第五話 少年のお披露目
「いったいどこまでほっつき歩いていた!?」
夕刻、屋敷へと戻ったバルドを出迎えたのは玄関に仁王立ちした父の怒号であった。
見るからに煌びやかな衣装を身にまとい香水の香りを漂わせた父の様子にバルドは「あっ」と失念していたことを思い出した。
「そう言えば…………今日は夜会でしたか………」
「急いで着替えろ!全く……今夜はお前が主役なのだからな!」
「すいません、急ぎます」
母上が朝からあんまりいつも通りにしごくものだからすっかり忘れていた。
………もしあの訓練で傷を負ったらどうするつもりだったのだろうか……?それでも気にしなさそうだな、あの母上なら。
「名誉の負傷だ。いいからとっととパーティーに出ろ」
とか言いそうだ。父上が胃を押さえる様子が目に浮かぶ。
そんな母上に惚れてしまった父上の自業自得とはいえ憐憫の情を禁じえない。
さて、せめてこれ以上父上の胃に負担をかけぬよう準備するとしよう。
早足で私室に戻るとそこにはセイルーンが暗い笑みを浮かべて待ち構えていた。
「……お早いお帰りですね、バルド坊っちゃま」
「うっ…ごめんなさい………」
これはまずい。
氷の棒を背中に突っ込まれたような悪寒を感じてバルドは必死に頭を下げた。
「お屋形様や奥方様に坊っちゃまの行方を聞かれて私がどれだけ恥をかいたかご存じですか?」
恨みます、と言わんばかりのジト目で見つめられてバルドは平身低頭して謝罪するしかなかった。両親は決して暴虐な領主ではないが、ほかの領内であれば下手をすれば暇を出される可能性すらある話だ。
バルドはセイルーンに甘えすぎていたことに気づく。
やはりバルドにとってセイルーンはメイドではなく姉がわりであり、幼なじみでもある存在なのだ。
彼女の存在がなければバルドが今こうして人格の同一性を保つことができたかどうかは疑わしい。
素直に頭を下げバルドは心から謝罪した。
「――――本当にごめん。これからはセイルーンにも話すよ」
正直セイルーンに内緒で話を進めるのも限界であったところである。
うまく説得して、彼女をこちらの仲間に引きこんでしまおうという判断もある。
バルドから見てもセイルーンはメイドである以上に優秀な補佐役であった。
「もう二度とこんなことをなさらないようにお願いしますね。それじゃ、早くお着替えを急いで」
可愛い弟分から頭を下げられるとこれ以上セイルーンとしても怒る気分になれない。
まったくバルド坊っちゃまには弱いわ、と苦笑しながらセイルーンはパーティー用に仕立てたバルドの礼服に着替えさせるため彼の手を引いていくのだった。
まるで仲の良い姉弟のように。
コルネリアス伯爵家の嫡男バルド・コルネリアスが公式の場に姿を現すのは今夜が初めてのこととなる。
通常嫡男のお披露目は5歳程度のころに行われるため、ここまでその時期がずれ込んだ理由はバルドが病弱であるためというのがもっぱらの噂であった。
好むと好まざるとにかかわらず、次代のコルネリアス家を担うものの力量がどれほどのものであるかということは近隣の貴族の間でも重大な関心事である。
王都の宮廷貴族はともかく、軍部と辺境の貴族たちにとってコルネリアス家はそれほど軽視できる存在ではなかったのである。
ハウレリア王国との西部国境の要こそがコルネリアス伯爵領であり、和平が結ばれたとはいえ関係が改善されたとは程遠い状況にある現状コルネリアス伯爵が国防に果す役割は大きいのだ。
とはいえ一介の傭兵を正室に招き貴族の血を穢したと言われるコルネリアス伯爵家が貴族間で評判を落としていることもまた確かなことであった。
そのため今日の夜会に招待したのはコルネリアス家の身代を考えれば非常に少ないものだった。
「久しぶりだなイグニス」
「変わりなさそうでなによりだ。マティス」
がっちりと右手を握りあい二人の男は肩を抱き合った。
貴族の嫌われ者イグニス・コルネリアスにとって数少ない親友と呼べる男、マティス・ブラッドフォードは先年の戦役におけるイグニスの戦友である。
今は王国の北西部でブラッドフォード子爵家を継いでいるが戦役中は国軍の蒼炎騎士団に所属していた。
コルネリアス家ほどではないが尚武の武門として知られており、その戦力は決して侮れるものではない。
「テレサ嬢も大きくなったな」
「叔父様こそお変わりなく。ところでバルドはどこかな?久しぶりに会いたいのだけれど」
「今ちょうど着替えていてね。もうすぐ来ると思うが」
テレサとよばれた赤毛の似合う活発そうな美少女は莞爾と笑った。
「今夜はさすがに我慢するけど明日こそはバルドから一本とって見せるから覚悟してくれ叔父様。僕もあれからだいぶ腕を上げたんだから!」
これはいったいどういうことだ、という親友の無言の問いかけにマティスは諦めたように頭を振った。
美しいその容姿に似合わず、この数年でテレサは貴族としてはいささか活発すぎる少女に育ってしまっていた。
このままではイグニスの妻マゴットのような女戦士になると言い出しかねないので、マティスとしてはバルドにこの娘の高い鼻をこの際へし折ってもらい、出来れば恋の相手になってくれないものかと埒もないことを考えていたところであったのである。
娘の嫁ぎ先としてコルネリアス家の嫡男であれば申し分ない相手であることもあるが。
見目にはせっかく可愛らしい容姿をしているだけにマティスには残念ではならない。
しかし父の期待には悪いがテレサにとって自分と同じ年齢であるバルドが母マゴットに激しい稽古をつけられているのを見たあの日から、バルドはいつか追い越すべき目標なのだった。
どうしてそんなに固く思うのか自分でもわからないがバルドには絶対に負けたくないと感じる自分がいるのである。
「イグニス卿にマティス卿も息災で何よりでございますな。ご嫡男も立派に成長されたようで老体もうれしく思いますぞ」
「こ、これはラミリーズ将軍!ようこそお越しくださいました!」
慌ててイグニスとマティスは丁重に腰を負った。
爵位こそ持たぬがラミリーズ将軍こそは現在の王国軍でもならぶもののない武勲をもつ重鎮であるからである。
マティスにとってはかつての直属の上司でもあった。
60才を超えながらがっしりと広い肩と厚い胸板はいささかも衰えていないように見える。
髪こそ白く艶を失っていたが、鋭い眼光と赤銅色に焼けた肌はいまだ彼が現役の武人であることを明確に告げていた。
「マティス卿が当主を継がれたのは蒼炎騎士団にとっては残念なことでありました。できれば騎士団長としてあと数年ほど勤めていただきたかった」
「非才の身にあまる光栄です」
本当に心から恐縮してマティスは身を折る。
平民であるからへりくだった話かたをしているがラミリーズが本気を出せば今の年齢差があってもマティスは勝てる自信がないのである。
戦場の鬼神と言われたラミリーズの戦いぶりを知るイグニスもマティスと同様到底頭を高くしてなどいられなかった。
「おおっじい様、まだくたばっていなかったか」
「はっはっはっ、銀光殿ももう少し奥方らしくなったかと楽しみにしてきたのだがな」
「これでもいつもはおとなしくしてるさ。だが今さら体裁を繕う仲でもあるまい」
「………正直今でも信じられんよ。お転婆がイグニス卿の奥方をしているということが」
「それは私もそう思うぞ」
マゴットはからからと笑って硬直した夫の背中にきつい張り手を食らわせた。
「何をぼやっとしている。早くじい様を案内しないか」
「あ、ああ………」
傭兵であったころからマゴットとラミリーズの間には何かの関係があったことはイグニスも知っている。親族の反対に会いなかなか結婚出来ずにいるイグニスとマゴットの結婚を国王が認めてくれたのにはラミリーズの助力があったのではないかとイグニスは睨んでいた。
爵位を受け取らず平民のままのラミリーズにそんな政治力があるというのは不思議な話なのだが軍を率いらせたらラミリーズの手腕に匹敵する人間は国内に一人もいない。
この宝石より貴重な老人の頼みであればあるいは国王も黙って聞くほかないかもしれなかった。
「ところでじい様、後で息子の腕を見てやってくれないか。あれはそう遠くないうちに私を越えていく戦士になるだろうからな」
「………お転婆でなければ親馬鹿もいい加減にしろと思うところだぞ」
そういいつつもラミリーズの瞳の色は剣呑である。
ラミリーズの知るかぎり個人レベルの戦力でマゴットに匹敵するのはイグニスやマティスなど数えるほどしかいない。
しかも戦場での戦勘となればマゴットはラミリーズの知る最強の戦士であった。
そのマゴットの才能を超える者がいるとすればそれは決して放置できるような話ではなかった。
「槍はともかく私は魔法と剣は我流だからね。じい様の意見が聞きたかったのさ」
「それはこちらからお願いしたいくらいだ」
イグニスの跡継ぎの才能は王国にとっても大きな利害がある。
実のところハウレリア王国はマウリシア王国への侵攻を諦めていない。
ハウレリア王国の水源のほとんどを独占しており、湖などの水源にまで恵まれたマウリシア王国はハウレリア王国にとっていつか併呑しなくてはならない歴史的な土地なのだった。
そのハウレリアの圧力をまともに受けているコルネリアス家は森林地帯という防御効果の高い領地を有しているとはいえ明らかにその戦力より過剰の脅威にさらされ続けてきた。
万が一無能な領主が有効な対策をとることができなければたちまちコルネリアス領はハウレリアによって蹂躙されてしまうはずであった。
実のところ国王自身からラミリーズはバルドの人となりをよく見てくるように内密に命じられている。場合によっては今すぐどうこういうことはないだろうが、下手をすれば国王自身がコルネリアス家の家督継承に介入することすらありえた。
バルドが跡継ぎに相応しい能力を持っているというのであれば何も問題はない。
しかしその才能が両親をすら超えるというのであればまた別な選択肢があるかもしれなかった。
老練なラミリーズを驚かせたことにマゴットは満足したようで、ドレスを翻して夫のもとへ行った。
廊下から青いドレスに身を包んだセイルーンがまるで招待客の令嬢のようにしずしずと現れるのを見て、イグニスはバルドが準備を終えたことを知った。
「どうやら準備が整った様子。それでは皆様広間にて杯をお取りあれ」
バルドは気恥ずかしげに白いタキシードのような正装に身を包んだ自分を眺めた。
セイルーンはその出来に満足しているようだが、どうにも装飾過多のような気がしてならない。
岡左内も婆沙羅な装束を好んだ面があるが、それはあくまでも戦場のことであり戦場を離れればむしろ質素な格好が常であった。
また岡雅晴の前世から考えればほとんどコスプレをしているような感覚である。
庶民のごく当り前な高校生であった雅晴の正装と言えば学生服と相場が決まっていた。
「…………仕方ない。これも貴族の義務だ」
バルドは大きくため息をつくと、出席の来賓が見守るステージへ覚悟を決めて歩き出した。
高見梁川の心象世界
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