韓国(人)が腹いせに日章旗を踏んづけ・割き・燃やし、あるいは首相の顔に×印を付けたりするのも、大中華と崇める中国の文化と伝統を受け継ぎ忠実に実行してきた韓国の宿命であろう。
日本の倫理観とは異なるが、大きな虚言であればあるほど愛国の情や指導者たる偉人・賢人に対する敬愛の念が強いとみる国家・社会が今日においても厳然として存在する。
日本のみを悪質国家にする中韓
中国は南京事件などに関して日本が三光作戦を行ったと主張してきた。三光とは「奪光」「焼光」「殺光」(奪い尽くす、焼き尽くす、殺し尽くす)というもので、ただ奪い、焼き、殺すというだけでなく、「徹底的にやり尽くす」ことで、人道もなにもあったものではない。
こうした行状は中国の歴史において繰り返し見られる現象である。王朝交代などでは新王朝が前王朝の残党を徹底的に殺し尽くした。歴代王朝の遺品は中国ではことごとく奪い尽くされ、建物は焼き尽くされてほとんどが残っていない。
中華思想で育った人々には三光の体験が代々受け継がれ、遺伝子となって習性化し、ことあるごとに行動や意識となって顕現する。
行為がなければ言葉も生まれないように、日本生まれの言葉でないことは言うまでもない。遣隋使節や遣唐使節、さらにはその後の交流や交易で持ち帰った中国の宝物は日本にしか残されておらず、岡倉天心は日本こそ保管庫の役割を果たしたと述べているほどである。
ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍が三光作戦を行い、また現地女性への性的暴虐を行ったと告発したのは、ほかでもなく韓国人女性記者である。
ハンギョレ新聞社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に、戦争当時ベトナムの大学院に留学中であった具秀姃(ク・スジョン)氏が、ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、「通信員」として特集記事を書き、明確になっている。
ところが、翌2000年6月27日、ベトナム参戦軍人の「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」メンバー2000人を超えるデモ隊が該新聞社を包囲し、社屋に侵入した一部は暴徒化して、同社幹部らを監禁し暴行を加えたうえ、オフィスや地下駐車場の車を破壊した(「SAPIO 2013.12」)という。
自国の蛮行は隠し、日本政府の調査でも資料が見つからなかった従軍慰安婦では、韓国が望む方向に談話の文面にまで干渉して書き改めさせ、事実を歪曲した。そのうえに国際社会に向かって誇張して喧伝し、日本をどこまでも貶めようとする悪行は愛国無罪・愛国虚言そのものである。