改憲草案反対派は現実を見よ
本日は憲法記念日ですね
憲法に関して議論が交わされていますので、僕も憲法について書きたいと思います。
欠陥のだらけの日本国憲法については色々と言われていますので、激しい議論となっている自民党改憲草案を題材にしたいと思います。
では自民党改憲草案を見てみましょう。
http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf
これに対する反論はだいたい以下のようなものです。
平成25年3月29日参議院予算委員会 小西洋之議員の質疑
平成25年4月25日 福島瑞穂議員の質疑
この対照表をご覧ください。
これらを元に改憲草案への意見をまとめると……
・第十二、三条の公共の福祉を公益及び公の秩序に変えたことで、国民の人権が制限される恐れがある
・第二十一条に公益及び公の秩序を害する場合は表現の自由を認めないことで、政府に対する意見が言えなくなることになる
といったところでしょうか。
しかしながら公益及び公の秩序がそこまで広い範囲に適用できるでしょうか?
自民党は以下のように変えた理由を説明しています。
第十二、三条の改正について
→今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
第二十一条について
→オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。
なお、「公益や公の秩序を害することを目的とした」活動と規定しており、単に「公益や公の秩序に反する」活動を規制したものではありません
公益及び公の秩序を害することを目的とするとはテロなどのことでしょう。
我が国には内乱罪や内乱陰謀罪がなどがありますが、今まで一度も適用されたことはなく、現実に該当する人がいても内乱陰謀罪での逮捕は社会的影響から困難です。
そのような現状に憲法から根拠を、つけようということでしょう。
これは極めて一般的なことでしょう。
国家などの破壊を目的とする団体の活動を憲法が保障している、こんなおかしなことはありません。
改憲草案に反対するのは、そのような活動を考えているのかと疑ってしまいます。
この規定を元に国家が意に沿わない活動を制限できる主張していますが、そんなことをしたら社会的批判は莫大なものになります。
正確かも分からないような世論調査で
さえ支持率が下がると~下ろしを始めるように世論を気にする国会議員が、そのような批判だけ恐れずに、意に沿わない意見を制限するというのは考えられません。
しかしこれらの解釈を巡る論争は人によってはいくらでもというところがあり、日本国憲法のように神学論争になってしまいがちです。
そこで今回は現実をという視点から、反対派の主張はあり得ないことをご説明したいと思います。
反対派の主張があり得るのならば、なようなことが起きた場合、つまりは公益及び公の秩序を根拠に政府の意に沿わない人の人権が制限される、表現の自由が制限されるなんてことが起きれば、日本は民主主義国家ではなくなります。
中国のような国となり、世界的にもそのように見られるでしょう。
中国は人権を無視して、政府の意に沿わない主張を抑え込み、世界から批判を受けています。
それを日本もされることになるのです。
これはあり得ません。
なぜなら簡単に言うと、安倍総理の対中包囲網の軸が自由、民主主義、基本的人権などの普遍的価値だからです。
中国が自由、民主主義、基本的人権などの普遍的人権を実践できていない、だから日本など実践できている国で包囲網を作ろうということなのです。
また安倍総理は日本を自由と民主主義、海洋公共財などの守護者となると表明しています。
それは以下で示されています。
対ASEAN外交5原則
日本外交の新たな5原則
米CSISでのスピーチ、日本は戻ってきました
これらで、対中包囲網の軸は民主主義であること、日本は民主主義の守護者となることが何度も述べられています。
にも関わらず、外交方針と正反対のことを自国でやるでしょうか?
もちろん、やる国もあります。
しかしそれでは対中包囲網などが意味を成さなくなりますし、中国を批判できなくなります。
何より国際社会からの批判は半端なものではないでしょう。
中国への効果的な牽制を捨て、国際社会からの激しい批判を覚悟し、ただ意に沿わないというだけの主張を弾圧するでしょうか?
しないということは確実にお分かり頂けるはずです。
今、外交、防衛で一番危機なのは対中国関係です。
その中国に対し効果的な牽制ができているのにも関わらず、それを無意味にするような行動は取りません。
まとめると…
1.改憲草案に反対する主張通りならば、日本は民主主義国ではなくなる。
2.対中国包囲網の軸を民主主義にし、日本は民主主義の守護者となると表明
している外交方針と矛盾する
3.矛盾した結果、対中国包囲網は意味を成さなくなり、国際社会から激しく批判される。
4.3になる可能性をはらんでいるのに、わざわざ作った対中国包囲網を無意味なものとし、国際社会から激しい批判を受けることを容認することがあり得ない。
よって改憲草案により、政府の意に沿わない人の人権や表現の自由が制限されることはあり得ない。
憲法学の範囲で解釈をしていても、神学論争となるだけです。
現実を加味して判断力することにより、反対派の主張はあり得ないことが分かります。
ぜひ、これを新たな反論にしてみてください。
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1 ■無題
あなたの主張だと、「自民党は、批判に挙がっているような意図で改憲案を作成しているのではない。したがって、"自民党が政権を取っている間"は大丈夫」というように見えますが。
何が言いたいのかと言うと、
仮に自民党の改憲案が通ったら、その後新しく誕生した政権もその憲法の下で政権を運営するわけですよね。
そして、未来にどんな政権が誕生するかなんて、現時点では全くわからないわけです。
そう考えると、「自民党(もっと言うと安倍政権)の意図すること」なんてはっきり言って大した問題ではなくて、
その条文を「客観的にどう解釈できるか」の方がより本質的な問題だと思うのですが、
その点についてはどうお考えでしょうか。