自民党憲法改正案(5)

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最大の問題だと思うのは、天皇の国事行為に関する規定である。案5条が「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、」として現4条1項の「国事に関する行為のみを」から「のみ」を削っているのは、案6条5項の新設と合わせ、いわゆる公的行為が認められることを明らかにしようとした趣旨であって、そう問題はない。現状を明文で承認した程度のことである(いや怒っている人たちはいるが)。

これに対し、国事行為に対して「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」としている現3条と、やはり天皇が「内閣の助言と承認により」行なう国事行為を列挙した現7条本文の当該部分を削り、案6条4項において「内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う」としている点には注意が必要だろう。

同様に案54条1項として「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する。」という条文が新設されており、これ自体は現行憲法上も通説判例により認められている首相の解散権の存在を明示するのみであって問題ないが、ここで「決定」してしまっている衆議院解散は当然ながら国事行為の一つであり、案6条4項但書により総理から天皇への「進言」に基づいて天皇が行なうということになる。

だがいったい、この「進言」とは何か。

日常的な用法では「こうしたらどうですか」「こうした方がいいですよ」とアドバイス・提案するということであり、それを採用するかどうかの決定権はあくまでも「進言」された側にあるということになろう。現行法令における用例も以下の6件しかないが、このような日常的理解と齟齬するものではない。

  • 美しく豊かな自然を保護するための海岸における良好な景観及び環境の保全に係る海岸漂着物等の処理等の推進に関する法律 30条3項「海岸漂着物対策専門家会議は、海岸漂着物対策の推進に係る事項について、海岸漂着物対策推進会議に進言する。」
  • 環境教育等による環境保全の取組の促進に関する法律 24条の2 3項「環境教育等推進専門家会議は、環境保全活動、環境保全の意欲の増進及び環境教育並びに協働取組の推進に係る事項について、環境教育等推進会議に進言する。」
  • 安全保障会議設置法 8条2項「[事態対処専門]委員会は、第二条第一項第四号から第九号までに掲げる事項の審議及びこれらの事項に係る同条第二項の意見具申を迅速かつ的確に実施するため、必要な事項に関する調査及び分析を行い、その結果に基づき、会議に進言する。」(補足引用者)
  • 防衛省設置法 7条2項「防衛大臣補佐官は、防衛省の所掌事務に関する重要事項に関し、防衛大臣に進言し、及び防衛大臣の命を受けて、防衛大臣に意見を具申する。」
  • 国立国会図書館法 15条1号(調査及び立法考査局の職務)「要求に応じ、両議院の委員会に懸案中の法案又は内閣から国会に送付せられた案件を、分析又は評価して、両議院の委員会に進言し補佐するとともに、妥当な決定のための根拠を提供して援助すること。」
  • 内閣法 19条2項「内閣総理大臣補佐官は、内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣に進言し、及び内閣総理大臣の命を受けて、内閣総理大臣に意見を具申する。」

いずれも専門的な知見を有する人物に見解を提供させるための制度だが、決定権は進言された側が持っており、当然ながら当該決定に関する責任も進言された側が持つことが前提されている。意見具申との差異は、いつ・どのような見解を提供するかについての自主性が認められていることだ(「これはどうなの?」と聞かれてそのことに答えるのが意見具申)と、概ね言えるだろう。

* * *

(1) この理解に従えば、内閣(解散については総理大臣単独)は「こういう国事行為をしてはどうでしょう」と自発的に天皇にアドバイスするが、それに従うかどうかは天皇の裁量であるということになる(「進言」は必要なので完全に自己判断では行為できないが)。これは、内閣による「助言と承認」に反する国事行為を天皇が行なうことはできない(罰則や強制手段はないが)とする、現行憲法に関する通説(内閣法制局見解)とは大きく異なる。

当然ながらこの場合、決定権を天皇が持っている以上、当該行為に対する責任は天皇が負うことになるのではないかという疑問が生じるだろう。自民党側からは、上記の通り案6条4項において内閣が責任を負うこととしていると反論があるだろうが、これは実質的決定権限が内閣に属しているので内閣が責任を負うというスッキリとしたロジックになっている現行憲法と異なり、本来的には決定権のある天皇に責任が発生するところ立法政策の問題としてそれを内閣に転嫁すると理解されかねない。何が問題かというと、国内法秩序の次元では当該規定が有効であり他の法令に優越するのでどちらでも同じことだが、国内法の正当性全体が否認される可能性のある場合、それこそ敗戦時には責任転嫁規定が無効とされ、天皇の責任が問われかねないという点である。ええと、一応「この不忠者め」とか言っておくべき?

周知の通り昭和天皇は東京裁判において訴追されなかったわけだが、それは大日本帝国憲法3条における天皇不可侵規定と55条の国務大臣輔弼規定(「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」)によって免責されたわけではまったくない。要因としては明治憲法体制において天皇の実質的裁量が働く余地がほとんどないために責任を帰すことができないとする法理論的なものと、戦後統治の安定を重視したとする政治的なものが考えられ、どちらがどのくらい重要であったかについては議論があるだろうが、いずれにせよ旧憲法の規定から当然に免責されるなどという構成にはなっていないわけだ。となると、この改正憲法案はいざというときに天皇を守れないものになっている可能性が高い。

もちろん民主的に選ばれたわけでもない天皇個人に国政に関する裁量権を与えるとか、いまどきないやろという批判もあろうと思う(私もそう思う)。天皇制自体に対して批判的~警戒的な人にとっても、天皇制や天皇個人が大切だと思う人にとっても嬉しくない「誰得条文」になっている、というのがポイントである。自分は得をするが敵は損をするという提案なら、賛成するかどうかはともかく合理的だと思うし、気付かないようにそういう仕掛けを入れているならイヤなやつだがクレバーだと評価することもあるだろう。でもこれその逆なんだよね。アタマワルイと評価する所以。

(2) もちろん「進言」にそういう意図はなく、なんか「助言と承認」だと内閣のほうが天皇よりエライみたいだから変えてみただけで実態を変更するつもりはないのだと弁明されるのかもしれない。しかしじゃあ現行法令の用法との齟齬はどうすんだという話になるわけであって、当然ながらアタマワルイ。なお私はおそらくこちらが真相に近いかなと思ってげんなりしている(自民党によるQ&Aでも「天皇の行為に対して「承認」とは礼を失する」という理由だけが挙げられている)。

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