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第九話   内政チート始めます
 岡雅晴の最後の記憶は入試会場へ向かう途中の慌ただしい交差点である。
 自分と同い年であろう受験生が緊張した面持ちで、あるいは最後の悪あがきのように参考書を手に取ったりしながら朝の雑踏を波のように蠢いていた。
 雅晴は第一志望ではなかったために比較的気楽にそんな情景を眺めている余裕があったのだが、不意に何らかの衝撃―――――どういった種類の衝撃であったかは全くわからない、コンセントを引き抜かれた家電製品のように雅晴の記憶はそこで途切れた。
 
 気がついたらよくわからない言葉を話す美形の夫婦に覗きこまれていた。
 これはいわゆる転生というやつか?
 困惑、そしてせっかく努力していた受験に対する失望など複雑な感情がうず巻いたが何よりも雅晴が感じた感情は歓喜に等しい喜びであった。
 転生という言葉が全く自然にこぼれるほど、それは雅晴にとって身近な言葉であった。
 要するに雅晴という少年は厨二病を患っていたのである。
 ある日突然に突っ込んだトラックに撥ねられて異世界に転生したりしていないだろうか?事態はそうした厨二病の妄想とひどく似ていた。
 問題は雅晴の記憶以外にもう一人、老成した男性の人格が存在したこと。そしてすでにバルドという少年の自我が完成しかけていたことである。
 今にして思うがバルドがまだ完全に自我の完成していない幼児だったからこそ脳神経の過負荷に耐えられたのだろう。
 3人分の人生という記憶量は膨大というほかなく、これを時系列に体験として消化していくのは明らかにまっとうな人間の脳の限界を超えるものであった。
 それがまがりなりにも折り合いをつけることが出来たのは左内が出しゃばることを控えたこととバルドが幼く経験量が不足していたことが大きかった。しかしもっとも大きな要因はマゴットの地獄の特訓である。

 『お、折れる!腕が折れちゃう!今背中にのっちゃらめええええええ!』
 「…………なんかまだまだ余裕な気がするのは気のせいかね?」
 『いやああああああああああ!』

 一瞬でも気を抜けば死ぬ、死なないまでも骨折程度の重傷は確実という狂気の修行であった。
 いや、マゴット的には十分に手加減しているつもりだったのかもしれないが、何せ相手はまだ6歳の幼児なのだ。
 
 『背中に槍を押しつけてフルマラソンとかどんだけええええ!!』
 「ほらほら!少しでもスピードが落ちたらお前の背中に大きな穴が開くよ!」
 『もういや!この母親っっ!』

 あれ?なんだろう。ただの回想なのに目から水が………。
 とにかく必死の修行の結果、バルドと雅晴と左内の記憶はバルドを主体としつつ、多大な影響を与えるヴァーチャルリアリティー的な存在として融合を果たした。
 マゴットの訓練が過酷すぎるので比較的左内がバルドに与えた影響のほうが多いが、雅晴の影響が決して少ないというわけではない。
 むしろ現在のバルドの目標を考えれば左内以上に強い影響を与えている可能性があった。
 厨二病を患っている少年にありがちなことに(本当か?)雅晴は内政チートに造詣が深かったのである。





 「反応は上々や。やけどあの砂糖がサトウキビ以外から造られたんはもうバレとるで?秘密にするにしてもそう長くはもたへんかもしれへんなあ……」
 「それは最初からわかってたさ。儲けるうちに儲けたら別のネタを探すよ」

 王都から戻ってきたセリーナはニマニマと上品な唇を笑み崩れさせていた。
 想像以上にバルドから託された砂糖が高値で取引されたからである。
 おかげでサバラン商会の株も大いにあがった。砂糖のような貴族ご用達の嗜好品を扱える商人は数少ないからだ。
 コルネリアス領という、王国では辺境に位置するこの商会がなぜ砂糖を取引できるのか、王都の商業ギルドでは各商会が調査の手を伸ばしはじめていた。

 「用地の買収は済んどるで?土地が痩せて放置されてるところを10haばかり」
 「おいおい、10haって多過ぎだろ………」

 ずいぶんと張り込んでくれたものだ。バルドの予定では知り合いの伝手を辿って1haか始めるつもりであったのに………。
 10haといえばおよそ東京ドーム二個分の広さである。
 比較的土地余り気味なコルネリアス領でもやはり破格の広さと言っていい。

 「まあ、うちなりの先行投資って奴やな」

 ここでセリーナは手持ちの資金を投入することに躊躇しなかった。
 商いは金の蓄積だけではなくと投資による資本の拡大がなければならないことを、有能な商人であるセリーナは十分によく承知していた。
 もとより実質的な運用はバルドではなくセリーナがしなければならないのだから、この手の役得はあってしかるべきだとセリーナは当然のように考えていた。
 なんといってもこの博打に賭けるのはセリーナの信用と身代なのだから。

 「…………それで?投資の見返りはいくらなの?」
 
 投資資金で雲泥の差がある以上、収益の大半をセリーナが握ることになるのはやむを得ないことであるし、この際セリーナのサバラン商会に御用商人が務まるほどの地力と風評を獲得してもらいたいとバルドは考えていたが、事業計画の発案者としてただでセリーナに儲けさせてやる必要をバルドは感じなかった。
 お金と言うものは一銭でも多いほうがよいものなのである。

 「儲けの3割でどうや?」
 「まあ、資金リスクを負担していない以上そのあたりが妥当かな?プラス耳モフり権を付けてくれればいうことないけど」
 「だ、だめや!あれは特別やったんやから!!」

 途端に顔を赤らめセリーナは警戒にピンととがった犬耳を押さえた。
 ブンブンと盛大に揺れる尻尾は、無意識に撫でられたいというセリーナの欲求を代弁しているのかもしれなかったが。

 「あんまり会頭をいじめますと本気で娶ってもらうことになりますよ?」 
 「すいません。失言でした」

 ロロナの冷静な叱責にバルドは脊髄反射的に謝罪する。
 彼女がまったく冗談を言わない性質であることは、この2年の付き合いで承知していたからだ。
 あまりに躊躇なく謝罪したことでセリーナがちょっとムッとした表情をしているが、まだ9歳の少年に人生の墓場を想像させるとか、絶対に無理なので諦めてほしい。


 「それで出来る限り安く地金を仕入れてきましたが、これでいったい何をなさるおつもりなのですか?」

 金地金は加工されていない金のインゴットのことである。
 加工という付加価値がついていないので金貨や金細工に比べるとまだ安く購入することができる。とはいえ金貨が金との兌換を保障しているように金はこの世界でも重要な換金物でありそれほど安く手に入るものではないのだった。

 「古くなって捨て値みたいな金細工も買っておいたで。まさか普通に金細工を作るわけじゃあらへんよな?」

 美しい金細工は確かに莫大な値段がつくものが少なくない。
 しかしそれはあくまでも購入対象である富裕貴族という顧客、芸術性に富む腕のいい細工職人、そして商品に信用を与えるだけの商会の格という3つの要素があって初めて成り立つものだ。
 いかにバルドが物珍しい金細工を作ったとしても、それだけでは全く売れずに終わるであろう。価格が安ければ欲しがるものはそれこそ星の数ほどいるだろうが、それでは今度はとても採算が取れない。
 ―――――そんな馬鹿な真似をバルドがするとも思えなかったが。

 「細工は作るよ?ちょっとセリーナの考えるものとは違うだけで」
 「ええっ?」

 内心でバルドを信用しすぎたか、とセリーナは焦る。
 もっともロロナに言わせればとうの昔にセリーナはバルドを信用しすぎなのだが。
 しかしいかにも楽しそうにバルドの目が笑っていることに気づいたセリーナは自分が遊ばれていたことに気づいて美しく整った眉をひそめて頬を膨らませた。

 「いけずさんやなあ、バルドは。こんな可愛い子からかって楽しいんか?」
 「いつもは澄ましているセリーナが慌ててるところを見るととっても楽しいよ?」 
 「ううっ……やっぱりいけずさんや………」

 「…………断っておきますが、うちの会頭がもうお嫁にいけないと判断しましたら万難を排して娶っていただきますので」
 「怖っ!ロロナさん怖っっっ!!」


 いかん、こんな楽しいのにこれからはセリーナをからかうのも人生いのち賭けか……。
 ロロナの無言のプレッシャーにバルドは棒を呑み込んだように背筋を緊張させるのだった。

 「あうあう…………」

 相変わらずセリーナは顔を赤らめて悶えている。
 その気になれば王侯を相手にしても毅然と取引をこなすセリーナだが、この初さはいったい誰に似たものか……。
 (普段は初なくせにいざとなると驚異的な行動力……間違いなく旦那様の血ですけどね……)
 すると肝心な時にポカをやらかしそうで怖い。部下として気をつけねばなるまいとロロナは内心で深くうなづいていた。
 気まずい沈黙の空気が流れる。
 咳払いをしつつ気を取り直したバルドは用意していたひとつの髪飾りをとりだした。



 「………これはサンプルとして工房で作ってもらったものなんだけど……」


高見梁川の心象世界


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