妄想を見るひとびと
日本に存在するサヨクの根は深い。そして、そういう人々の特徴はいろいろある。偽善、卑怯、傲慢、純粋バカ・・・・・。
その中でも、司法試験界では、非常に影響の大きい人物がバリバリのサヨクである。
伊藤真という人がいる。司法試験の世界では、おそらく知らない人がいないというくらいの有名人である。現在、「伊藤真の司法試験塾」という予備校を主宰し、受験生の指導にあたっている。弁護士なのだが、「後進の指導のため」弁護士業務は現在行っていない。
私自身、講義を実際に聴いたことはないが、講義の最中に反日的・サヨク的なことを話しているらしい。さらに、本人曰く、日本国憲法の精神を尊重し、憲法が反映される世の中にしたいそうだ。まるで、共産党と言っていることが同じである。
彼は、HP上で定期的に「塾長雑感」」なるものを発表している。その内容がまたひどいものである。過去のものもひどかったが、どういう意図か、バックナンバーは公開していない。今回は、その最新号をとりあげてみたい。
>戦争を体験したことのない世代はイマジネーションの欠如ゆえにその残忍さを理解できません。
こういうことを言う人は、「自分も戦争を体験したことがない」という事実を無視し、他の人とは違って自分だけは「イマジネーション」があり、戦争の残忍さを理解できると思いこんでいる。傲岸不遜で、他人を嘲笑する態度である。
また、戦争ははじめから或る程度残酷なものであるということが理解できない。
>今日の食べる物さえ必死で探し求めなければならない子どもたちがいることを想像すらできず、大量の残飯を廃棄します。
「悲惨な境遇にいる人々がいることを考えろ」というのはよく言われる。もちろん、そういう態度も大事であることは認める。
しかし、悲惨だ、かわいそうだ、貧乏だなどとしか言わない人は、日本の現状を非難したつもりになっているだけである。彼らには、「なぜ」そういう悲惨な状況があり、「どうして」日本はそうでないのかが説明できないし、その気もない。まるで、日本人がそういう人々を食い物にして豊かになっているかのような物言いである。
こういう態度は特に先進国に人間に多い。貧乏な発展途上国を例にあげ、その生活態度や自然環境を賛美しつつ、自国の豊かさを非難する。
1970年代あたりまで、先進国は文明の発展が人類の幸福をもたらすと信じ、遮二無二発展してきた。ところが、エネルギー資源の枯渇・環境破壊などの事実を目の当たりにし、今までの反動で、「文明の否定」あるいは「贖罪意識」から、全ての発展を悪いものと考えたり、発展途上国に罪悪感を感じたりするようになったためである。そのほとんどが感情的なものであり、何ら根拠がない。便利で豊かな生活を改める気など全くない人が、無責任にあこがれの態度をとり、罪悪感をもっているポーズをとっているだけである。
いくつか例をあげてみよう。
たとえば、ベトナムでは、1960年代以降大量の難民があらわれた。さらに国内では、貧乏のどん底にあり、満足に食も得られない子供たちもいる。では、それに対して、日本人が何らかの責任があるのか?あるいは、罪悪感を持たなければならないのか?
私は、現在の日本の状況に感謝し、必死の努力で現在の豊かさをもたらした先人を尊敬するだけで十分だと思う。
なぜなら、ベトナムなど、共産主義諸国が貧乏のどん底にあえぐのは、ある面では「自業自得」と言えるからだ。人民を弾圧し、正当な経済活動を統制し、政府の権限を著しく強めれば、国内が疲弊するのは当然である。
さらに、そのような貧乏をもたらす共産主義がベトナム全土を制圧した際、拍手喝采し、日本もそれに続けと言わんばかりの態度をとっていた人々が、その同じ口で、「貧乏なひとに同情を」とか「日本政府はもっと経済援助すべきだ」などと言っているのだ。
これを「卑怯」と言わずに、何を卑怯と言うのか?そういう事実を知らない人が、「貧乏な人のことを考えよう」などと言っても、私は到底そのまま受け入れる気になれない。そういうことを言う前に、悲惨な状況をもたらした共産主義下の政府を弾劾し、非難することが先である。そして、「考えよう」などと言う人に限って、政府のカネ、要するに税金ばかりをあてにし、自分のゼニは一銭も出す気がないことが多い。
また、日本の企業は、中国や東南アジア諸国に進出し、工場を建設し、経済活動を行っている。これは、「現地の人々を食い物にしている」のか?自国の利益のみを考え、現地の人を搾取しているのか?
現地人を雇用し、正当な給料を払い、製品をつくるのは正当な経済活動であって、「搾取」などではない。だいたい、日本企業のほうが欧米の企業よりも給与を高くしている事が多く、就職希望者が後を絶たないのが現状である。
さらに、日本の企業が東南アジアに進出し、歓迎されているのは、欧米企業のようにアジア人を差別しないということと、現地にとけ込む努力をし、さらに工場経営に現地人従業員の声を取り入れるからでもある。
だから、「日本人は東南アジアを経済的に侵略した」などという物言いは、全くのウソである。
>他人の不幸のうえに成り立つ幸福は真の幸せとは思えません。
これも非常に尊大な物言いである。不幸な人もあり、幸福な人もある。不幸な人がいるからと言って、それと自分が幸福であるということは何ら因果関係はないはずである。たとえば、「○○さんが失恋したから、自分の恋愛がうまくいっているのだ」などと言うか?因果関係のないものを、まるで関係あるかのように言うのは、詐欺の典型的な手口である。
だいたい、他人が誰かの人生をさして「あの人は貧乏だから不幸だ」などと言うことがどれほど無礼なことか。自分の身に置き換えて見ればわかることだ。いきなり見ず知らずの人が、「貧乏でかわいそうね。人生にいいことなんて全くなかったのね。どうぞ、これ使って」と言いながら1000円差し出したら、感謝して受け取るのか?乞食か?
まともな人間なら、「オレは十分幸せだ。見ず知らずのアンタに同情されるほど落ちぶれてない。カネがなくても心は満足。ほっとけ!!」くらいのことは言うはずだ。
頼まれもしないのに、他人が不幸だと思いこみ、同情する人は、同情しているポーズを取りながら、実はその人を差別していることに気がついていない。他人の人生を、「幸せなことなど何もなかった」と決めつけることなど誰にもできないし、やってはならない。これを押し進めると、「苦労」そのものが単なる苦痛として不要になり、ラクな人生が一番いいことになってしまう。苦労に耐えられず、我慢できない人間が量産されている現在の日本社会を考えればわかることだ。
だから、
>それと同じく他国の人々の不幸の上になり立つ自国民の幸せも本物とは言えないという感覚をもつことが大切ではないでしょうか。
ということは、全く関係のない二つの事実(他国の人の不幸、自国の幸せ)をごちゃ混ぜにしている点で、根本的に誤りだということがわかる。こういう人が、「論理関係を大事にしよう」などと言って受験生を指導しているのだから恐れ入る。
こういう人は、日本の幸せ(豊かさ)は、何も天から降ってきたわけではなく、自分たちが作り上げたものでもないことがわからない。先人たちが必死に努力し、文字通り骨身を削って作り上げたたものであることを無視し、間接的に先人たちの業績をけなしているのである。
>そして、国家という枠組みも改めて考え直してみる必要があるように思います。
おなじみの「国家悪玉論」である。ここまでの彼の議論の展開とは、全く関係なく、唐突に出てくる。
普通のサヨクが国家悪玉論を言うならまだ許せるが、国の税金を何千万も使って養成され、法律で飯を食い、国家の存在を前提にしなければ生きていけないはずの法曹が、「国家は不要」という。
じゃあなぜ、法曹なんて養成するんだと言いたい。まさに「卑怯者」である。
>世界の人々が幸せになる道具として有用ならばいいでしょう。しかし、統治する者にとって便利なだけで、この国家という概念ゆえに
>かえって人々が不自由になったり、不幸になったりしたのでは本末転倒です。
人民が弾圧され、強制収容所に送られ、政治犯として処刑される中国や北朝鮮など共産主義国家で、「国家は不要だ」と唱えるならまだ話はわかる。
しかし、「国家悪玉論」を唱える人々は、憲法があって、平等な選挙があり、ストリートチルドレンなど存在せず、生活保護が行き届き、アルバイトだけで世界一豊かな暮らしを送ることができるこの現代ニッポンを非難しているのである。
そして、選挙があるにもかかわらず、「統治する者にとって便利なだけ」などと言い放つ。じゃああんたは、国民年金にも加入せず、健康保険も使わず、パスポートも持たず、日本国家の扶助を全く受けずに生活しているのか?そんなに国家がイヤでイヤでたまらないなら、日本を脱出して、太平洋の無人島で暮らせばいいものを、そういう人は絶対に日本を出ていこうとしない。
さらに、日本という国は非難するくせに、在日のことになると「民族のアイデンティティーのため、(朝鮮)国籍が大事だ」などと言う。国家が不要なら、在日に対しても、「国籍なんて捨てなさい」と言うべきだろう?
>毎日、生きていくだけで精一杯という子どもたちを大量に抱える国に貧困と飢餓の問題を解決しろと要求するのは無理な話です。
なぜ無理と決めつける?
たとえば、日本だって、「生きていくだけで精一杯という子供たちを大量に抱え」、「貧困と飢餓」に苦しんでいた時代があった。もちろん、アメリカの援助や、自由貿易体制の恩恵を受けたとはいえ、日本人自身が努力して現在の地位を築き上げたのである。
>戦争に明け暮れている国に武力以外の平和維持を考えろという方が非現実的です。
どうして非現実的と決めつける?具体的にどこの国のことだ?
そういう国(どこの国か知らないが)の人々は、戦争以外の解決策が考えられないバカだとでも言うのだろうか?
それに、平和維持の背景には軍事力が必要なことは自明のことであって、軍事力の持つ意義を否定することはできない。国連憲章が予定する安全保障体制は、「集団安全保障」というもので、各国は侵略国家が現れたとき、それを軍事力で鎮圧する義務を負っているのだ。
>そうした問題とは無縁の生活をすることができる国であるからこそ、逆に解決方法を提言することが可能なのではないでしょうか。
>そうしたことを考えるだけの余裕のある国や者の責任であると考えます。
戦争についても、国家についても無知な彼のような人がいったいどんな「解決方法」を提言するつもりなのだろうか?「お互い話し合え」というだけか、それとも何も思いつかないのに「考えましょう」と言っているだけなのか??
それに、日本が「そうした問題とは無縁の生活をすることができる国」だなんてどうしてわかる??北朝鮮という独裁国家がすぐそばにあり、さらに中国という核兵器を持ったやりたい放題の国がある。日本が石油のほとんどを依存している中東は、紛争が絶えない。「無縁」だなどとのんきなことを言っていられるのは、彼が今の日本の豊かさを謳歌している証拠でしかない。
>人間は残酷でどうしようもない生き物であり、戦争やテロなどの殺し合いは絶対になくならない、だから
>武力によらない平和など幻想だと考えるのか。それとも人間は絶対に戦争をしてはいけないのであって、
>それは可能である。人間そのものへの信頼を基礎において世界を考えるのか。
こういうセリフを見ると、
>これからは、人間というものに対する理解が求められます。
などと言っている人間ほど、人間の捉え方がまったくできていないことがよくわかる。そもそも人間は多面的な存在であって、善悪両方が同一人の中に共存している。いずれかの面を極端に重視するのは間違っている。善なる面もあり、悪なる面もある。そしてそれは表裏一体であって、悪なる面をコントロールすることはできるが、根絶することはできないのだ。そういうことがわからない人が、どうして他人に「人間への理解」などというたいそうなセリフが言えるのか?聞いているこちらが恥ずかしくなる。
>憲法は非現実的と言われようが、後者を選択し、そのための努力を我々に課しました。
彼自身が、憲法のことを「非現実的」と認めている。ではなぜ、現実に合わせる努力をしないのか。憲法など、所詮法律は人間が作り出した道具にすぎない。道具は使うものであって、人間が道具に使われてはおしまいである。
それにこういう言い方だと、まるで憲法が天から降ってきたかのような印象を受ける。そんな馬鹿な話があるか。憲法は「誰か」が作ったものであり、その改廃は我々が決定しうるものである。当然のことだ。
また、憲法には彼の言うような人間観などどこにも書いていない。勝手に解釈するなと言いたい。
>私たちだけが戦争、テロ、飢餓などとは無縁だからこそ、人類の到達したことのない新たな境地に
>踏み込んでいけるのだと考えています。
これは裏返しの「日本民族優秀論」であることに彼は気づいていない。危険な考え方である。
自分たちの祖先を尊敬し、感謝するのは必要なことだが、それと同時に他の民族も自分たちの祖先に対して同じ感情を持っていることを忘れてはならない。自分たちだけが優秀だなど考えることは、危険な考え方であるだけでなく、自国の発展をも阻害してしまう。考えてみてほしい。優秀だと思っている人が自分のことを反省したり、他人の立場を思いやったりするだろうか?
> 日本国憲法の存在するうちに、そうした壮大な実験を心置きなくやっておく必要があるように思われます。
そんな実験は、あんただけがやってろと言いたい。他人を巻き込もうとするな。だいたい、なぜそんなことをしなければならない?それに、「実験」というが、具体的にどういう方法でやるつもりなのだろうか?私のような考え方のひとびとを弾圧し、強制収容所に入れるのだろうか??
私が好きな言葉の中に、こういうのがある。「地上に天国を作ろうとすれば、それは地獄になる」というものだ。聖書の中の一節だが、これは共産主義という人類始まって以来の壮大な実験を見ればよくわかる。「人民の天国」を作ろうとした結果、ソ連や中国、北朝鮮のように、ひとつの国全体が収容所のようになり、「地獄」になった。
「実験」などと夢を語るのはいい。ではそれが失敗したとき、責任がとれるのだろうか?取るつもりがあるのだろうか?
>憲法は私たちにこうして人としての生き様を問いかけてきています。
>それに答えることが我々の使命です。
違います。単なる法律が、どうして人間の生き様などに干渉できるのでしょうか?できません。
>世界中の一人ひとりの個人を尊重する、そんな生き方をあなたはできますか。
まずあなたがやってください。具体的にどういうものでしょうか?「尊重する」なんてことができるのでしょうか?
大言壮語を言うまえに、身の回りの人々や、自分を育ててくれた国に感謝する気持ちを持ったらどうですか?昔から、大きなことばかりを言う人はウソツキと相場が決まっていたものです。夢を見たいなら、布団を敷いて寝てください。
>まさに私たちが「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と本気で思うかどうかの問題なのです。
国際社会というのは、生き馬の目を抜くような厳しい競争社会である。「名誉ある地位」というのは、ありもしない幻を追い求め、妄想を追いかけ、日本国内でしか通用しない言葉を吐くことだと言うのだろうか?