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02/06 08:28
(テレビ朝日[モーニングバード])
独自!親友が証言・佐村河内守とゴーストの関係は
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02/06 08:13
(日本テレビ[スッキリ!!])
“影武者”作曲・耳聞こえない作曲家の指示書を入手
ノンフィクション作家・神山典士の話によると佐村河内守とゴーストライターの新垣隆が知り合ったのは1996年。
以来、18年間、25曲中23曲を新垣隆が作ったという。
佐村河内守が指示書(楽譜ではない)を新垣隆に渡し新垣隆が曲を作っていた。
元々、交響曲第一番「現代典礼」という名前だった。
数年後、交響曲第1番「HIROSHIMA」に変わり広島の初コンサートで初披露された。
弁護士・本村健太郎が著作について、内科医・執筆家・おおたわ史絵のスタジオコメント。
02/06 08:08
(日本テレビ[スッキリ!!])
耳の聞こえない作曲家・佐村河内守“影武者”がいた
現代のベートベンとも呼ばれる佐村河内守の楽曲は自分で作っていたと告白した大学教員の新垣隆。
ノンフィクション作家・神山典士は2人が出会った経緯について話す。
1996年、佐村河内守は自分は楽譜が書けないので新垣隆に映画音楽用をオーケストラにしてほしいと頼まれたという。
当時、新垣隆は軽い気持ちで引き受けたという。
指示書には言葉と図で作品のコンセプトが書かれていた。
02/05 21:54
(テレビ朝日[報道ステーション])
「現代のベートーベン」別人作・佐村河内…広島で憤り
クラシック界のヒットメーカーの佐村河内守の曲を別人が作曲していたことがわかった。
今回の問題を告発したのは新垣隆。
ノンフィクション作家・神山典士は「類稀な能力を持つ2人がたまたま出会ってしまった」と述べた。
新垣は週刊文春で「彼が有名になるにつれ関係が世間にバレてしまうのではと不安を抱き続けてきた」と語った。
出会いは新垣が佐村河内から映画用音楽の作曲を依頼されたのが始まり。
それ以降新垣はゴーストライターとなった。
佐村河内の楽譜に新垣の名前はない。
佐村河内がコンセプトなどを新垣に発注し新垣が作曲しオーケストラで録音したものを佐村河内が売り歩く。
広島で開催されたG8でも演奏された「交響曲第一番・HIROSHIMA」の元になった曲は「現代典礼」という作品で原爆のことをまったくイメージしていなかったという。
新垣が手がけた曲数は約50曲。
週刊文春、写真提供:マツダ映画社、広島市、広島市内の映像。
♪交響曲第一番・HIROSHIMA。
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