2012-08-27
佐村河内守
経歴は、Wikipedia
全聾、鬱、その多諸々の症状を持ちながら、全聾を抜きにしても、それらと戦いながら曲を書き続ける生命力に脱帽する。徹底して孤高。基本的には、後期ロマン派のスタイルながら、その表現が効果的であれば前衛的な手法も使いこなす。部分的無調などはあっても、基本的には調性を保つ。ベートーヴェン交響曲第5番を意識して主題労作をされていることが、インタビューから感じられる。ポリフォニックに書かれていることは理解できたが、主題労作に関することは、私の精査はこれからになる。暗い叙情が終わりのコラールを除いて支配する。手法こそマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチと共有すれど、メッセージは、それらとは異なる。
モーツァルトよりも高いiQ180,英ロイヤル紙『現在世界最高の天才』、米TIME誌『現代のベートーヴェン』、ワシントンポスト『世界最高の天才No.1』、国内クラシック売上第1位(国内作曲家初)との賞賛。
後期ロマン派音楽に対する日本の答えではないだろうか。フランス音楽に対する武満徹、前衛音楽に対する松平頼暁と言った人たちと対になる。最も楽壇から無視されている現状、ネオロマンティスト以外の不支持、自ら孤高に走る方なので、死後位置づけがなされるものだと考えるし、これは私の私見である。
氏が述べた、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」という言葉、心に光を灯す音楽、ここに焦点をあてたいと思うのだ。
P.S.第1楽章、展開部のないソナタ形式。ということもあり、一番かっちりした印象を与える。主題労作に関して言えば、二つの主題が徹頭徹尾繰り返し使われている。ポリフォニックに重なり合い、ぶつかり合う。
第2楽章、エレジー。終わりの響きは、脳波誘導SoundのVantageQuestの響きに通じる。ここで、この響きを導くあたり、現在世界最高の天才No.1と言わしめるところではないだろうか。
闇の音、これは私が、ワーカー・ホリックで、発狂していたころ、ピアノの発狂から、ガラスが割れる効果音に移って行く、聴くだけで身も毛もよだつ
ような。ここで語られている闇の音は、じわりとじわりと淡々と、諧謔は一切なく、恨み節もなく、奈落の底へと落ちていく、寒さで体が折れて流血する姿を描いているようでもある。
そして第3楽章、祈りの安らかなコラールがとても印象的。マーラー交響曲第10番のフィナーレに似た印象を与えるフレーズ。このエンドに向かっていく展開は圧巻ではないだろうか。この曲は、このコラールのために聴いている。
私にとっての交響曲の最高傑作は、ブルックナー交響曲第9番に変わりない。それ以降の中で、とりわけ深い精神性と形式美を持った作品だと思う。
一般な評価について一言、アンチの評価には否定的である。おそらく世界最高峰の一人に挙げられて然るべきだと今は考えている。ヴァーグネル以降、真摯な音楽は、民衆から離れていき、大衆と歩み続けるのは軽い音楽。真摯な音楽も、その方向は無極化の一途を辿っている。その中で真摯に、ブルックナーやブラームスが試みた方向に向けて歩むことそのものに深い敬意を払いたい。その可能性、生きざまに拍手喝さいを贈りたいと思う。
追記:当ブログ、特に佐村河内守関連のコメントに関する注意書きを読んでからのコメントをお願いするものである。ステハン、名無し、およびファンの中でも盲目的なものは、すべて削除とする。ご了承願いたい。