支那方面旅行者の心得 -昭和15年8月版満州支那汽車時間表-
支那方面旅行者の心得
支那方面旅行者は下記規定事項に付、遺漏なきを期する外、聖戦地跡一帯の旅行に際しては忠勇なる我幾万の英霊によって衂られた聖地を行くの心構えを忘れずその反面皮相の観察に終ることなく、大国民の態度を持し徒に支那民衆を蔑視せず、見聞せる軍の機密等に関しては濫りに放言することなく、且慰問観察の名を籍りて私利を図る等の事なき様、充分戒心の上旅行すいることが望ましい。
1、渡支制限の現況
新支那建設に必要なる現地実情に適応するため本年5月20日以降渡支者に対し厳重なる制限を見ることとなった即ち今後の渡支者は新秩序建設に直接且積極的に協力を必要とする者に限られ不要不急の一般旅行者又はその他の理由に基くものも緊急止むを得ざるものの外は極力之が制限を受けるものである。
2、身分証明書の下付申請方
割愛省略
3、防疫関系所要証明書
割愛省略
4、写真撮影に就いて
割愛省略
5、北支行旅客の携帯金制度
割愛省略
6、北支又は蒙彊より入満の場合
割愛省略
昭和15年当時の満州支那汽車時間表が手に入ったので、その中にあった興味深いものをアップしておこうと思う。当時の文物に触れると現代では見ることが出来ないものが見えてくる。
赤字の部分と緑字の部分は強調するために色入れしたものである。
昭和15年と言えば、皇紀2600年である。内地では皇紀2600年でお祭り騒ぎとなっていたが、満州及び北支は我が国の指導下において目覚ましい発展を遂げていた。
我が国の北支方面及び華中方面の占領統治と現地自治政権の統治状態は極めて好調であったことが鉄道時刻表を見ると推察できる。なぜならば、満州事変及び支那事変発生前の満州及び支那方面では匪賊馬賊による列車強盗などが横行しており満足に鉄道が運転できない状態にあったことが歴史上証明されている。しかし、我が国によって建国された満州国や占領統治中の北支華中方面では鉄道が本土並みに正確に運行されていて、各会社線内の急行のみならず、朝鮮・満州・北支を結ぶ国際急行列車の運転や華中鉄道内の特別急行運転などがなされているからである。
鉄道運行が安定しているということは治安情勢と領内統治が安定していることの証明であると言える。
さて、昭和15年当時の日満支の優等列車の運転状況を併記しておこう。
各社線完結優等列車
特別急行「あかつき」
朝鮮総督府鉄道 京城〜釜山
特別急行「天馬号」
華中鉄道 南京〜上海
急行「はと」
南満州鉄道 新京〜大連
国際連絡列車
特別急行「あじあ」
南満州鉄道 新京〜大連
満州国有鉄道 新京〜ハルピン
急行「のぞみ」
朝鮮総督府鉄道 釜山〜安東
南満州鉄道 安東〜新京
急行「ひかり」
朝鮮総督府鉄道 釜山〜安東
南満州鉄道 安東〜新京
急行「あさひ」
南満州鉄道 羅津〜図們
満州国有鉄道 図們〜新京
急行「大陸」
朝鮮総督府鉄道 釜山〜安東
南満州鉄道 安東〜奉天
満州国有鉄道 奉天〜山海関
華北交通 山海関〜北京
急行「興亜」
朝鮮総督府鉄道 釜山〜安東
南満州鉄道 安東〜奉天
満州国有鉄道 奉天〜山海関
華北交通 山海関〜北京
この他にも愛称なしの急行が各地に走っている。これらを考えると活発な経済活動と旅客の往来があったことが証明される。さらに言えば、旅客列車以外にも貨物列車がそれぞれの路線を走っていることを忘れることが出来ない。そして、その需要は旅客同様にうなぎ上りであり、それと連動するかのように満州北支の経済規模の発展が戦時中の統計によって裏づけられている。 |
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コメント(1)
転載ありがとうございます。
2010/8/9(月) 午後 10:53