ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第一話   転生した少年
 マウリシア王国の西部、隣国ハウレリア王国との国境沿いの広大な森林地帯を領有するのがコルネリアス伯爵領である。
 水源も豊で農地が少ない代わりに無尽蔵の森林資源や鉱物資源にも恵まれているのだが、国境に位置する地政学的な宿命上軍備に財政を食いつぶされている貧乏領地というのが現状であった。
 現コルネリアス家当主はイグニス伯爵で現在31歳の男盛りである。若い時分はその美貌で浮名を流し王都でも名の知れた人物であったが22歳のときに彼は運命に出会った。
 運命の名はマゴット。なんと傭兵である。
 ハウレリア王国との関係が悪化し一事は国境で軍事衝突まで発生したなかで彼女はコルネリアス領軍に雇われたのだった。
 流れるような銀髪に菫色の瞳、そして何よりも余人の追随を許さない槍技と規格外の身体強化によって彼女は戦場の華となった。ハウレリア王国軍の主力とも言うべき王国騎士団を打ち破り将軍を討ち取るという武勲をイグニスがあげることが出来たのは正しく彼女のおかげであった。
 銀光マゴット、ハウレリア王国軍はその名を悪魔のように恐れおののいたという。
 その彼女が紛争の終結とともに新たな戦場へとコルネリアス領を離れようとしたことはハウレリア王国としてはもろ手をあげて歓迎すべきことであり、むしろ自国へと勧誘しようとする者すらいた。逆にコルネリアス伯爵としてはどうにか彼女を正規軍へ留めておきたいところであったのだが、当主イグニスの思惑は周囲の予想の斜めうえをいった。

 「結婚してくれ」

 この告白を聞いたマゴットはまずイグニスの正気を疑ったという。
 確かに容姿には自信があったし、傭兵としてではなく女として横暴な貴族に伽を要求されることもあった。もっともそうした連中は命か命以上に大事なものを失うはめになったけれど。しかしまさか堂々と貴族から婚姻を要求されるということは破天荒なマゴットにしても予想の範疇外の話であった。
 マウリシア王国は平民の権利意識が高い国だが、それでも貴族と平民との間には侵しがたい壁が存在する。
 まして傭兵として屍山血河の道を歩んできた自分に求婚する馬鹿がいるとは夢にも思わなかったのである。
 だが実際のところイグニスがマゴットに惚れていたのは紛れもない事実であったらしい。
 戦場で疾駆するマゴットの姿を一目見た瞬間からイグニスが恋に落ちていた。そこにマゴットをなんとかコルネリアス領に引きとめたいという要求があったためにこれ幸いと乗じることにしたというのが真相であった。
 もちろん親族や家臣からは轟々たる批判が沸き起こり、貴族間におけるコルネリアス家の評判は最悪なものとなったのは言うまでもない。
 尊い貴族の血にどこの生まれとも知れぬ傭兵の血が混じろうとしているのである。今後王国の社交界においてコルネリアス家が冷や飯を食わされるのは確実だった。

 その危険を犯してもイグニスが自分に求婚していたという事実に感じるものがあったのだろう。
 貴族の奥方に収まるなど想像もできないマゴットであったが、ここでひとつの提案をイグニスにする。世に言うコルネリアスの夫婦狩りである。
 一日の狩猟を競い合い、より獲物をしとめた方が相手の言うことを聞くというものであった。
 マゴットが現実離れした傭兵であったため目立たないが、イグニス自身も王都では近衛騎士にも引けを取らない武人として名の知れた男であった。
 二人は森の生き物がいなくなる勢いで猛然と獣たちを狩っていったが、太陽も暮れかけた夕刻不思議なことが起った。
 これまで一度もはずしたことのないマゴットの矢がはずれたのである。ここまで二人の狩った獣の数は同数であり、時間的にもここで追い抜いたほうが優位に立つことは間違いなかった。喜び勇んでイグニスが矢を放つ。だがこれもわずかにはずれて草むらに落ちた。
 二人はもう一度矢を放ったが、信じがたいことに今度は大きくはずれて明後日の方へと飛んでいった。これは武勇自慢の二人にとってありえるはずのない話であった。
 二人はこの事実に同時に天啓を覚えた。なぜなら二人が狙った獣は番の鳥であったからである。
 天は二人に結ばれろと言っている。
 そう判断した二人の行動は早かった。
 反対する親族をほとんど脅迫するようにして鎮圧し、王都から誘拐同然に大司教を連れてきて大々的な結婚式を開催した。
 しかもどういうコネかマゴットが伝手をたどったところ国王本人が出席することになり、事実上二人の婚姻に異を唱えることは不可能になってしまったのである。
 こうしてマゴットはコルネリアス伯爵夫人として迎えられ、翌年一人の男の子を産み落とした。イグニスに似て将来女泣かせになりそうな(今では完全にマゴットに尻にしかれているが)少年はバルドと名付けられた。






 「し、死ぬ………」

 何度口にしたかわからない台詞を口にしつつ、バルドはゴロリと大地に身を横たえた。
 わずか9歳の子供に身動きできなくなるまで木剣を振らせるのはおそらくコルネリアス家だけだろう、とバルドは思う。
 現に父のつきあいで知り合った同じ貴族の子供はせいぜい家庭教師について日に何時間かの座学を行う程度であったはずだ。
 
 「そうか、死ぬのか。短い人生だったな……」
 「それが母親の言う台詞かよ!」

 天から降ってきた槍を身をよじってかろうじて避ける。もしよけなかったら間違いなく致命傷である。

 「何だ、まだ動けるじゃないか?」
 「動かなきゃ死んでるだろっ!」

 息子の激高をどこ吹く風と笑い飛ばす母親はトレードマークの銀髪をかきあげ不敵に嗤う。
 そこに息子に対する確かな愛情を見て取ることができるのは、おそらく夫のイグニスくらいのものであろう。もちろんバルドにとってその笑みはさらに過酷な試練の前触れにしか見えなかった。

 「どうした?いいのか?そのまま寝転がっていて?」
 「どちくしょうっっ!」

 それはコルネリアスでは恒例の朝の訓練風景だった。
 疲労で指先ひとつすら動かすのが億劫になったころ訓練は終わりを告げる。

 「お飲み物でございます、坊っちゃま」
 「ありがとうセイ姉」

 バルドは無我夢中で差し出されたレモン水を喉を鳴らして飲み込んだ。
 そしてぷはーっと親父臭い吐息を漏らして照れくさそうに侍女へとコップを返す。
 クスリと笑ってコップを受け取った侍女は可愛らしい弟でも見るようにバルドに向かって微笑んだ。

 「もう一杯お飲みになりますか?」
 「うん、お願い」

 微笑ましい二人のやりとりをマゴットは目を細めて見つめていたが、彼女の愛情の深さを知らないものにとっては剣呑な目でにらんだようにしか見えないのは言わぬが華というやつだろう。
 
 (楽しいねえ……まさか戦働き以外にもこんな楽しいことがあるとはねえ……)

 愛する息子の成長を目のあたりにする。それも自分の手で自分の好みに育てあげることがこれほどの悦楽とは思わなかった。
 そんな物騒なことを考えながらマゴットはイグニスと結婚してからの年月を思い返していた。





 いかにマゴットが傭兵あがりとはいえバルドにこれほどの修行をつけているのにはわけがある。
 通常こうした訓練は理屈を理解できない子供に教えることは難しい。
 子供は理解できないことに興味を持つことは難しく、正しく理解できなくては技術は身に付かない場合がほとんどであるからである。
 だからこそ吸収の早い幼少期の訓練が、有効なものであると気づきながら誰も実践できない現実がある。
 しかしことバルドにかぎってはその心配はない。
 ないどころかむしろその知識量はある面ではそのあたりの大人を遥かにしのぐ。
 そんなありえない話がコルネリアス家に降ってわいたのは4年ほど前のことになる。


 
 バルドは発育こそよかったもののなかなか言葉を覚えられずにいた。
 そのくせ何か思い出したように意味不明の声をあげる。
 普段はなんということもないが、特に体調が悪化したり大きなショックを受けた時にはその症状が顕著であった。
 そして5歳の春、バルドは散歩で負った傷がもとで深刻な感染症を発症した。
 意識不明でうなされていたバルドは長い長い夢を見た。
 人の人生に匹敵するような、とても長い夢を。
 およそ2ケ月生死の淵をさまよったバルドが目覚めると発した言葉はというと―――。


 『なんてこった』

 その言葉はマゴット達の使うアウレリア大陸語ではなく、この世界で知るはずのない日本語で紡がれていた。
 岡雅晴、それがバルドの生前の名であったという。
 高校という教育施設に通っていた彼は突然生命活動を断たれたらしい。
 なんでも受験のために通りを歩いていたのが最後の記憶だそうだ。通り魔に殺されたか、心臓の発作で病死したか、お約束のようにトラックにでも跳ねられたか………トラックなるものがマゴットにはわからなかったが本人も気づかぬうちに死んでしまったというのは確からしかった。
 さらに問題なのはこの岡雅晴以外にもう一人の人格が蘇ってしまったということだ。
 意識を取り戻すまでの2ケ月間、三人もの記憶が混在した脳が過負荷から正常に復帰したのは奇跡に近いと診療にあたっていた治癒師は言っていた。
 まだ自我が弱い幼児だからこそなんとか脳の同一性を保つことができたのだろう。
 その事実を知ったマゴットは決然としてバルドを鍛えることを決意した。
 箍が緩んだバルドという人格を再び統合するためには、つらい、苦しい、疲れたという個人としての生の実感を与えることが一番であると判断したためだった。
 だがこの地獄のような訓練は一つの予想外の結果をもたらす。それは目覚めたもう一人の記憶が異世界の職業軍人のそれであったことが影響していた。
 たちまちめきめきと腕を伸ばしていく息子の姿に不覚にもマゴットの胸は躍った。
 あるいはこのまま成長すれば息子を王国一の武人とすることも不可能ではないと確信したためであった。

 (バルドが成長してからは滅多に表に出てこなくなったが……あれはあれで味のある人格であったな。確か………岡左内定俊と言ったか)

 70歳を過ぎて大往生したこの武人の記憶がバルドの武才に大きな影響を及ぼしていることは間違いない。どうやら魔法のない国の武術のようだがその動きはあくまでも無骨で実戦的なものだ。老衰で死んだらしく三人の人格のなかでもっとも老成して自己主張の少ない男であった。
 しかしこの男の本能とも言えるとある欲求がのちのバルドの人生に少なからぬ影響を及ぼすことをマゴットはまだ知らずにいた。





高見梁川の心象世界


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。