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Tr,平居の月曜プリント

2013-08-25

「佐村河内守」現象について

 佐村河内守(さむらごうち まもる)という人の音楽が、1年くらい前からしきりに話題になる。3月31日にNHKで特集番組が放映され、今月11日には『毎日新聞』で、まるまる1面以上という破格の特集記事が組まれた。仙台でも、来年4月にこの人の第1交響曲の演奏会が行われるらしいが、来年4月の演奏会チケットを今年の7月から売り出したことといい、東京エレクトロンホールという仙台で2番目に大きな会場で、特別な指揮者が来るわけでもない仙台フィルの、しかも1曲だけの演奏会なのに、チケットが8000円もすることといい、正に異例づくしである。

 一応、音楽に強い関心を持っている私としては、以前から気になっていたので、特番を見た上で、その反響の大きさによって放映されたという彼の第1交響曲演奏会の録画(4月27日)も、録画しておいて3回見た。ところが、私がそれを3回も見たのは、素晴らしいと思ったからではない。これだけ評判になっていながら、何が素晴らしいのか分からなかったから、とりあえず3回見てみた、というだけの話である。もう見ない。私が価値を見抜くだけの力を持たないのかも知れないし、性が合わないだけかも知れない。実際、曲に価値がないのかも知れない。要は、何が何だかよく分からないのである。

 佐村河内という名字は初めて聞いた。すごい時代がかった名字だな、と思う。広島出身の被爆2世で、ピアノを弾くことに関して幼い頃から類い希な才能を発揮したが、作曲を含めて、基本的に音楽は独学で身に付けた。35才くらいの時に聴力を完全に失い、いろいろな病気も持っているらしい。大量の薬を服用しながら、聴力を失ったことによる神経の過敏から身を守るために光の刺激を避け、日中でも自宅ではカーテンを閉め、外出時はサングラスの着用が欠かせない・・・。

 こんな話を聞きながら、私は、危ない、危ない、と思う。いかにもマスコミ(=それを支える多くの人々)の喜びそうな話がてんこ盛りだ。人の喜ぶ話の条件とは・・・、そう、悲劇性と英雄性である。(被災地についての報道の問題として、2011年10月31日に書いたことがある。http://d.hatena.ne.jp/takashukumuhak/20111031/1320065179 このブログで最も反響の大きかった記事のひとつである。しかし、これは被災地報道に典型的に表れるというだけで、実はもっともっと普遍的な話だと思っている)

 健康上いろいろな問題を抱え、しかも聴力を失った音楽家が大規模な交響曲を作曲する。しかも被爆2世である。そこに被災地の少女との交流が絡んでくる。佐村河内といういかめしい名字や、常に黒系の服を着、長髪・髭にサングラスと杖という風貌も演出効果を高めているだろう。宣伝とか広告というものが非常に大きな力を持つ現代に、日本人の国民性という問題もあって、これらの情報に踊らされ、自分も彼の音楽を素晴らしいと思えなければ自分がおかしいのではないかと不安になる、周囲の人の様子に引き摺られてなんとなく素晴らしいという気になる、そういう人は非常に多いのではないだろうか?

 彼の第1交響曲は熱狂的に迎えられているようだ。映像で見ると、日本では珍しいスタンディング・オベーションが長く続いている。しかし、同じ規模の曲として考えても、ブルックナーマーラーのような「古典」としての名声が確立した曲に熱狂できる人の数よりも、佐村河内の曲に熱狂できる人の方がはるかに多い、もしくは熱狂の度が強いというのは、作曲者が会場にいたことを考慮したとしても、明らかに不自然である。

 「現代のベートーベン」という評価も聞くし、佐村河内ベートーベン肖像画に似せて印刷した新聞広告も目にしたことがあるけれど、正に営業のための茶番である。佐村河内ベートーベンの共通点として「耳が聞こえない作曲家」以上のものを見出すことが、私には今のところできない。200年の批判に耐えてきた音楽と、つい先日書き上げられた音楽を同列に評価できるほど、一般人(ここに含まれない人は、ごくひとつまみの天才だけ)の審美的能力は高くない。そう書けば、今の人を馬鹿にしているようだが、今の人を馬鹿にしているのではなく、歴史を畏敬しているのである。

 音楽以外の雑音が大きくなればなるほど、どれだけ心澄ませて純粋に音楽に向き合えるかが問われてくる。雑音があまりにも大きいだけに、佐村河内はその練習問題として最高の事例であろう。今、彼の音楽を褒めそやしている人の何割が、50年後に、彼の音楽を手放せずにいるだろう?100年後に、オーケストラのレパートリーとしてどれだけ定着しているだろう? 私が何年後までを見届けられるか分からないけれど、楽しみにしていよう。あるいは、来年4月の演奏会チケットを7月から売り出したのは、主催者も現在の人気が曲の真価によるのではなく、一時的な流行であることが分かっていて、ほとぼりが冷める前にできるだけチケットを売っておこうということなのかも知れない、と意地の悪い想像をしてみたりする。

wafflewaffle 2013/08/26 18:07 平居様の貴重な、そして世上のブームに警鐘を唱える貴重な意見を読ませて頂き、いくつか思ったことがあります。
今回の佐村河内現象には、どうも仕掛け人がいる、そこで私たちは踊らされているのではないか。
これはCDを買った人、コンサートに詰めかけた多くの人が口には出さないが心の隅に思っていることではないでしょうか。
そう言う私も数種のCD、DVDを買い求めており、コンサートには家内を連れて出かけていっております。
私の場合は素直に感動いたしましたが・・・。
悲劇と英雄のストーりーの感動をもとめてコンサートに行った? そうかもしれません。クラシックの道からすれば邪道かもしれません。

 家内は先日日産スタジアムの「東方神起」のコンサートに30才を超えた娘と出かけ顔を輝かせて帰ってきました。
二人は100 %満足しており、家内と娘はエネルギーをもらった、明日からの活力を得たと言っておりました。
2日連続で毎日6万人も入場者を集め、女性を虜にする魅力はどこにあるのでしょうか。
骨董品好みの好事家が幅を聞かせるクラシック業界はやがてエネルギーが枯渇して行くのではないかと思います。
私は作曲家の背景がどうであれ、玄人を感動させるより、知識のない素人を感動させる方が難しいと思っています。
成功するにつれどんどん悲劇性がふくらんで行き、英雄神話を補強し神格化して行きます。
神童として光り輝くモーツアルトと共同墓地に埋葬されるその晩年の光と陰、
そしてベートーベンの、遺書、葡萄酒、裁判、難聴等など数々のエピソードや悲劇、
そのような話は過去の有名な作曲家をあげればいくつも出てきます。後世の人々は英雄に対して
引力に惹かれるようにエピソードを綴るものです。

「佐村河内守も名だたる有名作曲家に劣らぬ資格を持っている」と懐深く考えるのが健康的で良いと思います。
本人も色眼鏡で見ないで欲しいと言っているわけだから音楽を聴いて判断しましょう。
そこで「性が合わない」と思えばそれはそれでよし、「性が合う」と思えば追っかけやってもよし。
私自身はどうかと言えば、
西洋でなく東洋の日本、しかも同時代に生きる私たちに神様がくれた贈り物
たと思っております。
評価については平居様がおっしゃるとおり最終的には
「歴史が評価を下す」事になるのだと思います。

takashukumuhaktakashukumuhak 2013/08/26 21:19 waffle さま

コメントありがとうございました。

まったくおっしゃるとおりだと思います。

政治や学問に関する議論と違い、音楽というのは、それを受け取る側がいい気分になれればそれでいいのですから、余計なことを考えず、素直に耳
を傾ければいいのだと思います。

私なぞは、邪念に振り回されるまいという邪念に陥っている、実に滑稽な事例だと思いました。

今後ともよろしくお願いします。

平居 高志

岬丸岬丸 2013/09/17 17:48 ベートーヴェンは耳が不自由だから讃えられているのではない。曲が素晴らしいから讃えられているのであって、佐村河内守もまた同じなのである。
By 野本由紀夫(音楽学者)

ajiaji 2013/10/12 06:05 緻密かつ巨大な構築物、佐村河内守は天才です。
物事を斜めからしか見れない方に同情します。

aji aji 2013/11/15 18:32 再び失礼いたします。

解る人には解るということですね。
ウィーンフィルの首席コンサートマスターと言えば大巨匠ライナー・キュッヒルですが、そのライナー・キュッヒル氏が佐村河内守の才能に惚れ込み、佐村河内のソナチネを演奏することが決まったそうです。
これは本当に凄いことです。

takashukumuhaktakashukumuhak 2013/11/15 23:02 aji さま

たびたびコメントありがとうございます。

「聴かず嫌い」をすることもなく、誰かの評価を鵜呑みにすることもなく、自分の身の丈に合った聴き方をしていきたいと思います。

生前、シューベルトの才能に気付けた人は多くなかったはずで、私も当時生きていたら、気付けなかった一人だと思います。かと言って、その才能
に気付けた人(例えばベートーベン)に教えられたとしても、教えられたことで得られるようになった感動が、本物であるのかどうかは怪しいもの
です。

佐村河内守が偉大であるかどうか、分かる日が来るかも知れないし来ないかも知れません。

それが私の実力なのだから仕方ありません。そんな自分に正直でありたい、それでいいやと思います。

今後とも、いろいろご教示下さい。

平居 高志

おせっかいおせっかい 2014/02/05 09:36 さあ、この言明拡散しましょう!芸術の価値と生身の作者の関係にもってこいです。タイミングが良すぎるので、一呼吸して。

MonoMono 2014/02/05 13:59 歴史の評価を受けるまでもなかったですね。
天才作曲家どころか、天才でも作曲家ですらない詐欺師でしたね。

HYWOHYWO 2014/02/05 19:53 去年佼成ウインドオーケストラ演奏でききましたが、うるさかったです

苦悩=不協和音って安易だなあと思いましたけど

結局ニセモノだったという(笑)

この記事は慧眼でしたね

今まで通りゴーストライターの新垣氏を褒めちぎらないと整合性がとれない評論家や音楽ファンは多いことでしょう

音楽愛好家音楽愛好家 2014/02/05 20:20 素晴らしい洞察力ですね
やはり彼はフェイクでした

クラシック好きクラシック好き 2014/02/06 09:33 素晴らしいですね。
今回の騒動の深いところを突いてます。

以前、有名なヴァイオリニストが空港の入り口付近で名も明かさず演奏をし続けたところ、足を止める人は数人だったという検証がありましたがそれと少し似ていると思いました。
検証方法に疑問を感じる点はありますが、芸術を「ブランド力」に影響される事なく真に評価を出来る人間はこの世に何人居るのかと。

hrtknrhrtknr 2014/02/06 22:08 慧眼でした。
正直、佐村河内なる人物に興味がなかったので、最近の騒動で読み方を知った程度の者です。
内なる声に正直でいること、大事ですね。

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