まずは大日本帝国憲法(明治憲法)を読んでいただきたい。
よく辞書などには”欽定憲法・天皇絶対主義の憲法”などと書かれているが、これは間違いである。それでは日本がアジアで最初に近代化し・民主主義を達成できたかが説明できない。
憲法を始めとして法律というものは
素直に読むものではなく(条文解釈ではなく)
法理(法理論)と判例によって読むものなのである。
法理とは例えば有名なものとして
罪刑法定主義:あらかじめ犯罪とされ刑罰が定められていなければ罪とはならないということ。
不遡及の原則(事後立法の禁止):法がその実施以前の事項に遡って適用されないこと。
特別法は一般法に優先する:一般法とは適用領域が地域・人・事項によって限定されない法。特別法は限定される。商法との関係では民法が一般法。会社法との関係では商法が一般法。憲法は一般法・自衛隊法は特別法である。
などがある。
だから極端な例ではイギリスには成文憲法がない。だが民主主義国で立憲君主国であることは確かである。それは(昔からの)判例があるからだ。いかに判例が需要であるかこのことがよく表している。
では法理にしたがって明治憲法を解釈してみるとどうなるか。
1条に
大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
4条に
天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う
とあるから”統治権は天皇にある”と思いがちであるが、法理によれば統治権とは”拒否権”のことである。「天皇には(あらゆることに)拒否権がある」とは明治憲法のどこにも書いてないから、天皇には拒否権がなく・したがって主権(統治権)は天皇にはないのである。
”天皇が拒否権を行使した判例”もないから、やはり明治憲法上・天皇には主権(統治権)がなかったのである。たしかに昭和天皇は二度だけ主体的に行動した例がある。しかし
2・26事件のときは内大臣・大蔵大臣・教育総監が殺され、岡田首相も一時連絡が取れなくなり政府が壊滅状態になった。
大東亜戦争の終戦間近、ポツダム宣言を受け入れるかどうかの御前会議が開かれたときは賛否同数になり・事態を打開するには天皇の裁可を仰ぐしか方法がなかった。
だからこの二つの場合は緊急避難的な特例事項なのである。
日本国憲法に15条:公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
とあるように拒否権(リコール権)の存在が民主主義の絶対必要条件である。
明治憲法第55条にも「国務大臣は天皇を輔弼(ほひつ)し其の責に任ず」とあるように、明治憲法下の天皇は国務大臣の輔弼(助言と進言)によらなければ何もできなかったのである。
第一天皇絶対主義の国であれば、憲法そのものがいらない。「天皇は憲法に従って政治を行う」と言う趣旨のことが書かれていれば、憲法が天皇の上にあるということなのである。これを立憲主義という。憲法があること自体が君主の統治権を否定しているのである。
ただし憲法さえあれば民主主義が行われるかといえば、そうはいかない!当時”世界一民主的な憲法”と言われた「ワイマール憲法」からヒットラー政権が生まれた例もあるから国民の不断の努力が必要なのである。
つまり明治憲法は充分に民主憲法であったのであり、戦前でさえ日本には民主主義がちゃんとあったのである。これは「ポツダム宣言」の10項に”吾等は日本人を・・・日本政府は日本国国民の間に於ける民主主義的な傾向の復活強化に対する一切の障礙(障害)を除去すべし”と書かれていることからも証明できる。「民主主義的な傾向の復活」なのであるから、”民主主義が以前の日本にはあった”のである。
また「統帥権は天皇に属する」と書かれているが、予算は議会が握っており、やる気があればいくらでも軍を統制できた。
日清戦争・日露戦争・大東亜戦争(太平洋戦争)に対して明治天皇・昭和天皇はこれら全てに反対のお心を示したが、内閣が一致して戦争を決議している以上これを裁可する外なかったのである。これに対してベトー(Veto:拒否権発動)をすれば立憲政治は崩壊する!天皇独裁になってしまう。それだけはできなかったのである。
明治憲法の立憲主義的解釈に「天皇機関説」がある。簡単にいうと”統治権の主体は法人である国家であり、天皇はその一機関であるに過ぎない”というもの。昭和天皇も「それでよい」と言われていた。
憲法学者で東大教授の美濃部達吉博士が代表的論者であるが、1935年に国体明徴問題で美濃部博士が貴族院議員を辞任させられ・著書が発禁処分になるまでこの天皇機関説は学会の通説であったのである。
以上公平に見て明治憲法は当時の世界常識に照らしてみても充分に民主的であったのである。日本国民は誇りに思ってよい。
たしかに今から見ると不満・充分でない点はあるだろうが、フランスはアルジェリア戦争(1954~1962年)まで拷問をやっていたし・アメリカでもケネディが公民権法案を通過(1964年)させるまでは黒人は露骨に差別されていた。スイスが女性参政権を与えたのは1971年で日本に遅れること26年である(州によっては更に遅れた)。
最後に憲法に関して一つ述べておきたい。
日本国憲法の公布文にはこう書いてある。
帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日
改正と革命の違いを記す。
改正:前憲法を少し変更する。王朝の交代・君主の退位はない。
革命:前憲法を大きく変更する(すっかり変える)。王朝の交代・君主の退位が大抵ある。
公布文に帝国憲法の改正と書かれ、帝国憲法から現・日本国憲法に替わる際、天皇の退位もなかったのであるから、革命もなかったのである。
であるからして
現日本国憲法は明治憲法(大日本帝国憲法)を”小さく変えた”ものであり、前憲法との差はあまりなかった!つまり
民主主義という観点から見て明治憲法と日本国憲法とはほとんど同じであった。明治憲法はもっと評価されていいのだ。
と言うことができる。
だから残念ながら現憲法を大きく変えることはできない。
しかし「現憲法制定時に革命があった」との左翼学者の主張には「ではこの次には現憲法を革命的に変えてもいいのだな!」と反撃してやることはできる。革命のなかった日本史上に判例ができたことになるからである。
では
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