間話その1 銀光の弱点
「うめええええええええええ!」
農場からの帰り道、昼食に訪れた城下で大人気の一角館で、定番のメニューを口にしたジルコは恥も外聞もなく絶叫していた。
「あ、あの……ジルコさん、もう少し人目を気にしていただけると………」
「なんだ?この調味料は?卵を使っているみたいだけど、いったいどうしたらこんな味になるんだ?」
「お願いだから落ち着いてください!」
しきりにコクリコクリと頷きながら咀嚼を続けるジルコは、まるで腹をすかせた欠食児童のように見えた。
もしかしたらジルコの本質は予想以上に子供っぽいのかもしれない。
「ずいぶん気に入ってくれたようでうれしいわ。若様のお客なの?」
一角館の看板娘サフィールが見事な営業スマイルでコップの水を継ぎ足してくれた。
艶やかな黒髪とぱっちりとした目鼻立ちの美人で、男女を問わず人気の高い女性だった。
「ええ、しばらくこちらで働いてもらう傭兵のジルコさんです」
「これからもごひいきにお願いしますね」
ゴクリと食材を名残惜しそうに飲み込んだジルコは、目にもとまらぬ速さでサフィールの手をとった。
「すげえうまかった!それでこの調味料はどうやって作るんだ?教えてくれ、頼む!」
身長180cmを超える顔は美人だが大迫力の残念美女傭兵に詰め寄られて、サフィールは笑顔を保つのに苦労しながら、かろうじてジルコに答えた。
「ごめんなさいね。契約でレシピは公開しちゃいけないことになってるの。いつでも料理を用意して待ってるから勘弁して?」
「…………そうか………するとこの店のオリジナルってわけじゃないんだな」
「何言ってるの!オリジナルの製作者は貴女の雇い主の若様よ!」
キュピーーンと異様な光を放ってジルコの目がバルドをロックした。
「たたたた、大将。報酬はなしでいいからこの調味料のレシピを………」
「待て!落ち着け!報酬なしでいいとか、お前いったいどこのマヨラーだ!」
歴戦の傭兵ジルコの思わぬ一面にバルドも困惑を隠せない。
こいついつか料理で身をもち崩すんじゃないだろうか。
「そそそ、それで教えてくれるのか?くれないのか?」
「とりあえず落ち着け。条件次第では教えてやる。条件は今から考えるからおとなしく飯でも食っとけ」
「そうか!教えてくれるのか!」
とろんと瞳を潤ませてジルコは感無量と言いたげに両手を合わせる。
「あたしついてく!、大将に一生ついてく!」
「…………キャラ変わりすぎだろ………」
その後ジルコはマヨネーズに続く新商品、サルサソースにも感激の雄叫びをあげた。
ようやく彼女が落ち付きを取り戻したのは、心ゆくまで食べ、満腹になった30分ほど後のことになる。本当になんなんだこいつ………。
「それでどんな条件ならレシピを教えてくれるんだ?」
「まずこの情報を余所にもらさないことは必須だな。いずれは真似するものも出るだろうが、ある程度普及するまではだめだ」
「問題ない。別に商売しようってわけじゃないからね」
鼻息の荒いジルコを見てバルドは太いため息をつく。
マヨネーズを自作してマヨネーズ三昧の生活を送るジルコの様子が目に浮かぶようである。
味に反してカロリーが高いことを説明しておくべきだろうか?コルネリアスにいる間に丸々と肥えてしまったジルコなど見たくもない。
「そういえばジルコは母さんと同じ部隊だったんだよね?」
「ロンデルの初陣から姉御が引退するまでずっと一緒だったさ。あの頃はまだくちばしの青い雛みたいなもんだったがね」
懐かしそうに目を細めてジルコは笑った。
彼女にとってマゴットと過ごした日々は誇るべきものなのだ。
戦場での生き延び方から戦場の作法、目指すべき目標としてマゴットがジルコに与えた影響は大きい。
「なんだい、新入りかい?」
「はいっ!ロンデルから来ました、ジルコって言います!」
まだ15歳だったジルコはすでに名うての傭兵として有名だったマゴットに声をかけられた日のことを昨日のように覚えている。
傭兵団に女性は少なかったから、その後もジルコとマゴットはたびたび話をした。
もっともマゴットは自分の過去についてほとんど語ることはなかったが。
「母さんってどんな人でした?」
「気っ風が良くて強くて綺麗で、割と新入りの面倒見のいいところもあったりして……とにかくあたしたちの憧れだったな。正直伯爵夫人になるって聞いたときにはショックだったよ」
決してそんなはずはないとわかっていても、銀光マゴットが金や権力に目がくらんだなど噂になるだけでも厭だった。
「やっぱり昔からSな人でした?」
「はぁ?Sって何!Sって!」
予想外の言葉にジルコは顔を赤らめてうろたえる。存外初な人なようだ。
「いや、訓練の様子から推測するに絶対にSの性癖があるもんだと思っていたんだけど…」
………だって普通、息子を石突きで弄びながら愉悦の笑みをもらしたりしないでしょ?
「いやいやいや、姉御はむしろ優しい人だったぜ。よく喧嘩もしたが、相手をいたぶるような戦い方をしたことはないはずだ」
母さん、貴女は息子をどのように思っているのか一度真剣に話合う必要がありそうですね。
「今、条件を思いつきました。母さんの弱点になるようなこと、何でも教えてくれたらレシピ差し上げます」
「おいおい、それが息子の台詞かよ!」
「子供はいつか親を乗り越えていかなければならないのですよ」
ふふふ……と俯きながら不敵に嗤うバルドに、ジルコはやっぱりこいつは姉御の子だという認識を新たにした。
「弱点……姉御の弱点ねえ……そんなもんあったら誰も苦労して………ん?」
不意に何かを思い出したようにジルコは顎に右手を当てて考えこんだ。
こと武技にかぎってマゴットに弱点という弱点は存在しない。
あるとすれば他愛ない日常の性癖のようなもののはずだ。
「…………カマドウマが異常に嫌いだったな」
「カマドウマ?」
「そうだ、あのときは姉御が村娘みたいに悲鳴をあげて暴れまわって、宿舎が廃墟にされたことがある」
あまりにも凄惨な顔でカマドウマを虐殺していたために、いったいどうしてそんなに嫌いなのか聞くことは出来なかったが―――――。
「あとは苦いものが苦手だな、あの人は。姉御の弱点なんて、所詮こんな可愛らしいもん程度さ」
「そう…………ですね」
ジルコはこのときバルドがどんな邪悪な笑みを浮かべていたか、確認しなかったことを後に後悔することになる。
「母さま今日こそは一本取らせていただきます!」
「ほう………いつの間に我が息子は出来もしないことをほざくようになったのかな?これは明日から教育の方法を考えなければなるまい……」
マゴットが不穏なことを口にし始めたので慌ててバルドは反論した。
「いやいやいやいや!あくまで覚悟の話ですので余計なお気遣いは無用にお願いします!ですが見事一本取った暁には聞いていただきたいお願いがあるのですが!」
「お安い御用だ。本当に私から一本取れたらの話だがな―――――!」
目にもとまらぬ速さでマゴットの槍が迫る。
速度、角度、踏み込みともまったく申し分のない銀光の一撃。
コルネリアス領でこの一撃を避けられるのはおそらく伯爵のイグニスあるのみだろう。
だがこの一撃をバルドは幾度も身体で経験してきた勘で避わした。
「生意気になってきたじゃないか……」
うれしそうに目を細めてマゴットは矢継ぎ早に槍を繰り出す。
その引き手があまりにも早いためにバルドは一歩踏み出すことすら出来ずにいた。
槍を避けたと思った時にはすでに槍がマゴットの手元に引き戻されている。
いつもと同じ光景だが、今日のバルドには目標があった。
(―――――ならば出来るだけ身体の近くで避わす!)
次第にマゴットの槍がバルドの服に掠るようになり、バルドの肌に赤い擦過傷が刻印されるようになった。
(どうやら一本取るってのはあながち冗談というわけじゃなさそうだね……)
リーチの長い敵を相手に前に出るだけでも大きな勇気が必要になる。ましてそれをギリギリで避わすということは非常に大きな精神的抑圧となるだろう。
果してこんな決断のできる兵士がこのコルネリアス領に幾人いることか。
「それじゃこっちはどうだい?」
突きからマゴットは一転、薙ぎに転じた。
遠心力で小枝のようにしなった槍が、バルドの身体を吹き飛ばさんと、ブンと音を立てて横薙ぎに振られた。
この薙ぎをバルドはかろうじて跳躍して避わす。
「甘い!」
空中にいるバルドにはもはや次の攻撃を避ける手段はない。
むざむざ開けられた空中を逃げ場に選んだ息子の浅はかさをマゴットは一喝してたしなめるつもりでいた。しかし――――――。
飛び上がると同時にポケットに手を突っ込んだバルドはそこで秘密兵器を取り出していた。
もちろんそれはあのカマドウマである。
愕然とするマゴットめがけてバルドは落下の速度を味方に渾身の斬撃を打ち込んだ。
「隙ありいいいいいいいいいいい!」
マゴットの肩口に木刀のあたる確かな手ごたえをバルドは感じた。
ついにバルドは偉大すぎる母から一本取ったのだ。
「うっぎゃあああああああああああああ!!」
それとマゴットがこの世の終わりのような悲鳴をあげたのは同時だった。
「つぶすツブス潰すツブス潰すつぶす………」
「あれ……?お母様……もしかして正気を失ってらっしゃる?」
「お前も……お前もあの怪物の仲間か?」
「おおお、落ち着いて、話し合いましょう。お願いですからお母様正気に戻って!」
「潰すあああああああああ!」
「いやあああああああ!!」
めくらめっぽうに繰り出された一撃を腹部に受けたバルドはそのまま10mほども先の庭樹にぶちあたるまで吹き飛ばされそのまま意識を失った。
二度と母にこんな悪戯を仕掛けることはやめようとバルドが心に誓った瞬間だった。
―――――数時間後
「何か申し開きはあるかい?バカ息子」
「ええ~、確か一本取れたらひとつお願いを聞くと言ったのを覚えておいででしょうか?お母様」
「そう言えばそんなことも言ったね」
「そのお願いで今回の件はなかったことに………」
なんとか地獄の番犬のような笑みを浮かべた母から逃れたい、とバルドは頭を掻いて愛想笑いを浮かべた。
全身を冷や汗が濡らしている。
バルドが怪我をしたと聞いて飛んできたイグニスも部屋の隅でガタガタと震えて「マゴットを本気で怒らすとはなんと愚かな」とか呟いている。
いかん、また目から水が………
「だが断る」
「そんなああああああ!」
なぜかその後、翌日の朝までの記憶は、バルドの中から永遠に失われたという。
高見梁川の心象世界
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