 何を寝ている?
 あの二人の声が聞こえたか?
 バルド、お前は何をしているんだ?

 
 (―――――力が―――力が欲しい)


 それも今すぐ。
 俺の大切な女を奪われようとしているときに。
 恥も外聞もくそもあるものか。
 犬とも畜生とも言え。
 全ては勝つことが本分ではないか。

 眠っていた凶暴な衝動がバルドの中で膨れ上がり、いつしかバルドの思考はその奔流のなかに飲み込まれようとしていた。
 勇猛な戦士で知られながら生涯に幾度も負け戦を戦い抜いてきた一人の男が、長い沈黙から濃厚な死の匂いにつられて意識の底から浮かび上がってきたのである。



 『戦場の作法も知らんこっぺ(子供)が。としょり(年寄り)においこつな(大変な)もん押しつけよる』

 口調は辛らつそうだが、ほころぶ口元が男の愉悦を何より雄弁に物語っていた。
 満身創痍の少年が幽鬼のように立ち上がる。


 『ワエのめろ(女)返してもらおか?』

高見梁川の心象世界


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