2013年4月26日 金スマ波瀾万丈 佐村河内守〜全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音その1はこちら
結婚の翌年、佐村河内氏の弟が亡くなりました。
弟には婚約者がいました。
葬儀の時、
婚約者の両親から、いつも素直に返事をしてくれる子だったが、
兄には、作曲家になる、という夢を追い続けてほしいい、きっと実現する。
それまでは佐村河内家は自分が守っていかなければいけないので、
婿養子の話を断った、と言われたそうです。
弟の死から一週間後、
突然耳鳴りが起こって左耳がよく聴こえなくなりました。
その後も左耳の状態は悪化し、
光が目に入るだけで偏頭痛の発作が起こるようになり、
一日中カーテンを閉めきった暗い場所で生活するようになりました。
右耳も聴力が低下し、診察を受けた耳鼻科では「突発性難聴」と言われます。
作曲家として自分には時間がないと考えた佐村河内氏は、
後世に残せる交響曲を作曲するために、音楽の勉強に没頭します。
その勉強が終了した4年後、30歳で、左耳の聴力は完全に失われまいた。
33歳の時、今までの小さな仕事が実を結び、映画「秋桜」の音楽を担当することに。
(この「秋桜」の音楽を、オーケストラ用に書き直す、
というのは、最初に新垣氏に依頼したことなんですよね)
1998年にゲームソフト「バイオハザード」の音楽
1999年に戦国時代を舞台にした超大作ゲームソフト「鬼武者」のテーマ音楽・劇中音楽
を手がけることに。
(この「鬼武者」の初演時指揮者、演奏者には新垣氏の名前があります)
1999年2月、佐村河内氏は、35歳で「全ろう」、完全に聴力を失った、としていまう。
ベートーヴェンの「月光」を思いだし、
耳が聞こえなくても作曲ができるのかを試してみることに。
頭に浮かんだ旋律を書きとめ、元の楽譜と比べてみると一致し、
その他管弦楽30曲も完璧に再現ができたのだそうです。
これなら音が聞こえなくても作曲できると確信した佐村河内氏は、
「鬼武者」のテーマ曲の発表に向けて絶対音感を頼りに交響組曲「RISING-SUN」を作曲し、
総勢203名のオーケストラによる「鬼武者」制作発表会が行われました。
しかし、この日を境に佐村河内氏は、一度音楽業界から姿を消します。
その後、知人の紹介である障がい者施設にボランティアに訪れ、
10年以上に渡って様々な施設の子ども達と交流。
佐村河内氏は、稲垣さんに、
「そういった子達が本当に小さな光で灯してくれる光っていうのが、すごく輝いて見える」と語り、
「闇って本当に暗ければ暗い程、深ければ深い程小さな光って本当によく見えますね」
と話していました。
○みっくん(大久保未来さん)との関係
大久保未来さんは、「先天性四肢障がい」により、
生まれつき右肘から先がない。
未来さんの夢はプロのヴァイオリニストになることで、
弓のついた義肢を巧みに操って、ヴァイオリンを演奏します。
大久保未来さんとの出会いにより、佐村河内守は音楽をやっている仲間として
未来さんのための曲を作曲して献呈することで
未来さんが喜んでくればと思っていると語りました。
そして、
再び交響曲の制作に取り掛かりますが、
常に耳鳴りに苦しみ、
発作を抑えるために15種類もの薬を服用し、
週の半分は起き上がることすらできなかった、と言います。
失禁・嘔吐を繰り返すために、時にはトイレの前で作曲をしたことも。
こうして、2年かけて交響曲第1番「HIROSHIMA」を作曲。
玉川大学芸術学部メディア・アーツ学科教授の野本由紀夫氏は、
佐村河内守が作曲した交響曲第1番「HIROSHIMA」について、
「感情に非常に訴えかてくる音楽で、本当に感動致しました。
特に最後の部分は自然に涙が出てきてしまう位 感動致しました」
とコメントしました。
佐村河内守が作曲した交響曲第1番「HIROSHIMA」は2011年7月にリリースされました。
クラシック業界では異例の16万枚売上げで、
総合アルバムランキングでは2位にランクインしています。
新垣氏の、週刊文春の記事や、会見の内容の方が本当だとしたら、
なんかすごくむなしいですね・・・
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2014年02月06日