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第十一話  セイルーンの覚醒
 最近のバルドは大切な何かを私に隠している。
 そう思っただけで胸に寂しい木枯らしが吹き荒れるような錯覚をセイルーンは覚える。
 それは主人に仕える侍女という立場だけでは決して説明のつかぬものであることにセイルーンは気づいていた。
 この数年でバルドは驚くほど変わった。
 初めて出会った3年前は情緒不安定で、コミュニケーションもろくにとれないお子様だった。
 しかし今は下手をすれば父親の伯爵よりも堂々として、母マゴットでさえ手こずるほどに武芸の腕をあげている。先日の夜会の評判も上々で、今後あちこちの貴族から縁談が舞い込む優良物件となったのは間違いなかった。
 それに引き換え自分はどうだろう。
 3年前から伸ばし続けて腰まで届きそうになった茶金の髪をセイルーンは指で弄ぶ。
 バルドは可愛いと言ってくれるが、奥方のマゴットや侍女長のエマに比べるとやはり平凡な容姿でしかないのでは、と考えてしまう自分がいた。
 
 セイルーンの父は代々コルネリアス家に仕える直臣で、現在ホーエン砦の守備長を任されるほど伯爵の信頼厚い騎士である。
 話に聞いたところによれば父と伯爵は、自分たちと同じように子供のころ幼なじみとして育てられたらしく、将来のために気の置けない友人がいることはとても大切なことだと言っていた。
 しかし父と伯爵とでは決定的な違いが私たちにはある。
 すなわち、バルドが男で私が女であるということだ。
 成長してもうじき12歳の誕生日を迎えるセイルーンが、こんなことを意識しなくてはならないのは年上の同僚マチルダがしきりにからかってくることに原因があった。
 


 「それでどうなの?若様とはうまくやれそう?」
 「…………なんだか貴女の言葉を聞いているととても不純なものに聞こえるのだけれど」
 「またまたそんな清純ぶって………そろそろセイルーンも女の身体になってきたし若様も早熟そうだから進展でもあるんじゃないの?」
 「なっっ?」

 セイルーンは首まで真っ赤に染めて赤面した。
 同時にマチルダの視線がこのところようやく膨らんできてくれた胸やお尻を行ったり来たりしていることに気づいて、セイルーンは両手で自分を抱き締めるようにして胸部を隠した。
 他の貴族家はわからないが、コルネリアス家は女性に対し非常に紳士的でこのようないやらしい視線を受けることにセイルーンは免疫がないのである。

 「う~~~ん、やっぱりセイルーンには早いかもね?」
 「坊っちゃまはそんな不純な目で私を見たりしません!」
 「今はそうかもしれないわ。でも明日は?来年は?いつまで若様は異性として貴女を認識しないと思う?お屋形様の息子だもの。すぐに大人の男になるわよ!」
 「ううっっ!」

 イグニスを例に出されるとセイルーンも思わず言葉につまる。
 マゴットと結婚する前はイグニスは美麗な独身伯爵として数々の浮名を流していたからである。
 今では浮気など想像することすらできないだろうが(物理的に)。
 その息子であるバルドが成長に従って複数の女性に手を出す可能性はむしろ高いのかもしれなかった。

 「だいたい貴女、普通に考えたらあからさまな側室候補じゃないの。うらやましいわ………私だってあと3年若ければねえ……もしかしたら若様のお相手に選ばれたかもしれないのに……」

 「えええええええええっ??」

 側室?私が側室?幼なじみじゃないの?姉代わりじゃないの?だって坊っちゃまだって私のことセイ姉、セイ姉って…………。

 「―――――ええ?貴女もしかしてわかってなかった?お隣のフラゴール家もダッカ家も幼なじみを側室に迎えて妾の調整役にしているじゃないの。気心の知れた幼なじみに内向きの管理を任せるなんて貴族の常套手段よ」

 「そ、そんな…………私…………」

 青天の霹靂のマチルダの言葉にセイルーンは頭が真っ白になって言葉を続けることが出来なかった。バルドを夫として見る自分がまず想像できなかった。

 「お屋形様は優しいから無理強いはしないだろうけどね………親たちは期待してると思うよ。こんなおいしい話一生に一度あるかないかだろうからね」

 そうかしら?お父さんもお母さんも何も言ってくれなかったけれど………。

 実際のところセイルーン父親のセロは娘を側室に差し出そうなどとは露ほども考えていなかった。
 出世のために娘を差し出すのをよしとするような男ではない。
 だからといって嫡男のバルドに見染められたとすれば、心から喜ぶのが親心というものであろう。もっとも母のリセラは心のどこかで期待する部分もあったのだが……。 
 いずれにしろ父も母も娘が嫌がる結婚を押しつける心算など微塵もなかったのだ。

 自分が側室になるかもしれない。
 そう考えただけでセイルーンはもうバルドをまともに見れる自信がなかった。
 これまで姉弟同然に甘え甘えられる関係だったのに、女としてバルドに求められたらそれにこたえる自信がなかったのである。



 「どうしたのセイ姉?」 
 「うひゃああああっっ!」

 色気のない悲鳴をあげてセイルーンはのけぞった。
 いつの間にか屋敷に戻っていたバルドが心配そうにセイルーンの顔を覗きこんでいた。

 「近い!坊っちゃま!顔近いです!」
 「ご、ごめん。まさかそんなびっくりするとは思わなくて」

 不意打ちのようにバルドのイグニス譲りの秀麗な顔を直視してしまったセイルーンは、張り裂けそうに高鳴る鼓動を押さえて後ずさった。
 だめだ。やはりドキドキしすぎてバルドを見れない………。

 「今日はセイ姉に話したいことがあるんだ」
 「ええええっ!」

 脳内を桃色の何かに侵されているセイルーンはもしかして告白?とパニックになりながらも期待に満ちた視線を向ける。

 「この間から街でセイ姉に内緒でやっていたことなんだけど………」

 あれ?期待してたのとなんか違う………。
 よくよく見ればバルドはしごく真面目な表情でセイルーンを見つめている。
 まだ小さいセイルーンにもそれが恋の熱に浮かされた表情でないことは見て取れた。
 そう考えたら先ほどからの自分のうろたえぶりが恥ずかしくてセイルーンは内心で悶えた。
 
 (マチルダの馬鹿が変なこと言うから………)

 そんなセイルーンの葛藤をバルドが知るよしもない。
 何か変だとは思ったが、そこはごく自然に隠し事をしていたからだと子供らしくバルドはそう受け取っていた。

 「実は少し前から街の子供たちを仲間にしてとある芋を栽培してるんだ。まあ、その芋は砂糖の原料になるんだけど………」
 「はあ?芋が砂糖に!?」

 つい今まで羞恥で頭が沸きそうだったのも忘れてセイルーンは絶叫した。
 南方の産物である砂糖がコルネリアス領で産出するなど聞いたこともないからだ。
 これがバルドでなければ頭がおかしいのではないかと本気で疑っただろう。

 「セイ姉は僕の中に別人の記憶があるのを知ってるよね?」
 
 セイルーンは無言でうなづく。
 まさにそのためにこそセイルーンは侍女として選ばれたのである。
 初めて会ったことのバルドは突然聞いたことのない言葉を話したかと思うと、おもちゃに興味を惹かれると同時に年齢相応の少年に戻るというような情緒不安定な少年だった。
 そのなかでどうやらセイルーンより年上らしい二人の人格がバルドを混乱させている原因らしいということにセイルーンは気づいた。
 そのことに気づいたときから、セイルーンはこの二人が嫌いになった。
 幼いバルドの自我を守るために、バルド自身の幼さを肯定するために、セイルーンは1年ほど前まで寝食どころかお風呂までともにしていた。
 余計なことを思い出してしまってセイルーンの耳が赤く染まるが、そのことには気づかずにバルドは続けた。

 「その記憶を利用してこの領内のためにいろいろと試してみたいと思ってるんだ。父さんには小遣いの中でなら好きにしていいって言われてるし」

 これはバルドの勝手な強弁である。
 確かにイグニスは小遣いは好きに使えと言ったが、まさかその金で息子が新たな産業を育成しようとしているとは普通の親は考えない。

 「どうして今まで黙ってたの?」
 「…………ごめん、やっぱり僕みたいな子供が言っても笑われちゃう気がしてさ。何となくセイ姉に笑われるのってショックだし」

 本当はセイルーンの口から計画の全貌が父にばれるのを恐れたからだが、セイルーンに馬鹿にされたくなかったというのも嘘ではない。
 なんだかんだ言ってもセイルーンはバルドにとって最も身近で気になる異性であるからだ。
 
 (それに父さんには利益をコルネリアス領で独占するという感覚がないからな……)

 公明正大で強力無比な武人であるイグニスだが、経済官僚としては落第点しかあげられない。武人として王国の守りを任されているからだろうか、他の領を損させてでもコルネリアス領を富ませるという毒が決定的に不足しているのである。
 鷹揚に共存共栄を図るだけではいつまでたってもコルネリアス領の軍事貧乏体質は改善しない。

 「でもようやく軌道に乗りそうなんだ。芋を育てること自体はそれほど難しいことじゃないし、幸い販路もセリーナがなんとかしてくれそうだからね」

 「――――――セリーナって誰?」

 自分の知らない女の名前をバルドから聞かされることがこんなに不快なものであることをセイルーンは初めて知った。
 低くうなるようなセイルーンの声にバルドは甲高い警報音を幻聴したが、その理由までは推察することが出来なかった。

 「サバラン商会の会頭で2年前に知り合って仲良くしてもらってるんだけど………」
 「ふ~~~ん……いくつ?綺麗なの?」
 「確か今年で18歳になったはずだよ?そりゃもうすっごく綺麗なんだけど、なんといってもあの毛並みのいい犬耳が最高で………」

 そこまで言いかけてバルドはセイルーンが能面のように無表情になっていることに気づいた。セイルーンとともに暮らした3年間で一度も見たことのない表情だった。

 (………そう………私がこんなにやきもきしている間に坊っちゃまは他の女とよろしくやっていたというのね?)

 「話してくれてうれしいわ。これからはこんな隠し事はしないでなんでも教えてちょうだい」
 「う、うん………わかった。これからはセイ姉に協力してもらうことが増えると思うから」
 「そう、頼りにしておいて」

 なぜだろう。うまく説得できたはずなのにいやな予感しかしないのは。
 これまで知らなかった姉代わりの新たな一面にバルドは戸惑いを隠せなかった。
 遠くない未来にバルドはその予感が間違っていなかったことを知ることになる。

 (側室うんぬんはともかく………坊っちゃまに虫がつかないよう見張る必要があるわ。どうやら早急に)

 この胸のもやもやが果して恋愛感情であるのかセイルーンにはまだ答えを出すことはできないが、少なくとも見ず知らずの女をこれ以上バルドに近づける気は毛頭なかった。

高見梁川の心象世界


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