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第二話   少年のたくらみ
 「ほら、これが今月のおこづかいだ。大事に使うんだよ?」
 「はいっ!ありがとうお父さん!」

 バルドは子供らしい元気な声で父親から銀貨を受け取った。
 耕地面積が少なく経済状態が決してよいとは言えないコルネリアス家だが、仮にも伯爵家であり一般の庶民に比べれば大変な富裕家であることは間違いない。
 イグニスは息子に金の価値と扱いを学ばせるため5歳のときから毎月のお小遣いを渡している。
 これまでイグニスがバルドに与えた金額は銀貨48枚であり、これは現代の貨幣に換算すればおよそ80万円程度に相当する。
 しかしすでに前世の知識のあるバルドは当然金のありがたみを理解していたし、財政が社会に与える影響の大きさもある程度はわきまえていた。結果から言えばイグニスの好意はバルドの中に眠っていた一人の男の本能を呼び起こす引き金にしかならなかったのである。


 「ふへへへ……いつ見てもいい輝きだぜ……」
 「毎度のことですがそのお顔は引きます。坊っちゃま」

 銀貨を眺めながら悦に浸るバルドの姿に侍女のセイルーンは形のよい眉をひそめる。
 
 (これさえなければ完璧な坊っちゃまなのに………)

 セイルーンがバルド付きの侍女となったのは3年ほど前のことである。
 お館様は詳しい内容を話してはくれなかったが、精神的に不安定になったバルドに同じ年代の友人をあてがってやりたいという親心であったらしい。
 そのためセイルーンは侍女ではあるが幼なじみという側面ももっており、実際にバルドを手間のかかる弟のように思ってもいた。
 バルドより2歳年長で今年11歳になるセイルーンは茶金の髪に鳶色の大きな瞳をもった美少女で、この1年ですっかり女らしく成長した丸みを帯びた女性特有の曲線に実のところバルド自身も彼女との距離感を測りかねていた。

 「こればっかりはセイ姉の言うことでも聞けないんだなあ……」

 くつくつと人の悪そうな笑みを浮かべるバルドは誰の目にも年齢通りの少年には見えなかった。イグニスやマゴットの前でも見せることのない、セイルーンだけの知るバルドの本性だった。
 「………もういいです。諦めましたから………」

 それにバルドが人としての道を踏み外すようなことはしないと信じているし、とはセイルーンは言わない。無駄な知識のあるバルドがこれ以上暴走するようなことがあっては困るからだ。

 「くひひ……この冷たい銀の感触がまた…!」
 「―――諦めたといったのは嘘です。そこに正座なさい、バルド坊っちゃま」

 愛おしそうに銀貨に頬ずりをし始めたバルドを見た瞬間セイルーンは自分の考えが浅はかであったことを悟った。どこに出しても恥ずかしくない次期当主としてバルドを育て上げるため、もう一度厳しくしつける必要があるようだった。


 バルドの金好きは今に始まったことではない。
 むしろ生まれたときから好きだったと言えるかもしれない。
 物心つく以前からバルドは赤ん坊が好むガラガラのおもちゃやおしゃぶりより金貨や銀貨に興味を示す奇妙な赤ん坊だった。
 5歳で前世の記憶が目覚めてからはその傾向は顕著なものとなった。
 金貨をいつまでも見つめてニヤニヤと笑み崩れる幼児という心臓に悪い光景がコルネリアス家で見られるようになったのはこのころである。
 しかしこの奇癖は幸か不幸かバルドは光モノが好きというマゴットの盛大な誤解によって矯正されることになる。
 金貨の代わりにナイフやショートソードを握らせ5歳児に刃物の扱いを教えるというこちらはこちらで十分常軌を逸した行為によってバルドは金貨に対するこだわりをマゴットの前で見せるのは危険であるということを学習した。
 その後バルドが両親の前で金貨への執着を見せたことはない。
 ただ一日のほとんどの時間を共有している幼なじみにして侍女のセイルーンの前でだけはやりすぎない程度のその本性を垣間見せるのだ。
 もちろんこの奇癖はバルド本人のものでも前世である岡雅晴のものでもない。
 前前世である岡左内という戦国期のマイナーな武将の業深い性癖のようなものであった。



 岡左内、その名を知っていたらよほどの戦国マニアか、あるいはご当地の人間かのいずれかであろう。
 若狭の国に生を受けた彼はまず丹羽長秀に仕え、その後蒲生氏郷に重臣として召抱えられ、氏郷の死とともに関ヶ原の戦い前には上杉景勝に仕えた。
 戦巧者でもありたびたび戦果をあげたが、彼の名が世に知られているのは彼の蓄財ぶりに負うところが大きい。
 岡左内は同僚たちに金を貸し付けたり商人のまねごとまでして金を貯め、その貯まった小判を床に敷き詰め、そのうえを全裸で寝転がるのが趣味という、変人の多い戦国の武人のなかでも特筆すべき変態であった。
 しかしわずか150名の兵を引き連れ15000名の伊達政宗軍を翻弄し、またあるときは伊達政宗の兜を吹き飛ばしあわや政宗を討ち取る寸前に追い込んだり、領地を減らされた上杉家への証文を焼き捨て借金を帳消しにしたりという男気ある男でもある。
 かの直江兼継がこの先の上杉家にとって誰より有用な士を失ってしまったと嘆いたと伝えられる。実際に戦国の終わりとともに文治の時代を迎えて殖財の才のある左内は脳筋の多い上杉家にとって宝石よりも貴重な存在であったろう。
 前世である岡雅晴の記憶もあるため、バルドもこの性癖は恥ずかしいものであると認識してはいるのだが、バルドという人格形成のうえでこと金銭欲に関しては左内の業の深さが勝ったらしかった。
 さらにくんかくんかと銀貨の匂いを嗅ぎ、舌でその金属っぽい味まで堪能したいという欲望をかろうじてバルドは抑え込んだ。
 これ以上セイルーンを刺激することは賢明とは言えなかったからである。

 「私が悪うございました。許してください」
 「………本当にそう思ってくださればよいのですけど……」

 セイルーンはそう言って重いため息をついた。
 この程度でバルドが改心するはずのないことは誰よりセイルーンが一番良く承知していた。
 しかし恥も外聞もなく平身低頭して謝るバルドを前にしては、そう強いことも言えない。
 結局のところセイルーンも可愛らしい幼なじみの弟分には弱いのである。

 「じゃ、僕は出かけてくるから!」
 「あっ!坊っちゃま!お待ちください!まだお話は終わっておりませんよ!」
 「ごめん!帰ってから聞くよ!」

 矢のように街路へと駆けていくバルドをセイルーンは腰に両手をあてて呆れたように見送るしかなかった。このところセイルーンに隠れてバルドが何か企んでいるらしいことはわかっている。どうも街の子供を集めているようなのだが、いかんせんなかなかどうして街の悪ガキたちは結束が固くセイルーンに情報を提供してくれないのだ。

 「………もう、帰ってきたらお仕置きですっ!」

 それでもバルドが悪事に手を染めているとは露ほどにも考えていないセイルーンであった。






 「………完全にセイルーンには疑われてるな……」

 よく考えれば当たり前である。セイルーンだからこそバルドが一人でこそこそと動いているのを見逃してくれているのである。これが両親の意を受けた雇われ侍女であればとっくに密告されて終わっているだろう。そうした意味でセイルーンはバルドにとっても幼なじみであり姉代わり的な存在だった。


 「バルド様!お待ちしてました!」

 元気な声とともに現れたのはテュロスである。
 10歳とは思えぬ大柄で将来は家を出て兵士になろうという力自慢でもある。
 街では割と良く知られた仕立屋の三男坊で目鼻立ちは整っており性格も穏やかでかしこい、という地味チートなのだが、どういうわけか年下ではあるバルドが領主の子供というだけではなく心から慕っていた。思わず主人にすり寄る大型犬を幻視してしまうほどである。 
 それはもちろんバルドが前世の記憶という幼児にあるまじき知識と風格をまとっていたからなのであるが。

 「よし、秘密基地に向かうぞ」
 
 バルドはテュロスを従えるようにして町外れの小さな耕地へ向かった。
 こづかいを貯めてバルドがとある農家から土地がやせて放置されていたものを格安で買い上げたそこはおよそ1アールほどの畑であった。
 
 「ああ!バルド様!見て見て!こんなに大きくなったよ!」
 「ねえねえ、これ食べたらおいしいの?」

 畑には二人の子供が楽しそうにはしゃいで水を振りまいている。
 父が衛兵をしているポルコと商人の娘のマルゴであった。
 
 「そろそろ収穫しごろだな。あまり世話もいらない作物だから助かる」
 「………お父さんに聞いたけどまずくて食えたものじゃないらしいよ?」
 「ええ~そうなの?バルド様?」

 好奇心の強いポルコは自分なりに情報を収集していたらしい。逆に食欲旺盛なマルゴは収穫したものを食べることしか頭になかったようだ。

 「まあ、このまま食べようとしたらそうなるだろうね。栄養価は悪くないんだけど」

 バルドは二人の反応に頬が緩むのを感じた。
 本当は三人とも自分より年上なのだが二人の前世の記憶の分、どうしても彼らが幼く感じてしまうのだ。

 「………それで、これをどうなさるおつもりですか?」

 三人のなかで一番年長で頭のいいテュロスが興味深そうにバルドの瞳を覗きこむ。
 これがただのまずい食材であるはずがない、と頭っから信じている瞳であった。
 そんなひたむきな視線にくすぐったさを感じると、バルドはこれは期待に答えなくてはという使命感にかられるのであった。

 「――――じゃあ収穫は後回しにして今日のところはこれで何をつくるのかやってみようか」
 「「「やった――――っ!」」」

 普段は一歩引いた雰囲気のテュロスまで飛び上がって喜んでいる。
 よほど作物の正体が気になっていたらしい。
 確かに普通に山に自生してたのに誰も気にも止めてなかったものだからな。
 大きく膨れたサイズのそれを一本引きぬくとバルドは三人を連れて畑の脇に建った粗末な木小屋へと向かった。

 「それじゃマルゴはこれを小さくみじん切りに切り刻め。テュロスとポルコは水を準備して鍋に火をかけろ」
 「わかりました!」
 「任せて~」

 ワタワタと準備を始めるお子様三人組を微笑ましく見つめるとバルドは彼らに見られぬように悪人顔でほくそ笑む。

 (くっくっくっ……ついにこの日が来た。現代人の知識チートで金をがっぽり稼ぐそのときが!)

 戦国期の武人岡左内による金銭への欲求……そしていささか厨二病を患っていた岡雅晴の知識がバルドの中で整合性をもって統合されたのは実はわずか1年ほど前のことである。
 それまでのバルドはまさに三重人格そのもので、幼児であるバルドに高校生の雅晴、そして戦国を生き抜いた老人の左内が強い関心を引かれるごとに代わる代わる顔を出す有様であった。そのなかでバルドが発狂もせずに無事成長できたのはやはり両親のゆるぎない愛情と、同じ子供同士であるセイルーンとの交流、何よりうだうだ悩むことを許さぬ母の地獄の特訓にあったと思われる。
 生死のかかった過酷な訓練は望むと望まざるとにかかわらず幼児の精神力を熟成させ、生き延びるために三人の人格はともに手を携えることを欲した。
 まさに母の魔の手から逃れるためにこそ新バルドともいうべき今のバルドは誕生したと言える。 
 思い出したくもない日々を思い出してしまったバルドはブルブルと頭を振った。あの地獄などより今はこっちのほうが重要なのだ。これが完成した暁には……まずは資金を貯め新たに土地を取得して使用人を増やすとともに商人とネットワークを形成して……くっくっくっ、夢が広がりまくリング!

 (またバルド様が悪人顔してるね)
 (あの顔を見るとあの人も俺達と同じ子供なんだと安心できるんだよな…)
 (いやいや、きっと俺達には想像もつかないことをお考えなのだ)

 割と早い段階で、バルドの擬態は子供たちにはお見通しであった。
高見梁川の心象世界


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