2014年02月06日

2013年4月26日金スマ波瀾万丈 佐村河内守〜全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音

2013年4月26日金スマ波瀾万丈 佐村河内守〜全ろうの孤高の作曲家が紡ぐ闇の音は

2014年2月5日に、作品のほとんどが別人(ゴーストライター)新垣隆氏の作曲である、
と公表され、
2月6日の「週刊文春」で、聾者・障害者であることもウソではないか、とされた、
佐村河内守氏を紹介。

義手のヴァイオリン少女「みっくん」(彼女は本当に障害があり、ヴァイオリンも弾いています)
も登場しています。

番組では、まず、佐村河内守氏を、
6万枚の大ヒットを果たした「交響曲第1番 HIROSHIMA」
の作曲者として紹介。


全く耳が聞こえない全ろうの聴覚障がい者でありながら、
聞こえていた頃の絶対音感のみをたよりに、
作曲活動をしている。

佐村河内守氏は
光が自分にとって苦痛である、という理由で、
スタジオには来なかった。

そこで、
佐村河内守氏の自宅を稲垣吾郎が訪問して取材、撮影。

佐村河内守氏は中途失聴者のため、声帯の感覚などを頼りに
声を出して話すことができる、としていました。


部屋を暗くしている理由について、強い光が直接目に当たると、
発作を起こすから、と言っていました。

今回は、特別に作曲をする部屋に入って撮影が許可されました。
音を聞いて作曲するということがないので、楽器は置いていません。
佐村河内守氏は頭に浮かんだメロディーやリズムを譜面に書き込んで作曲すると言いました。


佐村河内守氏の半生を紹介。
出身地は広島市。被爆二世です。

母は自宅で教室を開くピアノの教師。
4歳の誕生日にピアノの入門書である、「赤バイエル」を贈られ、
母によるピアノの英才教育によって「赤バイエル」をわずか4か月で被着こなしました。

その後も次々と出される課題を天才的なスピードでこなしていき、
やがて聞いた音を一音も洩らさず楽譜におこす「聴音」が得意となった、
ということで、

それが、聴覚を失った後で、作曲家としての活動できた「絶対音感」につながった、
と説明。


。ベートーヴェンの交響曲「田園」を聞き、
いつか自分の手で交響曲を書きたいというのが人生の目標になりました。

交響曲は何十もの楽器の特徴を熟知し、高度な音楽知識が必要で
過去の作品は30分以上が多く、手間と労力がかかるのだが守は交響曲を作曲するという夢のために、
音楽理論を独学で勉強し、
小学6年生の時に、40分もの大曲を完成させたそうです。

高校3年の夏、守は帰宅中に左目に違和感を感じ、首筋と左目奥に激痛が走ったことが、
聴力を失いはじめたきっかけでした。

5分ほどで痛みは治まり、大学病院で診てもらったところ、
偏頭痛と診断されます。

当時の音大では現代音楽が主流でクラシックは学べない、という理由で、
音大には行かないという選択をしました。
1982年、18歳の時に上京。
独学で音楽を学んでいましたが、
耳の状態は次第に悪化していきます。

4歳の時に、高校時代に知り合った、
年上の女性と結婚。

(佐村河内氏の奥さんは、いまのところ表には出てきていないようですが
週刊文春の記事には、
新垣氏が佐村河内氏のの自宅で「普通に」(手話などではなく)話すとき、
奥さんは、すっと席を外す、
とされていました。

そして、新垣氏がもう作曲をやめるというと、
奥さんの筆跡で「このことがあきらかになると私たち夫婦は死にます」
という手紙を出してきたそうです。
つまり、奥さんも、ゴーストライターのことや、
佐村河内氏の耳が聞こえていることは、分かっていたはず、
とされています)

(つづきは後ほど書きます→こちらに書きました。)

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posted by さとうまさこ at 09:40 | バラエティ・トーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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