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第三話   蘇る戦国武将
 バルドが畑で栽培したのはテンサイである。ビートとも呼ばれる。
 日本では砂糖大根などとも呼ばれるサトウキビと並ぶ砂糖原料の植物である。
 多くの葉を出すことから葉野菜として用いられ、その後根の部分が家畜の飼料に用いられていたが、砂糖の抽出が開始されたのは遅く実に18世紀も半ばになってからである。
 気候的に温帯に属するアウレリアス大陸では砂糖はほとんど南のサンファン王国からの輸入に頼っていた。もちろんサトウキビ産である。
 この世界ではいまだテンサイからの砂糖抽出を想像したことさえなかったのだ。

 「ちゃんと細かく切ったか?それじゃそれを鍋に入れて煮込むぞ。沸騰しないように火加減を注意しろ。そのほうがおいしいものが出来上がるからな」
 「やった―――っ!やっぱり美味しいんだ―――!」
 「う~ん……薄味で大したことないって聞いたんだけどな………」

 黙々と煮ること1時間、マルゴは途中で飽きてしまったが、好奇心旺盛なポルコはじっと黙って火加減を調整し続けていた。こうした我慢強さがポルコの特徴であり、将来は父に似たよい衛兵になるだろうとバルドは思う。

 「よし、煮あがった根をさらし布で軽く絞れ。あとは灰汁を掬いながら煮詰めていったら出来上がりだ」
 「それだけ~~?」
 「ま、大した量にはならんだろうが……出来上がったらお前らもびっくりするぞ?」
 「……汁を煮詰めたら何も残らないんじゃ………」

 火を落とし灰汁をこまめにとりながら煮詰めること10分、根から絞られた汁は水飴のようなとろみを帯びてくる。薄茶色のドロッとした液体を鍋から掬い皿に移すと我慢できなかったようでマルゴがバルドの右腕にとりすがって催促し始めた。

 「ねっ、ねっ、これ食べてもいい?これで完成なんだよね?」
 「量が少ないから指で舐めるくらいにしとけ」
 「「「いっただっきま~す!」」」

 「あ」
 「え」 
 「お」

 「「「あっま~~~~~~~いっ!!」」」


 歓喜の声とともに三人は夢中になって甜菜糖を舐めはじめる。
 サトウキビ由来の純粋な砂糖は庶民にはなかなか手に入らない貴重品である。
 養蜂も普及していないために庶民の甘味といえばもっぱら果糖に頼らざるを得ないのが現状であった。
 
 「これって砂糖ですよね?どうして?どうしてこんなくず芋から砂糖が?」
 「うわっ!すごっ!バルド様私こんな甘いの食べたことないようっ!」
 「まさかとは思いましたがこれは………すごいですね……」

 一舐めするごとに頬に両手をあて、ほっぺが落ちそうを地でいっているマルゴや、見向きもされなかった食材から砂糖が取れたことに純粋な驚きを覚えているテュロスとポルコの反応を見て満足そうにバルドは目を細めた。

 ――――さあ、これでひとまず資金繰りの目途はついた。だが僕の野望はまだ始まったばかりだ!もっと金を!もっと!もっと!一心不乱に金を!数えるのも億劫になるほどの大金をかき集めよう!そしてあの――いやいやいやいやあれはだめだ。あれはやったら僕は人間的に終わってしまう気がする。だがしかし………くっ!今度こそ金貨の山に手が届きそうだというのに………!

 「バルド様どうしたのかなあ?」
 「何か難しいことを考えているのさ」
 「僕には悶えているように見えるのだけれど……」

 さすがの三人も、まさかバルドが床に金貨を敷き詰め、そこを全裸で転げ回りたいという前世の欲求と戦っているとは想像もつかなかったのである。
 独眼竜政宗をあと一歩のところまで追いつめた(しかも10分の1以下の寡兵で)非凡な戦国武将岡左内にはどうにも言い訳のできないある奇癖があった。
 金貸しを商い貯蓄に執念を燃やすのはまだよかろう。だが彼は月に一度だけ、奥の部屋に閉じこもりたった一人である儀式を執り行っていた。
 それが、部屋いっぱいに蓄えた小判を敷き詰め、おもむろに全裸になると全身で小判の感触を味わうというものであったのである。
 「ふひゃははは!この金の地肌の感触がたまらん!」
 「この楽しみのために生きてるでぇぇぇ!」
 現代の札束風呂を戦国時代に実行したのはおそらくこの男くらいなものであろう。 
 戦人としても内政家としても有能であった彼が主人を何度も変えなくてはならなかったのは、運もあるがこの人に言えない趣味が影響した可能性もなしとは言えまい。

 ―――くそ、金が……金の魔力が俺を惑わす………耐えろ!耐えるんだバルド!

 バルドが必死の忍耐で平静を取り戻すにもおよそ5分の時間を必要とした。



 「いいか?このことは誰にも話すんじゃないぞ?話した奴は即刻仲間はずれにするし、家来にもしてやらん。これは僕の将来の家臣となるための試練でもあるんだからな?」
 「もちろんです!」
 「大丈夫だよ~」
 「お任せください!」

 生まれて初めての口福を味わってテンションのあがった三人に残りのテンサイの収穫を命じてバルドは商店街へと向かった。
 昼をすぎて人通りの増したとおりを南へ歩いていくと一軒の商家がある。
 小さいが小ざっぱりとして瀟洒な雰囲気のその店には大きくサバラン商会という看板がかけられていた。

 「儲かりまっか?」
 「ぼちぼちでんな」

 バルドの問いかけに合言葉のように即答したのはサバラン商会の主人であるセリーナ・サバランその人である。

 「どうやらうまくいったようやなあ」

 花が咲いたように笑うセリーナは弱冠18歳の乙女である。
 スッと通った鼻筋やバラ色の小ぶりな唇、そして硬質な切れ長の眼差しは彼女に美少女というよりは、やり手の美女のような貫禄を与えていた。
 だがバルドにとってさらに重要な関心は彼女の頭部に鎮座する二つの大きな―――丁度耳の半ばほどから折れるように垂れ下った巨大な犬耳にあった。
 そう、彼女は獣人族なのである。
 極上の毛並みのそれを思う存分モフりたい欲望にバルドは駆られる。
 実はもう何度も頼み込んでいるのだがセリーナは頑として許してくれないのだ。
 アウレリア大陸において獣人族は決して珍しい人種ではない。
 大きく犬耳と猫耳に分かれており、獣王ゾラスと契約した英雄ブロッカスの血統であると伝えられる。人間より身体能力や五感に優れていることが多いがそれもわずかなもので、本物の犬や猫には遠く及ばない、耳と尻尾があるだけの人間である。
 セリーナはその美しい容姿と、不幸にも父が亡くなったことで相続することになったサバラン商会の財産を狙われ叔父に誘拐されかけていたところをバルドに救われていた。
 その日のバルドの姿を、セリーナは昨日のように思い出すことが出来る。
 そして追憶とともに下腹部に女の甘い疼きを覚えてしまうのを抑えることができない。
 あのときバルドはまだ7歳でしかなかったが、その雄姿は伝説の英雄に勝るとも劣らないとセリーナは確信していた。




 サバラン商会は行商人であった父マスードが母リリアと熱愛のすえ腰を落ち着けるために開いた商会で、規模は小さかったが行商時代に培った人脈と販路でコルネリアス領の中でも有望な商会として注目されていた。難病の母を助けるため無茶をしなければ有数の大商会に発展させることも可能であったかもしれない。
 しかしマスードは内臓が腐るという不治の難病に侵された妻を救うため王国中を駆けずり回ったあげく、教会の神霊術では治癒できないとわかると自らの内臓と交換するという禁断の闇魔法に手を出してしまった。
 藁にもすがる思いだったのだろう。普段のマスードならばそんな自殺同然の行動に出るはずがなかった。だが妻の死が目前に迫っている状況で冷静な判断を下す余裕はマスードにはなかった。
 ―――――結果マスードは自らの内臓を妻に譲って死亡。リリアもまた他人の内臓への拒否反応によってまもなく死亡した。よく考えればそんな都合よく難病を治癒できる魔法がもし存在するならば、普及していないはずがなかったのだ。今頃は天国でリリアにものすごい剣幕で説教されているに違いない。
 今思えば聡明で行動力もあり人好きのする父だったがいつもどこかが抜けている父だった。
 
 そして一人残されたセリーナのもとに碌につきあいのなかった母方の叔父が現れる。
 後見人としてセリーナの面倒を見てやろうとまるで当然のように店に侵入してきたので、すでにこの商会は自分のものであり商業ギルドにも登録と許可は済ませてあるというと途端に鬼のような形相で口説き始めたのである。
 曰く、経験のない小娘には任せられない。
 曰く、自分は王都でも名の知れた商人だから自分に任せておけば間違いない。
 寡聞にして叔父が商人であることなど知らなかったセリーナはこの提案を一蹴する。
 どこから見ても財産目当てのハイエナにしか見えなかったからだ。事実そのとおりであったろう。
 法的にセリーナの主張を覆すことが不可能であることを知った叔父は薄汚い罵り声をあげてサバラン商会を後にした。
 あんな人間の屑に騙されるほど自分は愚かでもか弱くもない。セリーナはそう信じていたが、わずか数日後セリーナは自分が叔父の屑さ加減を見誤っていたことを思い知らされることになった。

 「小娘が。おとなしく従っておけば娼館に売り飛ばすくらいですませてやってものを」
 「悪いけど私の男の理想は高いんよ。豚の相手はお断りするわ」

 油断していた。
 父から商会を継いだばかりで焦っていたということもあるだろう。
 得意先から大きな商談だという話を持ちかけられてホイホイついて行ってみれば得意先からの使いは真っ赤な偽物でごろつきを侍らせた豚がいやらしい笑みを浮かべていた。

 「こないな真似をして露見しないとでも思っとるんか?」

 無駄だとは思っていたが念のためセリーナは叔父を脅しておく。
 営利目的殺人は死刑だ。セリーナを殺せば叔父に疑いが行く可能性は高かった。

 「両親を亡くした娘が世をはかなんで身投げする―――というのはよくある話だ。溺れ死ねば証拠など残らんしな」
 「けっ外道が」

 これは私も父さんと母さんに説教かな………まだ諦めるつもりはなかったがここが自分の死に場所となる確率は高い、とセリーナは覚悟した。
 豚一人ならともかくごろつきの数は8人で、しかもそのなかには明らかに何度も人を殺したことのある凶相の男が二人もいたのである。獣人族が多少身体能力が優れているとはいえ敵う相手でないのは明らかだった。
 が、そのとき―――――。


 『可愛い童によってたかってせごす(いじめる)でねえ………』

 その場にいた全員が驚いて振り向くとそこには可愛らしい小さな男の子がいた。
 彼が何を話したのか、異国の言葉らしく誰も理解することはできなかったが、豚たちを罵倒しているのだということだけは雰囲気でわかった。

 「この餓鬼………!」

 普通に考えれば彼は事件に巻き込まれてしまった犠牲者だ。
 しかしセリーナは男の子の目を見た瞬間、なぜか自分が助かったということを確信した。
 獅子や虎を見ればわかるように、強者にはその瞳を見ただけでわかる強さがある。
 特に獣人族はその感覚が鋭敏だった。

 「おい、殺せ。あの世で己の迂闊さを呪うんだな」
 『なんや、お前ら命いらんのか?ゲンクソ悪い……』

 セリーナよりも小さな身長の少年である。
 取り押さえることも命を奪うことも造作もないとゴロツキは思ったのだろう。
 ニヤニヤと卑しい嗤いを張りつかせて少年を捕まえようとすると同時にまるで雷光のように少年が動いた。
 まさに電光石火。一番近いゴロツキの懐から刃物を奪うと微塵の躊躇もなく喉元に一突き、そしてさらにもう一人の心臓を突き刺すとその男が装備していた剣を奪う、と同時に刃物を投
擲して接近していたゴロツキの一人を倒す。
 少年の身体には不釣り合いに思える長い片手剣を準備体操のようにブンブンと振って見せると少年は不敵に嗤って豚たちを挑発した。

 『ちいとつれえがまあいい。やろいな、ほうけもん』
 
 少年が浮かべた明らかな侮蔑の表情を豚たちは見逃さなかった。
 明らかに強者が弱者に見せる優越を含んだ表情。
 社会的に人を見下し見下される立場の彼らがこの手の表情を見間違うことはありえなかった。

 「こ、こ、この餓鬼!早く殺せ!殺してしまえ!」

 このとき少年が只者ではないということを凶相の男たちは少年の身にまとう死の空気から敏感に感じ取った。だが見た目でしか少年を推し量ることのできないゴロツキは仲間の仇とばかりに気勢を上げて殺到する。すると少年の小さな身体がかき消えたかのように地面スレスレに沈みこんだかと思うと、気がつけば三人の足が脛から下を斬り飛ばされていた。

 「ぎゃあああああっ!」

 利き足を斬り飛ばされて立っていられる男はいない。
 激痛に悶絶する男たちには目もくれず、少年は豚に向かってナイフを飛ばした。

 「ひっ………ひいいいい!」

 思った以上に近くで豚の悲鳴を聞いたセリーナは思わず身体をのけぞらせる。
 どうやら自分を人質にするつもりでひそかに近づいていたらしかった。
 どこまでも下種な男だ。

 「お前らには高い金を払ってるんだ!いいか?必ず殺せ!」

 ゴロツキとは全く別格の殺気をまとった殺人者が少年の前に歩を進めた。
 だがそれでも涼しげな少年の佇まいはいささかも変わらない。
 殺人者が自分より弱い相手としか戦ってこなかったことを本能的に感じ取っていたからだ。

 (これなら母御殿のほうが何百倍も恐い)

 少年は躊躇しなかった。
 無人の野を歩むかのように無造作に殺人者に接近する。
 なめられたと思ったのか殺人者はゴロツキどもよりはかなり洗練された動きで斬撃を放ったがそれだけだった。
 剣を滑らせるようにして懐にもぐりこんだ少年はそのまま男を腰にかつぎあげるようにして地面に転がした。同時に踵に体重を乗せて男の喉元に落とす。「グゲッ!」と肺から空気を絞り出すように呻いて男はそのまま動かなくなった。
 もう一人の男は少年が自分から一切目をそらさずに無言で相棒を踏み殺したという事実に全身を冷や汗に濡らしていた。
 ―――――勝てない。それなりに腕に覚えのある自分たちを虫けらのように踏み殺す相手になど勝てるわけがない。
 男の目の片隅で、雇い主がしょうこりもなく娘に近づいていくのが見えた。
  
 「いいのか?娘の命が無くなるぞ?」

 言い捨てると同時に男はわき目も振らずに駆けだした。
 少年の注意が娘にそれた瞬間に、すでに男は剣の間合いから3歩は抜け出している。
 そのままスピードに乗って走りだすと男は自分が絶体絶命の危機から逃れたこと信じた。
 
 ガツン

 『石打ちでもまま人は死ぬけえ、なあ?』
 
 男の後頭部を穿ったのは河原に落ちているようなやや平べったいごく普通の石だった。
 どこにでもある石が少年にかかっては人の生命を奪うに足りる武器になってしまうらしい。
 昏倒して倒れた男の頭から大量の血が地面を濡らして流れ出た。男の生命の火が消えたにせよ消えかかっているにせよ、生きて男が立ち上がることはないだろう。

 「う、動くな!」

 少年の動きに見惚れていたセリーナは豚が性懲りもなく自分を人質にしようとしていたことを思い出した。愚かな、今逃げ出していれば命だけは助かったかもしれないものを。

 「剣を捨てろ!この娘がどうなってもいいのか!?」

 全く見ず知らずの、言葉も通じない少年に人質の意味はあるのか?とセリーナは思ったが頭に血の登った豚には理解できないらしかった。

 『お前が娘を殺すよりワエがお前を殺す方が早いけ』
 「剣を捨てろと言ったぞ!聞こえ………」

 ヒュンと何かが風を切って飛ぶ男が聞こえたかと思うと、豚は最後まで言わせてもらえずに額にざっくりと剣をめりこませて絶命していた。
 自分でも何が起こったか理解できたかどうか。セリーナにも少年が剣を投げつける動作は全く捉えることが出来なかった。
 なるほどこれでは人質の意味などあるまい。

 「お、おおきに………」

 セリーナは少年に頭を下げ感謝の意を示した。
 おそらく大丈夫だとは思うが、少年の言葉が理解できない以上余計な刺激は慎むべきだろう。だがそんなことを考えるよりも早くセリーナの足がカクンと膝から折れて腰から崩れるようにセリーナは座り込んだ。
 よく見ればガクガクと足が震えている。
 殺されそうになっていた事実に理性よりも本能が先に反応していたらしかった。

 「ふえっ?」

 温かい手で頭を撫でられていることに気づいたセリーナの口から間の抜けた声が漏れた。

 「ええ~と、ごめんなさい、怖がらせたかな?」

 ばつが悪そうに苦笑する少年の顔は、先ほどまでの鬼神のような殺気の人物とは同一人物とは思えない。
 安堵からか涙ぐんでしまっているセリーナの機嫌を必死に直そうと慌てる少年の様子にセリーナは泣きながら嬉しそうに笑った。
高見梁川の心象世界


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