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第四話   念願かなって…
 「これ、舐めてみてくれ」
 「えらい少ないなあ………」
 「試作品に贅沢言うなよ」

 セリーナはバルドに差し出された茶色い玉をヒョイと口のなかに放り込む。
 独特の深みのある甘みがたちまち舌先に溶けだすと、セリーナは蕩けるように目を細めた。

 「んん~~~!甘味サイコー!!」

 商会を差配するセリーナといえど砂糖はそう簡単に口にできる品ではない。
 高価であることも理由のひとつだが、そもそも流通する絶対量が足りないのだ。

 「どうだ?」
 「その人の好みにもよるやろうけどうちはこっちの砂糖のほうが美味しいわあ」
 「っしゃ!」

 そう言ってバルドは右手で握りこぶしをつくって肘を引く。
 たまにバルドはこういう意味不明の動作をするが、とにかく喜んでいる気配は伝わった。

 「伯爵領うちの特産にしたいんだが育てること自体は簡単だからな。いずればれて真似されるだろ。だから次のステップのための資金稼ぎと割り切って作付を拡大する予定だ」
 「それで販売はうちに任せてくれるんやな?」
 「そう、だからそろそろその耳に触らせて………」

 毛並みの良い耳へと手を伸ばすバルドの手の平をつねってセリーナは悪戯っぽく笑う。

 「うちはそんなに安い女やないんよ」

 獣人族にとって耳を触らせるのは心を許した男性のみだ。
 内心ではバルドになら触られてもよいと思っているセリーナだが、こんな風にふざけた態度で触られるのはごめんだった。
 もっとも一人の女性として愛してくれるというならば触れされるのもやぶさかではない。

 「………残念。でも販売を任せるというのとはちょっと違うかな?」
 「………ほう」

 バルドの言葉に言外の意味を感じ取ってセリーナは目を細めた。
 助けられたときの雰囲気もあるが、セリーナ自身バルドを見た目通りの9歳の少年とは思っていない。特に楽しそうに悪戯っぽい笑みを浮かべているときはそうだ。

 「正直、看板を貸して欲しいんだよね。もちろんいろいろな実務はセリーナにお願いせざるをえないんだけど、僕は僕の考えで金を動かしたいんだ」
 「………どこまで自分が口を出すんや?」
 「基本的な方針だけだよ。何を買う。何に投資する。全額か?半額か?あとはセリーナの才覚に任せるさ」
 「うちのメリットは?」
 「看板代に利益の1割でどう?」

 セリーナはずい、と身を乗り出して鼻息荒くバルドを睨みつけた。

 「うちを安く見すぎや、3割」
 「資金は全部僕が出すんだからそれは暴利でしょう。1割5分」
 「何を売るにしろいくらで契約するにしろうちの才覚なしには絵に描いた餅やろ?それに自分うち以外に頼める人間おるんか?3割」

 想像した以上に頑ななセリーナの姿勢にバルドは困ったように頭を掻いた。
 セリーナ以外にこんなことを頼める知り合いもいないというのも確かなことである。
 投資信託を基準にどうせリスクのない仕事なのだからと軽く考えすぎていたらしい。
 
 ………ここで譲歩するのは簡単だが3割となればどれほどの金額になるか………惜しいっ身が切られるほどに金が惜しい!しかしセリーナ以外に頼るべき人間がいないのも事実、ならば…………。

 「………それじゃ耳触らせてくれたら3割でいいよ」
 「んぐっ!?」

 思わぬ切り返しに今度はセリーナがのけぞった。
 正直最初はバルドの思い通りにいかせるのが癪に障っただけのことだった。
 間違いなくバルドの発明と商品は巨万の富を生むであろう。
 バルドに選択肢がないのは承知だが、万が一ここでバルドとの接点を失えば損害が大きいのはセリーナのほうである。
 ここで本気で断るということはセリーナはもちろん考えていない。
 3割というニンジンとこれを好機にバルドとの関係を一歩前進させたいという欲求にセリーナは顔を真っ赤に染めて逡巡した。

 「す、少しだけ、特別やで?」

 つい先ほどそんな安い女ではないと言ったのも忘れてセリーナはペタリとしおれた耳を差し出した。
 ―――そうだ。これは3割の報酬のため。決してバルドに触って欲しかったわけでは……。

 「ふにゃっ?」

 バルドの指先が毛並みのよい耳の先端を擦るような感覚にセリーナの口から奇声が漏れた。こそばゆいような、それでいて心の奥が満たされていくような感覚にセリーナは無意識のうちに目を細めた。
 プルプルと震える肩に怯えるようにぺったりと伏せ耳になったその姿はバルドにとって煽情的ですらあった。
 バルドの脳裏に厨二病を患っていた岡雅晴の記憶がよみがえる。
 犬耳萌え――――それはケモナーの至高にして正義の伝承であった。
 (こ、このモフモフ感はたまらんっ!)

 「ん……ふきゅう…」

 子犬のような鳴き声がポツポツと漏れだすがセリーナが決してそれを厭がっていないことは盛大に揺れ動く尻尾が雄弁に告げていた。
 長年の望みが叶ったバルドは執拗に毛皮を堪能したに飽き足らず、敏感な耳裏の皮膚を揉みしだき、暴走する欲情の命ずるままに頬擦りしようと身を乗り出した、がしかし………

 「調子にのんなやあああああっ!」
 「ぐはっ!」

 セリーナの小さな頭を抱えこもうとしてがら空きになった腹に渾身の一撃を食らってバルドは3mほど吹き飛ばされた。
 武芸を嗜んだバルドに反応する隙も与えぬ見事なボディブローであった。

 「す、少しだけ!少しだけって言ったやないか!しかも初めてやったのに遠慮もせえへんで…!」

 顔を真っ赤に染めて涙ぐんでいるセリーナの様子にバルドは正しく自分がやりすぎたのを理解した。モフモフは正義だが、女性の涙は正義すら覆すのだ。

 「私が悪うございました」
 「こ、今回は特別なんやからな?次はもっと優しくせんと許さんへんで?」
 「やった!苦節1年ついにモフモフ権ゲットォォォォォォ!」
 「う、うちが許可したときだけやからな?」
 
 「…………さっきから二人で何をしているか聞いてもよろしいか?」
 「「えっ?」」

 呆れた顔でちょっぴり頬を赤く染めている番頭のロロナがいるのに気づいてバルドとセリーナは羞恥に沸騰するように顔を湯だてて絶叫した。

 「「いやあああああああ!!」」



 「………まったくいい年齢……というわけではありませんが会頭は年上でしかも一国一城の主なのですから、もう少ししっかりしていただかないと………」
 「返す言葉もないわぁ」

 腹心の叱責に本気で肩を落とすセリーナであった。
 ロロナは父母が将来の幹部候補として育てていたサバラン商会の古参である。
 といってもまだ26歳の乙女で、結いあげた美しい黒髪にメリハリの効いた魅惑的な肢体の大人の女性である。言いよる男は数知れないのだが、いまだに浮いた噂一つない彼女にセリーナは他人事ながらもったいないと思わざるを得ない。

 「余計なお世話です」
 「うち何も言ってへんよ!?」

 決して無能ではないセリーナではあるが、まだまだロロナには頭が上がらない。事実上サバラン商会の実務はロロナの際立った事務処理能力に負うところが大きいのだった。

 「バルドぼっちゃま、何か面白いことをなさるようですが当商会といたしましても参入をお許しいただけるなら報酬は2割でよろしゅうございますが」
 「………リスクは自己責任になりますよ?」
 「もちろん、その価値があるかどうかはこちらで十分吟味させていただきます」

 思っていた以上にロロナはやり手であった。
 下手をすれば資本力に勝るサバラン商会にバルドの商売がのっとられかねない。
 バルドの計画を何十倍にもして同じことをするだけの力がサバラン商会にはあるのである。

 「上客に仁義を欠くような真似はいたしません」

 まるでバルドの考えなどお見通しだ、と言わんばかりにロロナは微笑む。
 実際にお見通しなのだろう。よく考えればバルドは別にサバラン商会と取引しなければならない義務はない。普通に考えれば父コルネルウス伯爵の伝手でサバラン商会などよりよほど大きな商会をあっせんしてもらうことだって可能なはずなのだ。
 その貴重な金蔓を利に聡いセリーナやロロナが不義理を働くはずがなかった。
 きまり悪そうに頭を掻くと、バルドは脱帽してロロナに向かって頷いた。

 「そういうことならパートナーとしてこれからもよろしく」

 ニヤリと不敵に笑ったロロナは、いま思いついたとでも言うように「そうそう」と呟いた。

 「代わりと言ってはなんですが会頭の耳を弄ぶのは慎んでくださいませ。獣人族にとって耳を触らせるというのは身を任せてもよいと思った異性のみ。バルドぼっちゃまが公私ともに会頭をパートナーとしたいのならば別ですが」

 「うえっ?」
 「……………マジですか?」

 首まで真っ赤に染まって奇妙な悲鳴をあげるセリーナに、バルドは自分がどうやらとんでもない地雷を踏んでしまったらしいことを自覚した。

 「もっとも会頭はまんざらではないようですけれど」
 「も、もう!これ以上は怒るで!ロロナ!」
 「………さしでがましいことを申しました」

 なんというか完全にロロナの貫禄勝ちであった。
 バルドの前ではお姉さん然としたやり手のセリーナだが、子供のころから知っているロロナの前ではやはり分が悪いらしかった。

 「それじゃさっそく砂糖を王都で捌いてくれるかな?そのお金で……買えるだけ買ってきてほしいのがあるんだけど………」

高見梁川の心象世界


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