第十五話 遺恨は消えず
火の仔馬亭の奥座敷に6人の男女が集まっていた。
みな一様に簡易な武装を施しており、彼らが傭兵かそれに近い存在であることが見て取れる。しかし意外にもみな年若く、見目も良い若者なので、年頃の街娘たちが興味ありげな視線をチラチラと投げかけていた。
「久しぶりだな?太ったんじゃないか?ジルコ」
「余計なお世話だよ。次に同じことを言ったらネジ斬るからそう思いな?」
集まっていたのはジルコのかつての傭兵仲間である。
一人は長身なジルコよりも大きな雲を衝くような大男で、名をグリムルと言う。
少々頭の生え際が寂しくなっているが、精気に満ち満ちた鋼の肉体は彼がギリギリ二十代にとどまっていることを告げていた。
「怖え怖え、でも気をつけろよ?昨夜俺も食ったが、ここの食事は半端なくうめえぞ?」
(そんなことあたしが一番わかってるんだよ!)
いらだたしげにジルコはこつこつとテーブルを叩く。
実は本気で腹回りを深刻に気にし始めているジルコなのである。
自制しなくてはならないと思うのだが、ついつい食べ過ぎてしまうのだ。
来たばかりのころに比べて頬もふっくらとし、心なしかお腹にも肉がついてきたように感じられる。
どうすれば食事量を減らさずにダイエットできるかジルコは本気で悩み始めていた。
「まあまあ、ジルコは今くらいのほうが美人だよ」
そう言ってフォローしたのは同じ傭兵のミランダであった。
傭兵には珍しく弓を得意とし、遠距離の支援射撃を担う。なぜ傭兵に弓兵が少ないかといえば、弓による戦果は手柄に認められにくいからだ。
まして腕のよくない弓兵になると味方を誤射することも多いため、よほど腕がよくないと傭兵の弓士は嫌われることになる。
だがミランダがそうした傭兵仲間に嫌われるどころか、むしろ頼りにされているのは彼女の腕の良さによるところが大きいだろう。
「それにしてもどこと戦争おっ始めるつもりだよ?こんなメンバー揃えやがって…」
憮然とした表情の長身の双刀の剣士はジャムカ。
小回りの利く小刀を自在に操る二刀流は傭兵達の間でも一流と噂されていた。
実際懐に飛び込まれたらジルコでも彼に打ち勝つ自信はない。
「確かに下手をすれば野盗でも立ち上げるかと思える戦力だな」
皮肉気に笑って答えたのはナイフ使いのセルだ。
6人のなかで一番の色男で切れ長の冷たい瞳に漆黒の黒い髪が、先ほどから女性たちの興味を惹いていた。
間合いの狭いナイフだが、投擲術にすぐれた彼の投げナイフは姿を隠して戦う市街戦のような戦場では絶大な力を発揮する。
「まあまあ、おかげで身が切れるほど寒いノルトランドに行かなくて済んだのはありがたいね」
こちらはオーソドックスな大盾に槍の戦士で、右頬から唇にかけて大きく切り傷が走っているのが印象的な傭兵である。名をミストルという。
広い肩幅に野太い両手足、それに比較して小さな身長で、遠目には大きく丸い塊のように見えるであろう。
実はジルコと同じロンデルの出身で、ジルコにとっては最も長い昔なじみだった。
「みんながまだ遠出してなくて助かったよ。まさか国外に遠征してる奴を呼び戻すわけにはいかないからねぇ」
ジルコはこの5人以外にもあと幾人かなじみに声をかけていたのだが、新たな戦場に旅立っていたために今回の招集には間に合わなかったのだ。
「それで?いったい俺達に何をやらせようって言うんだい?」
5人とも戦場では背中を預けるに足る一線級の傭兵である。
手段を選ばず遅滞戦闘をやれと言われれば、一個中隊やそこらは足止めして見せる自信がジルコにはある。
もっともそれは戦場をこちらで選ぶことが出来る主導権と、自由に機動できる広い戦闘空間があればの話だが。
「任務は簡単、とある農場の用心棒だ。素人を相手する分には月金貨3枚の報酬になる」
「安いぞ!せめて金貨5枚はよこせよ」
「まあ、待ちな。慌てるなんとかはもらいが少ないって言うじゃねえか」
実際このメンツに金貨3枚は安い。たとえ仕事が用心棒であるにしてもだ。
しかし明らかに過剰戦力なメンツを揃えたのには十分なわけがある。
「この農場だがね。正直笑っちまうような秘密が隠されてる。今じゃマウリシアどころか沿岸諸国まで注目してるっていう冗談みたいな場所だ」
「おいおい、吹くのもいい加減にしとけよ?」
「じゃあ、このコルネリアス領のとある農場で砂糖が生産されてるって言ったら………どうする?」
「それこそ―――――冗談だろ?」
陽気なグリムルが思わず周囲を見渡して声を潜めた。
もちろん酒場の喧騒からは陽気な騒ぎ声が聞こえるだけで、ジルコたちの会話に耳を澄ませているものはいない。
「ところがこれが冗談じゃない。だから今連中な血眼になって証拠を探している。一番この情報に神経をとがらせているのは当然あの山豚殿だ」
「やつがしびれを切らして道を踏み外す…………と?」
「その可能性が非常に高いと依頼主は仰せなんだがね。セルヴィーの兵を生死問わず金貨10枚、生かして捕まえたら金貨20枚払うってさ」
「へえ、そりゃあ剛毅だ。いったい誰なんだい?その依頼主様ってなあ………」
「それがさ。たった10歳の坊主なんだ。しかも銀光マゴットの息子ときてる。信じられるかい?」
5人はあんぐりと口を開けて絶句した。
ジルコが冗談で言っているわけではないことは、付き合いの長い彼らには一目みて明らかだったからである。
セルヴィー侯爵家の家宰を勤め、自身も准男爵であるドルンは渋面に顔を歪ませていた。
放った大勢の間諜の誰も有効な情報を持ってこない。今に始まったことではないが、あのコルネリアス領というのは非常に諜報が難しい土地柄なのである。
かろうじてわかったのはサバラン商会の影に伯爵の嫡男が見え隠れすること。
とはいえコルネリアス伯爵の嫡男と言えばまだ10歳になったばかり、いくらなんでも黒幕ということはないだろう。
では父親のイグニス伯が?いや、それはありえない。あの脳筋はそんなことに頭の回る人材ではない。
だからといってサバラン商会が全く独自に急成長を遂げているとも思えなかった。
調べたところではすでに代替わりから2年が経過しており、その間にさしたる成長はなかったこと。父親は有能な行商人で多彩な人脈を持っていたが、所詮は行商人あがりでしかなかったことがわかっている。
何者かがかの商会に入れ知恵しているはずだった。
ドルンはその後にも続くマヨネーズやサルサソースなどの新商品、今やコルネリアス領の代名詞になりつつあるゴートコレクションのすべてが一商会が思いつくものではないことに気づいている。
おそらくはまともな育ち方をしていない、生まれながらの異形の発想である。
そう考えると伯爵家の嫡男バルドの存在は決して無視してよいものではないのかもしれない。
何せ噂ではあの銀光マゴットに血反吐を吐くまでしごかれているという話だ。
順調なコルネリアス領の発展に、このところ主君であるセルヴィー侯爵のいらだちが募っている。
家臣であるドルンは何らかの成果を出す必要に迫られていた。
「トーラスを呼べ」
ドルンは召使の一人に腕利きの騎士の呼び出しを命じた。
もはや実力行使しかない。
幸い怪しいと思われる農場は特定している。材料や製法は何も分からないがそれは連れ出した人間に聞けばよいことだ。
「お呼びにより参上いたしました」
「うむ」
トーラス・ラインバルドはセルヴィー侯爵家でも有能で知られる騎士で、将来の騎士団長候補とすら目されていた。馬術に優れ忠誠心も厚い、よく気のつく若者でドルン自身も彼の将来には期待していた。
「実は卿に頼みがある」
「頼みなどと言わずに、如何様にもお命じください」
「うむ…………汚れ仕事だとしてもか?」
「ドルン様のお呼び出しを受けた時からその覚悟はしておりました」
全てを察していると言わんばかりのトーラスに、ドルンはこの若者を危険な任務で失ってしまってよいものか、本気で懊悩した。
彼ほどの人材は来るべきコルネルアスとの戦いに必要な人間ではないのか。
「これ以上コルネリアス家の発展を見過ごすわけにはいかん。幸い間諜が突き止めた農場は国境からそれほど離れていない場所にある。ここを襲撃しその産物と使用人を奪え」
「必ずや、わが身に代えても」
「わかっていると思うがマウリシア王国とは国王陛下の名において和平が結ばれておる。コルネリアス領内で交戦に及べば当家は逆賊にもなりかねぬ。それゆえ身元のわかるようなものは一切とり去り、野盗を装え」
それが騎士の誇りをいかに穢すものかわかっていてもドルンは命じないわけにはいかなかった。
マウリシア王国は歴史的な敵国ではあるが、現在王国でかの国との戦争を望んでいる貴族は少ない。大きな損害を被った過日の戦役から王国はまだ完全に回復したわけではないからだ。
もっとも多くの被害を受けたのはセルヴィー侯爵家だが、他にも甚大な損害を受けた貴族は多くその貴族の中には積極的な攻勢を主導したセルヴィー家を恨んでいるものすらいるのである。
下手をすればセルヴィー侯爵家そのものが危うくなる、ならばコルネリアス家など放っておけばよいのだがそれをするにはコルネリアス家に対する怨念が深すぎた。
当主であるアンドレイは戦役で期待の息子を二人も失っている。その復讐を果たすことは彼にとって生きているうちに成し遂げなければならない妄執なのだった。
「もしおまえたちが捕まっても王国から救いの手はないと思え。そして失敗したときには死ぬのだ」
非情なドルンの宣告をトーラスはごく当たり前のように受け入れた。
戦場で騎士が失敗すれば死あるのみ。もとより失敗しておめおめと帰るつもりはトーラスにはない。
「私の小隊を連れてまいります。独身のものだけを集めれば十数人にはなりましょう」
「苦労をかけるな………」
「長くお家の禄を食んできた恩、ここで返さずにどこで返しましょうや」
それに侯爵家に対する恩だけではない。
トーラス自身も先の戦役で兄と直属の上官を失っていた。
彼にとってもこれはいつか果さなければならない復讐なのである。
すでに10年以上の月日が経過してもなお、戦役がむしばんだ遺恨はなくなることなく深く大地に根をおろしていた。
高見梁川の心象世界
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