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【芸能・社会】「佐村河内さん聴覚障害でない」 ゴーストライターが衝撃告白2014年2月7日 紙面から
広島市出身の被爆2世の作曲家、佐村河内守(さむらごうち・まもる)さん(50)が別人に作曲を任せていた問題で、佐村河内さんのゴーストライターを務めてきたことを明らかにした桐朋学園大非常勤講師の新垣(にいがき)隆さん(43)が6日、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで謝罪会見を開いた。新垣さんは18年間で20曲以上を提供し、約700万円の報酬を受け取ったことを明かした上で、聴覚をすべて失ったとされている佐村河内さんについて「初めて出会ったときから、特に耳が聞こえないと感じたことは一度もありません」と衝撃の告白をした。 35歳で聴力を失った後、絶対音感を頼りに作曲を続けてきたとされる佐村河内さん。“現代のベートーベン”と呼ばれた音楽家は健常者であり、偽りのベートーベンである可能性が出てきた。 33台のテレビカメラと150人近い報道陣が集まる中、新垣さんは会見の冒頭、「私は佐村河内さんの共犯者です。障害をお持ちになった方々、また彼の言葉を信じて曲を聴いてくださった非常に多くの方々、見事な演奏をして下さった演奏家の皆さま、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪した。 佐村河内さんを通じ、自分の書いた曲が世の中に受け入れられる喜びを感じていた−とする一方で、関係が明るみに出ることに不安を感じ、昨年7月以降「もうこんなことはやめよう」と訴え続けてきた。だが、佐村河内さんは聞き入れず「あなたが曲を書かないと私は自殺する」とおどしたという。 だが、現在モスクワで五輪直前合宿中の男子フィギュアスケート高橋大輔選手(27)が、実際には自分が作曲した佐村河内さん名義の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」をソチ五輪のSPで使用することを聞き、「偽りの曲で演技した」と高橋選手に非難が殺到することは避けたいという思い、これ以上世間を欺きたくないとの理由で、事実の公表に踏み切った。 会見では、楽曲の代作以外にも、新垣さんの口から衝撃の告白が飛び出した。何と佐村河内さんの聴覚障害を否定したのだ。 佐村河内さんが映画の音楽を担当した際、知人の紹介で知り合い、障害者手帳を見せられたという。そこで、佐村河内さんのイメージをもとに、新垣さんが曲を作るというゴーストライター生活が始まった。 新垣さんが作曲する際、ピアノで録音したテープと譜面をいくつか佐村河内さんに渡し、選ばれたものをもとに、全体を構成していた。「私は彼と普通のやりとりをしていました。障害者ではないと思います」とキッパリ。ピアノの録音テープを聴きながら佐村河内さんがコメントすることが何度もあり、聴力障害はないと感じたという。 「耳が聞こえないと言い出したときは戸惑いましたが、このような(名義人とゴーストライターという)関係を成り立たせるための方法であったと。私はそれを了承したということです。彼は実質的にプロデューサー。彼のアイデアを実現させたいと思い、協力してきました」 18年間で20曲以上を制作し、約700万円の報酬を受け取った。佐村河内さんを通じて自分の音楽が多くの人を喜ばす快感もあった。だが曲が有名になるにつれ、“共犯者”という罪悪感ばかりが増していったという。 新垣さんは著作権を放棄する意向を示した上で「できることなら、今後も私の仲間たちとともに音楽活動を続けていきたい」と話した。会見は1時間に及んだ。新垣さんは最後まで、硬い無表情で淡々と述べていく調子を崩さなかった。 ◆楽曲イメージ図を渡す会見では、代表曲「交響曲第1番『現代典礼』」の図表のコピーが報道陣に配布された。耳が聞こえないとされる佐村河内さんが、新垣さんに楽曲のイメージを伝えるために書いたもの。新垣さんは「彼から1枚の図表をもらい、『非常に大きな編成で大きな長さの曲を書いてくれないか』と依頼があった。実際の曲の成り行きとは全く異なるが、あの図表を机の横に置くことで、ある種のヒントとして私が作曲する上で必要だった」。また「1年間で作ってくれと言われた。すぐには発売されず、数年後に『HIROSHIMA』の名で発表されたときは驚いた」と話した。 ◆憔悴し会見できず 佐村河内さん佐村河内さんの代理人の弁護士は6日、「聴覚障害2級の障害者手帳を確認した。耳が聞こえないのは本当だと思う」と述べた。また佐村河内さんが謝罪の意を示していることを説明。ただ「憔悴(しょうすい)しきっており、会見などに応じられる状態ではない」としている。 ◆新垣さん一問一答−ゴーストライターをやめようと思った時期は 「去年の5月にピアノの曲を提出しようとしたとき。『もうこの関係を続けることはやりたくない』と思い、7月に伝えた。12月にもう一度要求したがうまくいかなかった」 −佐村河内さんは東日本大震災の被災地を訪れた際、テレビカメラの前で「曲が浮かばない」と苦悩していた。あれは演技だったのか 「私はそう思う」 −なぜ今告白したか 「高橋選手に偽りの状況のまま(ソチ五輪で)踊っていただくのは良くないと思った」 −高橋選手はそれでも使用曲を変更しないと言っている 「このような事態にもかかわらず、なおこの曲を選んでくださるということを聞いて非常にうれしく思う」 −報酬は18年間で700万円。不満は 「私が曲を作り、報酬を受け取るのは自然なこと。彼が受け取った後は彼のもの。どのように扱ってもいいと思っていた。金銭トラブルはない」 −共作という意識はなかったのか 「あくまで彼のゴーストライターであるべきだと思っていた」 −自分以外に聴覚障害について疑問を持った人はいるか 「彼と接触するときは2人きりだった。やりとりにおいては、ごく普通のやりとりをしていたということ。それ以外で彼と会うことはなかった」 −自分のほかに佐村河内さんのゴーストライターはいないのか 「私はそう思っている」 ◇代作騒動をめぐる経過1996年 佐村河内さんが映画音楽を担当することになり、新垣さんと出会う。その後、新垣さんが楽曲を代作し始めた(新垣さんの記者会見での発言) 2007年10月 佐村河内さんが自伝「交響曲第一番」を出版 08年9月 広島市での主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)の記念コンサートで「交響曲第1番」が演奏される 11年7月 CD「交響曲第1番 HIROSHIMA」が発売 13年3月 NHKスペシャルが佐村河内さんを取り上げる 13年7月 フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチ冬季五輪ショートプログラムで佐村河内さんの楽曲を使用すると発表 14年2月5日 佐村河内さんの代理人が別人による楽曲代作を公表。CDの出荷停止や公演中止の発表が相次ぐ 6日 新垣さん会見 PR情報
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