« ヘイトスピーチがダメなわけ | トップページ | 犯罪そのものよりも »

2013年5月23日 (木)

憲法は権力を縛るものという考え方と96条改正

憲法は権力を縛るものという考え方と96条改正

47NEWS:96条改正「憲法への挑戦」 主張超え学者結集
http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013052301001904.html

発起人は憲法学者や政治学者ら36人。護憲派だけでなく9条改正を唱える改憲論者も含まれており、主張の違いを超えて大同団結した。声明は「96条を守れるかどうかは権力を制限するという立憲主義にかかわる重大な問題。(改正は)政治家の権力を不当に強めるだけだ」と訴えた。

「国会は国権の最高機関」ですよね。その国家権力の最高の場所が「権力を制限する」という憲法について拒否権を持っているのはおかしいのではないでしょうか。

拒否権というのは、国会が発議しなければ憲法は改正できないので、つまり、いちど国会に都合の良い憲法になってしまったら、変えようがないという意味です。

  *        *        *

憲法は権力を縛るもの、この事に私は完全には納得していません。もし、憲法が権力を縛るものであれば、国権の最高機関に改正についての拒否権を与えるのはおかしいのではないかと思うのです。

もしも、憲法が権力を縛るものであれば、権力もなにもない一般国民が憲法改正を発議できるような仕組みが必要ではないかと思います。

  *        *        *

国会という権力を経由しないで、国民の請願によって、憲法改正の発議が出来るようなところまで踏み込んだ議論をしないまま、憲法は権力を縛るものなんて言われても、国会自身が権力なんですから説得力がありません。現状維持派に見えてしまいます。

BlogRanking (読む価値のある記事だったらクリックお願いします)

|

« ヘイトスピーチがダメなわけ | トップページ | 犯罪そのものよりも »

コメント

そうか、やっと解りました。
国会が憲法改正の為の力を持つのはいいんですよ、建前上は。
国民の代表ですから。
でも、学者や野党の代議士がおかしな事を言っている。
憲法改正に際し、国会の大きすぎる力(明治憲法の名残かしら。)を小さくしようとする案を、頭から問題視するなんて。
これこそエリートだけの選択に任せるのではなく、国民投票で決めてもらいたい話です。

多分、政府=与党=政治権力の認識だから、おかしな話になるんですね。
(少なくとも予算委員会などでの総理大臣への憲法案の質問は何かおかしい。)
それが現実でも、憲法上は一応分権されているんだから、
気に入らないなら、そこ↑を改善する提案をしたらいいんですよ。
憲法改正案のために。

投稿: ohsui | 2013年5月23日 (木) 22時54分

>権力を制限するという立憲主義

マグナ・カルタの「イングランド国王の権限の制限をその内容とする」を引きずっている憲法学者の論理。
国王は、民衆の選挙で選ばれていない。
だから、権限を制限する。
しかし、日本は主権在民で、議員は選挙で選ばれる。
まったく構造の違うものを、当てはめているだけ。

憲法は権力者を縛るものだから、憲法を守るのは権力者で、国民は守らなくていい。
という説を言う流す学者もいますが、それもマグナ・カルタかぶれ。

投稿: a | 2013年5月24日 (金) 01時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107287/57444841

この記事へのトラックバック一覧です: 憲法は権力を縛るものという考え方と96条改正:

« ヘイトスピーチがダメなわけ | トップページ | 犯罪そのものよりも »