第十話 内政チート始めましたその2
セリーナの目にもなかなか見事な意匠の髪飾りである。
大輪のアネモネをあしらったそれ自体は平凡な印象だが、アネモネに吸い寄せられるようにやってきたらしいミツバチが素晴らしいアクセントになっている。
その精巧な造りはよほど腕の良い職人が精魂をこめたことを窺わせた。
しかしそれ以上に驚くべきことは、この首飾りが金で造られていたということだった。
「こないな細工………いったいいくらしたんや?」
ゴクリとセリーナが喉を鳴らして問いかける。
滅多に表情を変えないロロナもこれには目を見開いて声を失っていた。カメラがあれば永久保存しておきたい貴重な瞬間である。
しかしその反応はむしろ当然であろう。
繊細かつ優美なその造形と紛うことなき黄金の輝きはセリーナの見るところ金貨100枚以上の価値があるかのように思われる。
いや、好事家の貴族なら200枚以上出すかもしれない。
コルネリアス領のような辺境では滅多にお目にかかれない高級品である。
「半金貨もかかってないよ?」
「なんやてっ?」
いやいやそれはありえない。
材料費だけを考えても金貨10枚を下ることはないはずだ。
セリーナともあろうものが思わずバルドの正気さえ疑ってしまうほど、その金額は常識を外れていた。
「これメッキだからね」
「…………メッキ?」
「うん、金メッキ。金は表層だけで中身は青銅なの」
「そやかていくらなんでも半金貨はあらへんで!?」
現在王国で一般的に行われているメッキ法は金を水銀で溶かし、塗布したあとで火であぶり水銀を蒸発させて金を残す方法である。
金の使用料を減らす利点があるが、非常に手間暇と熟練の技術を必要とするため金額はそのまま金を使用した場合とさして変わらないという正直メリットの少ない技法であった。
セリーナも商人でなければ知ることもなかったであろうマイナーな技術である。
メッキならば確かに金の使用料は半金貨にも及ばないであろうが、それに要した労力を考えれば到底納得のできない金額というしかない。
「ところが誰でも簡単に出来ちゃうんだなあ、これが」
期待に満ちた表情でセリーナを眺めつつ、バルドは爆弾を投下する。
「「えええええええええええええ!」」
期待にたがわず百戦錬磨の二人の美女は驚愕を張りつけたレアな表情をバルドの前に晒したのだった。
その後恥ずかしそうに表情を取り繕った二人は新たなメッキ細工という販路の構築のために慌ただしく商会へと引きかえしていった。
ただでさえビートによる砂糖の量産のための人手の手配、倉庫などの保管と流通回りの整備などやるべきことは目白押しなのにここにきて降ってわいたようなメッキ細工の話である。
しかし二人の商人としての勘はこのチャンスを決して逃がすべきではないと告げている。なぜならメッキ細工という商材はこれまで嗜好品が浸透できなかった中級貴族から富裕な平民という市場を切り開く可能性があるからだ。
そしてそれは有力ではあるが所詮行商人あがりであったサバラン商会に喉から手が出るほど欲しかった格を与えることになる。
いかに苦しい舵取りが求められようとここで商魂を燃やさぬならそれはもはや商人ではない。
(…………やはり無理やりにでも会頭を娶っていただくべきでしたでしょうか……)
腹心がそんな腹黒いことを考えているなどとは露にも思わずセリーナは野心に燃えて叫んでいた。
「よっしゃ、やるでええ!見ててや!おとん、おかん!」
コルネリアス領どころか王国でも指折りの大商会になることさえ夢ではない。
――――――将来的に自分の身分と言うものに敏感にならざるをえない乙女は、どこまでもしたたかな商人の血をひいていた。
バルドがメッキ細工を委託していた工房は街外れのビート畑から10分ほど歩いた場所にある。
ゴート工房と不器用な字ででかでかと大書された看板はこじんまりとした工房に不思議とよく似合っていた。零細ながらもよい仕事をする腕利き職人というゴートの評判に相応しいと言えるかもしれない。
「親方、案配はどうだい?」
「おおっ若殿ですか。まあようやく20ほどというところですな」
「若殿はいいってのに………」
なんというか馬鹿殿に語呂が似ていて居心地が悪い。
最初は坊主、とか、えらく押し出しの強そうな風貌の親方だったのだが、メッキの方法を伝授したら固く敬語を崩さなくなった。
どうやら職人の世界の掟に触れるものがあったらしい。
ゴートは仕立屋を営んでいるテュロスの実家から独立した次男坊で、まだ33歳の若さである。この年齢で親方を張っているのは伊達ではなく、端整で個性ある細工を制作することで地元では有名な人物だった。
小道具屋でゴートの細工を見たときからバルドはひそかにその素性をたぐり、テュロスの縁者であることを知って紹介を求めていたのである。
依頼に訪れたバルドにゴートは鼻で笑って一喝したものである。
「いいか?坊主。俺は自分が造りたいものしか造らねえ!」
「親方に無理強いをするつもりはありません。まずはこれを見てくれませんか?」
ゴートは好奇心の強い職人であることをバルドはテュロスに聞いて知っていた。
普通であればまだ徒弟の一人である年齢のゴートがこうして独立して自前の店を持つにいたったのは飽くなき好奇心と向上心が保守的な師匠と衝突してしまったからだ。
無言の同意を得たと判断したバルドはゴートの目の前に30cmほどの壺を並べはじめた。
「なんだ?これは…………」
「まあ、ある技術のための動力と言いますか……」
「動力?」
ゴートは不可思議そうに首をかしげた。この世界で動力といえば水車や風車が主であり稀に魔道具を使用した機関が存在するくらいである。こんな小さな壺がいったいなんの動力になるのか想像もつかない。
「それでこの電極を繋いでですね………」
タライに酸性の液体を注ぎ、電極代わりの銅筒を下す。
そしてプレゼントにもらった金製のボタンをつぶして作った小さな金板を黒色で塗った銅筒に繋げた。
「おいおい、坊主、いったいどこから金なんか持ってきやがった?」
職人としてゴート自身も加工用の金は所有しているが、量は少ないとはいえ金はこんな小さな子供が出してよいものではない。このときになって不覚にも初めてゴートはバルドが平民にしては仕立てのよい服と靴を身につけていることに気づいた。
(…………まさか貴族?いや、そうすると貴族がわざわざうちの工房で腕を見せてくれる理由がわからねえ………)
「それでこの親方の細工を………」
「おいっ!そりゃメッシナのところに卸した俺の細工じゃねえか!」
「本当にいい作品ですよね。僕のイメージにピッタリですよ」
大輪のアネモネとその花弁に戯れる可愛らしい蜜蜂。だがいかんせん彩色が悪かった。
それはやむを得ないところだろう。ゴートは細工師であった絵描きではないのだ。
しばしば突出した才能の持ち主は別の才能を失っていると言われるが、どうもゴートには色彩センスというものが欠けているようであった。
「このまましばらく待ちます」
「…………いったい何だ?こりゃあ………どうして泡が………しかも熱いだと?」
ゴートの常識を根底から覆すような光景に目を剥いてゴートは固まった。
魔法で細工をする風変わりな細工師が王都にいると聞いたことがあるが、バルドが使っているのは魔法ではないのは素人であるゴートにもわかる。
だが手を触れず火も使わず、この少年は何をしようとしているのか。
――――――面白い。これほどに胸が躍るのはいつ以来のことか?
バルドが用意した壺は原始的な電池である。
これがバグダットの電池としてオーパーツ扱いされていることを雅晴はTVの放送で知っていた。
構造は単純で陶製の壺に銅を丸めた筒に鉄の棒が入っていて、その中に電解液が満たされている。
科学文明のないこの世界でも苦労もなく作れるもので、実のところ古代エジプト文明のころにはすでに電気があったと都市伝説的に語られていたのを見て、思わず厨二心をくすぐられたので覚えていたのは秘密だ。
ドイツの科学者が行った実験ではこの壺型の電池は2ボルトの電源を安定して供給したという。電気さえあれば電気式のメッキは容易くエジプトで発見された金メッキの首飾りはこの方式で作られた可能性があるらしい。。
実際に雅晴として生きていた当時、愛車のバイクのボルトでメッキの実験に成功したことがある。
そのときは乾電池を使用していたが、原理的には同じものであるからバルドは特に気負うことなく出来栄えを楽しみに待つことができた。
待つことおよそ30分ほど。
固唾をのんで見守るゴートの前に苦心の細工が引き上げられた。
「って、なんじゃこりゃああああああああ!!」
ゴートが驚くのも無理はない。
眩い金だけが持つ魔性の光沢に、けばけばしい原色の装飾に品を落とされていた大輪のアネモネが彩られ、燦然たる黄金の輝きを放っていたのである。
「これ、作って見ませんか?」
ゴートはコクコクと壊れた首振り人形のように声を失ってひたすら頷き続けた。
以来、ゴートはバルドに対して敬語と丁重な態度を崩したことはない。
自分の作りたいものだけを作るとは言いながら、いまだ満足のいくものを作り上げられなかったゴートにとってバルドは救世主に等しい存在であったからだ。
「これ、金地金です」
「こんなにいいんですか?」
「作品の点数によっては追加も調達するよ」
ありがたそうに金を押しいただくゴートに、バルドは別れたばかりのセリーナの反応を思い出しながら答えた。こちらが要請すればまず間違いなく金を投資してくれるだろう。
「へへっ細工師冥利に尽きますな」
嬉しそうに鼻をこすってゴートは出来上がりつつあるいくつかの作品を指差した。
「今月中に20ほどは用意して見せます」
「うん、十分だよ」
庶民向けに量産するわけではないから、今はまだそれほどの量は必要はない。
それにしてもこれが売れれば本気で金貨の――――――。
バルドの子供部屋………といっても12畳分を超える広さがあるが……を数千枚の金貨で敷き詰めて、遂にあの野望が実現する可能性が出てきた。
その光景を夢想してバルドは涎がこぼれそうなほどに笑み崩れる。
もしもそれが本当に可能になったとき、バルドは自分が自重できるか自信が持てなくなりつつあった。
(…………き、金貨………俺の金貨―――――!!)
高見梁川の心象世界
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