第十三話 女傭兵ジルコ
風変わりな傭兵がコルネリアス領を訪れたのはつい先日のことであった。
真っ赤な赤毛に金の瞳をもった身の丈6尺を超える女丈夫で、巨体すぎてなかなか思いつかないが、よく見れば美人と言えなくもない。聞けば今では伯爵夫人となったマゴットのかつての戦友であるという。
「それでマゴットの姉御に取り次いでもらいたいんだけどね」
「口の聞き方に気をつけよ。伯爵夫人に対して無礼であるぞ!」
「姉御がそんなこと気にするわきゃないんだがねぇ」
折り悪くマゴットは巡察に出ていたうえ、門番はコルネリアス家の譜代で、マゴットの砕けた態度が正直なところ気に入らない男だった。
もっともそうでなくとも女傭兵の態度は伯爵家を訪問する態度の一線を超えたものであることもまた事実であった。
「奥方様は明後日にはお戻りになられるだろう。出直してくるがいい!」
「ああ、そうかい。それじゃ姉御にはロンデルのジルコが訪ねてきたと伝えてくんな」
そしてその女傭兵は来た時と変わらぬ飄々とした様子で街に向かって歩いていった。
「あたしもちょいと早まったかねえ」
城下の「火の仔馬亭」で麦酒をジルコは自棄酒気味に立て続けにあおった。
生ぬるいがほどよく熟成された麦の風味が喉を滑り落ちていく。
「プハーッ!」
ジルコの飲みっぷりに仔馬亭の主人は感心したように笑顔で声をかける。
「お客さん強そうだねえ」
「これくらいの酒で酔ってちゃ傭兵なんざやってられんさ」
「へえ……お客さん……傭兵かい?」
「今は稼ぎどころもない無職だがね………おっと、こうみえてもそれなりに貯えはあるから心配しなさんな」
ジルコに限らずハウレリア王国とマウリシア王国の戦役が終息したのちに働き場を失った傭兵は多い。
戦役が終息したとはいえ、国境での小競り合いや野盗化した兵士たちからの護衛などの仕事はあったものの、講和から10年近くが経過した今、傭兵の残された戦場は少なかった。
大陸の南には内乱の続くトリストヴィー公国や北方のノルトランド帝国とガルトレイク王国の間で関係が悪化しているという情報もあるが、大陸中部の温和な気候と産物に慣れた身には、よほど高給でもないと食指をそそられないのも確かであった。
かといって喰うためには働かなければならず、なかには自身が野盗に身を落とした仲間もいたが、ジルコはそこまで自分を安くするつもりはない。
そこでどうするか、という話なのだが、ジルコは以前同じ兵団に所属していたマゴットに仕事を斡旋してもらうつもりでいた。
都合のいい話を自分でも思わなくもないが、ジルコの勘がコルネリアス領で面白そうなことが起こることを予感していたのである。
(姉御ならあたしと同じものを感じているか、と思ったんだけどね……)
言うなれば戦の気配を感じ取る戦士の予感である。
ジルコの勘は、このコルネリアス領が再び戦火に侵されることを予感していたのだ。
とはいえ根拠も何もなく、しかも決してこうした予感が百発百中ではないこともジルコは十分承知していた。往々にして人間と言う動物は自らの欲望を予感という形で信じやすい動物であるからである。
(もしかしたら姉御には会わずにおいて正解なのかもな………)
かつて憧れた名うての女傭兵、銀光マゴットが本物の貴族の奥方になり下がった姿など想像したくもない。傭兵仲間の中には彼女の結婚を裏切りのように感じている者がいることをジルコは知っていた。
ジルコは今でもまざまざと本物の銀の光のようになったマゴットの神技を覚えている。
極限まで研ぎ澄まされた神速の槍技。瞬きほどの間に10人以上の首を刈り取る戦場の王者。そう、まさにあれは王者だった…………。
そんな彼女が貴族に媚を売る姿など見たくもないのが本音である。
もしかしたら懐かしい彼女にこれまで会わずにいたのも、無意識にそんな忌避が働いたのかもしれなかった。
銀光マゴットの名は傭兵達の間で伝説的な色彩すら帯びて語り継がれている。
彼女の銀髪が光の一筋になったと思った瞬間には敵が倒されていることからついた異名だった。
彼女の引退後も一線で戦い続けたジルコだが、それでもマゴットには勝てる気が全くしない。あれは人のまねのできる領域のものではないからだ。
真昼に轟く雷鳴のように、戦場を駆けた銀の閃光をジルコは今でもまざまざと思いですことが出来る。
それでいて王侯貴族よりも美しく、男を寄せ付けないマゴットにジルコたち女傭兵がどれほど熱い思いを寄せたことか。
おそらくはマゴットが役者の道を歩んだとしても全国から大勢の固定客が押し寄せたことだろう。(宝塚的な意味で)
「以前はマルグリットと名乗っていた。もうそんな名は捨てたがね」
確か戦役が佳境にあったころ、幕舎で飲みながらマゴットがポツリとそんなことを呟いたことがあった。
マゴットに憧れる一傭兵でしかなかったジルコにはその理由まで聞くことはできなかったが、同じ脛に傷を持つ身として彼女が一度かつての人生を捨てていることだけはわかった。
――――――いかんな、ここにいると姉御のことばかり頭に浮かんでしまう………。
それでも考えることを止められないのはやはり自分があの人に惹かれているからなのだろう。そんな埒もないことを考えていたジルコを幼さを残した一人の少年の声が呼び起こした。
「お姉さん、傭兵ですか?」
ジルコに話かけてきたのはようやく10歳になるかならないかほどの少年だった。
見事な銀髪に怜悧そうなマリンブルーの瞳の将来が楽しみな美少年である。
だが決してその見かけどおりの人物ではないことを、ジルコの長年の戦場勘は感知した。
「坊や………いったい何者だい?」
「お初にお目にかかります。僕はバルド・コルネリアスと申します。当地領主の嫡男でもありますが」
「うそだろう?坊やが姉御の息子かよ!」
言われてみれば確かに母譲りの見事な銀髪である。
むしろマゴットの息子だと思えば少年の佇まいの異様さは全てに納得がいくものだ。
いつでも戦闘に移れる油断のない体重移動、そして戦闘を知っているものだけが放つことのできる殺気を秘めた覇気。
貴族の少年がそれをまとっているのは異常だが、マゴットの息子であるならば何ほどの不思議もない。
「驚いた……やっぱ姉御は姉御のままかよ」
「母をご存じで?」
「まあ割と長く戦場で同じ釜の飯を食った仲さ」
見れば見るほどおかしな少年であった。
ただ鍛えられているだけではない。彼がすでに殺人を経験していることを傭兵であるジルコは敏感に感じ取っていた。
だからといってマゴットのように天衣無縫な風来坊ではない。きちんと知性に裏打ちされた貴族の品格のようなものすら感じられる。
これは恐ろしいサラブレッドが産まれたかもしれない。
「もしかして母に会うために?」
「ああ、生憎と留守だったがね」
「母になんの用であったか伺ってもよろしいか?」
「坊や、伯爵の令息があたしなんぞに敬語なんて使わなくていいんだぜ?」
「ああ、小さいころからいろいろな師範に扱かれてきたせいか、自分より強い人には自然とこんな言葉使いに」
照れくさそうにバルドは頭を掻く。
基本的に武芸者は礼儀にうるさい人間が多いので癖になっている。
あまり貴族の子息として褒められた癖ではないのはバルドも自覚しているのだ。
もっとも母はそんなことを歯牙にもかけないだろうが。
「姉御の血かねえ………ま、聞いているとは思うが今この国には傭兵の仕事がえらく少なくなってるのさ。ただ、ちょいとあたしの勘はここで何かあると睨んでるんでね」
ジルコの話を聞いたバルドのマリンブルーの瞳がスッと細められるのをジルコは見逃さなかった。
(やべえ!間違いなくこいつは姉御の息子だ!)
次の瞬間にもバルドが斬りかかってくるのではないか、という埒もない緊張感をジルコはわずかに筋肉を緊張させるにとどめた。
同時に本気で戦えばバルドが決して油断の出来ない雄敵であることを武人の勘が感じ取っていた。
あの目、自分の生も相手の死も塵芥のように見切ったような、どこかこの世ならざるものを見つめているような目。
まさかその目を今ここで見ることになろうとは。
(冗談じゃない!こいつは死人だ。戦場で命を紙くず同然に見捨てられる男だ。姉御、あんた息子をなんてもんに育てやがった!)
「――――なるほど、ジルコさんの勘はもしかしたら正しいかもしれません。実は今コルネリアス領は微妙な状況にあります」
そのままバルドに気を呑まれそうになるのを、ジルコは必死に丹田に力を込めて押し返した。ジルコの言葉の何がバルドの琴線に触れたのか―――――間違いなくこの幼い少年は将来の戦火を呼ぶに足る何かを掴んでいるのだ。
その推測がジルコには心底恐ろしかった。
ジルコは戦場でどれほどの強敵を出会ってもこれほどの恐怖を感じたことはない。
バルドから感じる恐怖はいわゆる未知なるものへの恐怖だ。
しかもその母親の人外ぶりを熟知しているだけに性質が悪かった。
「実は僕は用心棒を探して傭兵を訪ねていたのです。ジルコさん、貴女の予感が当たるか当たらないか、しばらく私のところで用心棒として働きながらお待ちいただけませんか?決して損はさせませんよ?」
マゴットに仕事を紹介してもらおうと思っていたらその息子から勧誘が来た。
ありがたい話ではあるがここで位負けしては名が廃る。
ジルコは不敵に嗤って少年を睨みかえした。
「突風のジルコ、安い値段だとは思わないことだね」
高見梁川の心象世界
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