前回の記事に引き続き、国民投票法案について考えてみる。ただ、今回は「対子ども口調」にはしない。あれは意外と疲れるのだ。
マスゴミやマスコミ、そしてこのテーマを扱っている多くのブログでは、衆議院を通過した国民投票法案に、「最低得票率」や「最低投票率」が設定されていないことを問題視したり、考察したりしているようである。どちらの用語も、各自検索して調べてほしいが、ざっと言えば、
・「最低得票率」とは、投票率に関係なく、「改憲賛成」の「票数」が、「有権者の一定割合」を越えていることを、国民投票成立の条件(=憲法改正の条件)とすることをおおむね指し、
・「最低投票率」とは、一定の投票率をクリアすることを、国民投票成立の条件(=憲法改正の条件)とすることを、おおむね指している。
例えば、日本の有権者が8000万人いるとして、「憲法を改正するには最低得票率が50%以上」ということは、投票率に関係なく、 4000万票以上の「改正賛成」の票が必要ということであるし、「最低投票率が50%以上」ということは、投票率が50%未満だった場合、その国民投票自体が無効、すなわち憲法改正が否決されるということだ。
ちなみに、現在衆議院を通過した法案では、どちらとも設定されていないし、与党案だけでなく、民主党からの対案にも、このどちらとも設定されていない。
最低得票率も最低投票率も設定すべきでないのは当たり前である。なぜなら、どちらを入れようとする主張も、「投票棄権も投票行動の一つ」という発想に基づいているからである。
投票棄権(すなわち、選挙に行かないこと)とは、政治に参加する権利を自ら放棄していること(参政権の放棄)に他ならない。 選挙において、参政権の放棄をしている連中を、政治的決定(この場合、憲法改正案が可決されるかどうか)の要素に入れるということの矛盾を、「最低得票率(や最低投票率)を設定しろ!」と主張している連中(以下、「最低得票率推進派」と呼ぼう)は、理解できているのであろうか。
言い換えればこうである。選挙の当日に投票に行かないということは、参政権の放棄である。 政治に参加する権利を放棄している連中の票を、実質的に「改憲反対」側の票に入れるということは、 いったいどういう理屈づけがあれば、論理的にも感覚的にも可能なのだろうか。
要するに、改憲反対派に都合良く「よくわかんない人は投票しなくていいよ〜。自動的に反対票にカウントされるから」というシステムを作りたいだけだろ?
どこぞのバカなブログでは、「憲法学者も反対してるのに!」などと言っていたが、困ったときに学者の意見を紹介し、根拠もつけずに「そら見たことか」的な持って行き方をするのは、単に自分の頭で考えることができない、頭の弱い人の常套手段である。学者の意見を聞きたいというのであれば、憲法学者の、慶応大学の小林節教授の意見を紹介しておこう。
(NHKラジオより)
>最低得票率等を設定することは、ある投票率を下回ることで、投票行動全てがいきなり無効になるというシステムであって、 民主主義を破壊するものだ。ゆえにこれは良くない。
少なくとも、「憲法学者」によっても意見が違っているということだけは、知っておくべきであろう。いや、わざと隠しているのだろうがな(苦笑)。
参政権をそもそも放棄している有権者の票は、いかなる理由があっても、どちらの側にも入れてはならない。それが民主主義ではないのかい?
最低得票率等を設定することで、参政権を放棄した者の票を強制的に反対票に組み入れ、なおかつ、ある投票率を下回れば、投票全てがいきなり無効になるという、「投票放棄者」を増長させるようなシステムは、民主主義ではない。これが、この制度の問題点の一つ目である。
そして、こういう制度を作ると、「投票自体を無効にしたい」側は得てして「ボイコットキャンペーン」を張るようになる。
日本でも、実際に地方自治の住民投票で、住民投票自体を無効にするために、投票ボイコット運動があった。06年の、岩国への米軍艦載機の移転問題に関する住民投票である。この住民投票では、「投票率が50%未満」になれば、この住民投票自体が無効になるというルールが設定された。そして実際に起こったのである、ボイコット運動が。
沖縄・名護・岩国が問う 基地住民投票の系譜(2) ボイコット運動 (沖縄タイムス 06.03.09)
「行かないのも、立派な意思表示です」。岩国駅前で、宣伝カーが呼び掛ける。「住民投票に反対する会」は告示の五日、 初めて街頭でのボイコット運動に出た。
拡声器のマイクを握った広瀬嘉道会長(82)は、「国と対決するやり方は、岩国に大きなマイナスになる。市長に乗せられないで」 と訴えた。
配られたビラには、「このような混乱が長く続けば、岩国も普天間移設に見られる迷走と対立の歴史をなぞることになります」との “警告”も。
同会の事務局を預かる村田昭人さん(64)は「開票されれば、市民の間にしこりが残る。名護市民投票の轍は踏まない」。 投票率を50%未満に抑え、不成立にすることを目指す。
(後略)
実際にはこのもくろみは失敗し、投票率は6割近く(58.68%)に達した。そして、岩国への米軍艦載機移転に対する、賛成と反対の比率が
賛成11% 対 反対87% (無効票2%)
となったのである。
注目すべきは、最低投票率を設定したせいで、この投票不成立を狙った側=岩国への移転賛成側がボイコット運動を展開し、また実際に相当の割合が投票をボイコットしたせいで、賛成と反対の比率が極端な差として表れてしまい、実際にどのくらいの住民が移転賛成で移転反対なのかという、実際の比率が全くわからない結果になってしまった点である。
ボイコット運動があったとわかっていて、この上記の結果が、住民の実際の賛成と反対の比率であると、一体誰が信じられるであろうか。このように、最低得票率や最低投票率の設定は、結果として投票結果の信頼性を、大きく損なうものになってしまうのである。これが問題の2点目である。
最悪の懸念は、最低得票率等を設定すると、投票場に行くこと=改憲に賛成票を投じること というレッテル貼りをされ、「投票する権利」自体の侵害になったり、「投票の秘密」が守られなくなることだ。この岩国での住民投票に関して、こちらのページにも、こういう下りがある。
>3月12日夜、投票率が発表された。投票率58.68%。今回の場合、何よりも投票率が重要だった。町の実力者たちは、「投票に行くな」という運動を展開することで、投票所への道がまさに踏み絵としての役回りも果たした。だからこそ、6割近い人が投票所に足を直接運んだというだけで、大変勇気ある行動といえよう。
国民投票法案に最低得票率や、最低投票率を設定することで、投票所に行くこと自体がある種の「踏み絵」にならないと、一体誰が保証できるだろうか。「護憲派はこんな運動はしない」などと、下らないことは言うなよ?制度の問題と「俺たちを信じろ」という問題を混同している時点で、メディアリテラシーがド級に低い。「中国がどれだけ軍拡しても、中国は日本を攻撃しないから安心しろ」という発言を鵜呑みにしろと言うのと同じくらいメディアリテラシーが低い(笑)。
さらなる問題点を付け加えよう。今日の朝ズバでも、コメンテーターの杉尾秀哉と末吉竹二郎が「投票に行かないというのも投票行動」などとのうのうと語っていた。まあさすがTBSと言うべきであろうが、コメンテーターがこんなバカ発言を繰り返しているから、今回の都知事選も投票率が6割を越えなかったのではないの?
投票棄権者も反対票に入れることで、有権者が実際に投票をする(=政治参加する)動機を低くする。これが、問題点の3つ目である。
改憲反対論者は、まさにその名前の通りに、国民投票での改憲を阻止すべく、今から「憲法改正の国民投票があったら、改正反対の票を入れに投票に行こうね!」というキャンペーンを張るのが、「改憲反対」の正しい姿勢であろうに。前回の記事で指摘したように、結果として改憲が阻止できればよい、結果として改憲案が通りにくい制度にしておけば…という発想は、単に民主主義を否定している、きわめて危険な思想であると認識すべきであろう。
民主主義を掲げる者であれば、民主主義で戦え。
「投票率が20%なら、有権者のたった11%の賛成で憲法が変えられちゃうの?」などという「煽り」を、今日のみのもんたもやっていたが、これは、どのテレビ局のキャスターやコメンテーターが、だいたいやらかしている論法である。
ひと言で答えておこう。投票率が20%なら、有権者のたった11%の反対で、憲法が守れちゃうのである。今からコツコツと、護憲の輪を広げていきたまえ。民主主義の危機を本当に嘆くのであれば、「20%という投票率の低さ」をそもそも問題とせよ。
ちなみに、最近の国政選挙の実際の投票率は、40〜65%である。7割を越えたことは、この15年ではほとんどなかったはずだ。護憲派も改憲派も、この過半数を説得すべく、言論活動を展開すれば良いだけの話だ。さらに言えば、「改憲」も、「憲法をどう変えるか」によって、賛成派が簡単に反対派に変わる。すなわち、今の条件でも、十分に「改憲がしにくい制度」であると明言しておこう。
以下は蛇足である。
検索をかけてみたら、こんなページを見つけた。
yahoo知恵袋 国民投票法。最低投票率を明記すべきですか??
>国民投票法。最低投票率を明記すべきですか??
>良し悪しが有ると思います 理由をお教え下さい。
この回答の中にあったもの。
>多数決で決めるべきなので、 全有権者の半数以上の賛成がなければ可決してはならないと思います。
>投票に行かない人はそれぞれの事情や思惑があるのですから。
>ほんの少数の意見で可決されては迷惑です。
>よって、最低投票率よりも全有権者の半数以上の得票が可決としていただきたい。
…「投票に行かない人はそれぞれの事情や思惑がある」ってどういうこと??その日は遊びに行きたいから、選挙より遊びに行くことを優先することも「事情や思惑」の一つなのだが、それも「改憲反対」の票に入れなければ「迷惑」ということ?????
要するに、こういうことであろう。「僕たちがもし投票しなくても、その頭数は、自動的に『反対』に入れておいてね」と。何じゃそりゃ?????
甘ったれるのもいい加減にすべきであろう。こういう発想は、何より、「反対票を投じる人」への最大の侮辱であるということを「理解」すべきであろう。
もっと言っておこうか。投票もしないで、投票結果に文句が言えると思っているから、「ほんの少数の意見で可決されては迷惑」などと平気で言えるのだろうな。違うというのなら、改憲反対なら反対票を投じれば良いだけの話だ。
次。
>明記するべき。
>理由:国民投票と名が付くのなら、 過半数が国民の過半数若しくはそれに限りなく近いものになるべきなので、最低投票率は必要。そうしないとやりたい放題やられてしまい、 気づいたときには思わぬ結果をもたらされてしまうことも懸念されるから。
こういう系統の意見って、多いようだね。特にブログなどでは。しつこいが、「やりたい放題やられて困る」のなら、反対票に投じれば済む話である。他者との対話の中で、投票者の過半数を「護憲」に説得できないのであれば、甘んじて改憲に納得すべきであろう。こういう人々って、「投票」とか「民主主義」を何だと思っているのだろうか。とことんバカにしているようだ。
さて、こういう「回答」をする人々が、投票率が低下することで、より少ない票で可決されることを恐れるのであれば、「投票率が低下すれば、より少ない票で否決される」と解釈すれば、これまたすぐに安心できるのに、そうしないのはなぜであろう。単に頭が悪いのであろうか。それもあるかも知れないが、ホンネはこうであろう。
「憲法を変えてほしくない」と。
憲法を変えてほしくない側から見れば、最低得票率を設定しておくことで、当日投票に行かない、参政権を放棄しているバカ有権者も「反対票」にカウントできるので、単に投票率が低くなるだけで、憲法改正案は否決されやすくなると。
つまり、最低投票率を設定しようという人たちは、ここでも、有権者の投票行動を軽んじ、「結果としてできるだけ憲法が変わらないような仕組みを、『手続き法(手続きを定めた法律)』としての国民投票法にねじこもう」としているだけなのだ。
「とにかく結果が『改憲阻止』ならプロセスは何でもいい」と甘ったれるのも、いい加減にすべきであろう。
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