第七話 老将軍との手合わせその1
翌朝、普段通りの母との訓練に駆り出されたバルドの隣には、意気揚々と訓練着を身に付けたテレサと青いシャツに小手をつけただけなのに圧倒的な威風と暴虐な武の気配をまき散らすラミリーズの姿があった。
してやったりと悪戯に成功したような表情を浮かべている母の顔が目にまぶしい。
がっくりと肩を落としてバルドは呟いた。
「………ていうかなぜに将軍………」
見るからに殺る気満々なんですけど。あれ?字間違ってね?
「ああ、ラミリーズ将軍はちょいとわけありの元上司でね。仮にも王都の将軍に胸を貸してもらえるんだ。わかってると思うがあまり無様を晒したらちょいと明日からの訓練がハードになるよ?」
「全力を尽くします!お母様!」
うん、これ以上ハードにされたら死亡する未来しか見えないしな。
毎日が生き延びるのにギリギリって本当おれ貴族のお坊っちゃんなのかしら。
「その前に僕と勝負だ!バルド!」
勝気に瞳を輝かせてテレサが修練場に進み出た。仕立てのよさそうな赤い訓練着がテレサの赤毛と相まってよく似合っていた。この性格さえなければ引く手あまたの美少女なのになあ、とバルドはこの古い友人のために残念に思わずにはいられなかった。
「得物はその剣でいいのかい?」
「師匠に言わせると槍より剣の方が向いているらしいよ」
「う~ん、それじゃ僕も剣でお相手しようか…」
「…むっ、バルドのくせに生意気……」
戦場において槍のほうが主戦武器となるのは致し方ないが、最前線に立つ貴族は少数でありむしろ貴族のたしなみは剣にあるとされていた。
当然バルドも母マゴットが槍の達人とはいえ剣の心得がある。手加減されているようで不満はあったがテレサもそれ以上文句をつけようとはしなかった。
「用意はいいかい?二人とも。よし!はじめ!」
マゴットの言葉を合図にテレサが先手必勝とばかりに打ちかかる。
すり足ながらも突進力のある踏み込み、そして女性の膂力の弱さを補うようにうまく体重を乗せた袈裟がけ。なるほど師匠が剣の才があるというのは伊達ではないらしい。
しかしマゴットの地獄の特訓を生き延びたうえに、武人岡左内の記憶を持つバルドには余裕をもって対処できる程度である。
上体を傾けるだけでテレサの斬撃を避けたバルドは右足を軸に半回転してテレサの首筋に木刀を触れさせた。
「それまで!」
マゴットの腕が上がる。
悔しそうにテレサは唇を噛むが、それでも礼を交わす程度には冷静さを失ってはいなかった。
「………次は勝つ」
「いや、すごく腕前あがってたよ、本当」
なかなかに筋の良い太刀筋だった。よほど良い師匠にめぐりあえたと見える。
本来は深窓の令嬢であるテレサにバルドのような死と隣り合わせの修行は不可能なのだから、それを考えれば十分すぎるほどにテレサの戦闘力は高いものだった。
「…………生意気」
口をとがらせてテレサはそっぽを向いた。
間違いなくバルドは手加減をしていた、かつてはそれがわからないほどに腕の差が開いていたのだと理解したからだ。
実力の差がわかる程テレサの実力も向上していたというところだろうか。
それでも素直にそれを認めたくないのはテレサが精神的に不安定だった幼い日のバルドを知り姉代わりを自認しているからなのかもしれなかった。
「……………どうだい?」
「正直この目で見なければ鼻で笑ったであろうよ」
ラミリーズとマゴットはテレサ以上に実力の差を把握していた。
テレサの斬撃が魔法による身体向上の恩恵を受けていたのに対し、バルドは完全に素の体力だけでテレサに完勝した。
はたして騎士団の中にもどれだけ同じことが出来る者がいることか、そう思えるほどにテレサの剣は確かに鋭かった。
女でなければ騎士団に迎えたいと思うほどだ。
「…………槍ではマゴット殿には及ばぬゆえ剣でお相手いただこうかな?バルド殿」
「お手柔らかに………」
にこやかに笑う母の目がまったく笑っていないことにバルドは背中を冷や汗で濡らしながら剣を構えた。
(まったく…………洒落にならん………)
剣を向けられただけで肌を突き刺すような剣気が膨れ上がる。
すでに60才の老境に達したラミリーズだが鋼のように鍛えこまれた筋肉は衰えを知らぬかのようだった。やや短躯でありながら丸太のように万べんなく鍛えられた肉体と戦場勘はいまだラミリーズを第一級の戦士にとどめていた。
「ふん!」
なんの予備動作もなく点のように見えていたラミリーズの剣が距離感を掴ませぬままにバルドの顔面に迫る。
ほとんど勘だけでバルドはこの一撃を回避した。
(ほう、これも魔法なしに避わすか)
剣にも槍にも、対人戦で間合いを掴ませないための様々な技術がある。だが間合いというものは単純な技術であるだけではなく、心の読み合いを含んだ様々な経験の量が絶対に必要となる。
そもそも勘とは思考ではなく無意識にまですりこまれた反射によって経験の引き出しを引き出すものであるのである。この年齢でそれが出来るということにラミリーズは驚き以上に同情にも似た想いをバルドに対して抱かずにはいられなかった。
(………こんな小さい息子になんと銀光の容赦ないことよ)
まだ9歳にしかならないバルドに無意識にすりこまれるほどの対人戦の経験があるのは武人であるラミリーズにしても行きすぎであるように思われたのである。
だが、実際はその経験は膨大な岡左内の経験が含まれているためにだいぶ割り引いて考えなければならないのだが。
「これは本気を出してもよいかの?」
「勘弁してください、割とマジで」
「なに、年寄りの本気など些細なものよ」
そう言いながらもラミリーズは魔法を使わずにバルドに向かって打ちかかった。
目にもとまらぬ速さで上下左右と容赦のない斬撃がバルドを襲うが、圧倒的に膂力に劣るはずのバルドはその斬撃のすべてを避わし、受け流すことで小さな身体を守り切った。
だが懐にもぐりこまれてもラミリーズの斬撃は収まらない。短躯のラミリーズにとって至近距離は決して苦手な間合いではない。
(くそっ!しくじった!)
体格が全く違う以上接近戦にしか勝機を見いだせないバルドにとってラミリーズが接近戦を苦にしないのは予想外であった。さすがに将軍が接近戦を苦手にするとは思えないが多少なりとも手数が減るだろうと予想していたのである。
この時点ですでにバルドは回避をほぼ勘に任せている。まともに思考して対応していたのでは間に合わないからだ。そして残った思考のすべてを打開策を練ることに費やしていた。
(将軍は魔法の身体強化を使っていない。おそらく僕が使っても使わないだろう。とはいえ危なくなれば躊躇なく使う。魔力にも差がある以上それをやられたら最後だ)
つまりラミリーズが油断しているうちに奇襲で一撃いれる。それ以外に地獄の訓練を逃れる術はなかった。
「すごい………バルドがこんなに強くなっていたなんて……」
自分であれば一合で弾き飛ばされそうな斬撃を凌ぎ続けるバルドは明らかに自分とは違うステージに立っている。その事実を不本意ながらテレサも認めないわけにはいかなかった。
「うちの息子は年季が違うからねえ……テレサ嬢ちゃんには悪いけどそう簡単に追いつかれちゃ私の立場がないさね」
テレサの才能はマゴットも認めるところだが、令嬢に多少腕のよい師匠がついたくらいで追い抜かれるほどマゴットの鍛えは安いものではない。あのバルドだから耐えているが普通であれば大の大人でも十人中九人は壊れているはずのものだ。
幼くしてバルドをライバルと見定めたらしいテレサには悪いがこの先も追いつかせる心算はない。
「いえ、むしろ倒し甲斐があるというものですよ」
セイルーンを除けばおそらく自分しか知らないバルドの真実をテレサは知っている。
非常識な強さを持ちながら、バルドは不思議なほどに他者との接触に怯える気弱な少年であったことを。それは今ではまったく見せることのなくなった人格の不安定であったころの世界そのものに怯えていた前世の記憶に振りまわされる幼いバルドの姿であった。
いささか問題のある嗜好をもつテレサにして抱いた感情はもしかしたら保護欲であったかもしれないが、それは今となっては誰にも、テレサにすら分らぬ話である。
「ちっ!」
次第にさばききれなくなった木刀がバルドの肌に赤い擦過傷を作り始めた。
一瞬の隙も許されない剣撃の応酬はバルドのスタミナをあっという間に奪い去ってしまっていた。
(機会を待つことも許されんか)
このままではジリ貧になる。
そう覚悟を決めてバルドは身体に魔法を巡らした。
―――――身体強化。もっとも基本にしてもっとも汎用性の高い強力な魔法である。
母マゴットはこの身体強化で速度に特化した高速戦闘により銀光の二つ名を名づけられるにいたった。
(………ふむ、まずは見事な気の巡らし方だがさて…銀光の腕をどこまで受け継いでいるものか……)
決して油断していたわけではないが、ラミリーズにはまだバルドの武を量ろうとするだけの余裕がある。そしていつでも身体強化を発動するだけの準備は出来ていた。
わずか9歳にしてラミリーズの血を滾らせるバルドの武はさすがというほかないが、それでもなおラミリーズに身体強化を使わせるには届かぬであろう。
もしもラミリーズに身体強化を使わせたなら、この勝負はバルドの勝ちだとラミリーズは考えていた。
しかしバルドが銀光マゴットの速度に多少でも迫ることが出来るのならばさすがのラミリーズでも身体強化なしに凌ぐことは難しい。
(どう足掻いて見せるかね、我が息子は)
バルドは自慢の息子ではあるがバルドは決して銀光の後継者ではない。
あれはバルド流としか名づけようのないものだ。
ラミリーズがそのあたりを勘違いしていれば面白いことになるだろう。
楽しそうにマゴットは疲労に滝のような汗をにじませたバルドの、まさに牙を剥かんとする男の顔に目を細めていた。
高見梁川の心象世界
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