【※】この記事は会見場から随時アップデートします。

「両耳が聞こえない作曲家」として知られている佐村河内守(さむらごうち・まもる)さんの楽曲の「ゴーストライターをしていた」として、大学講師の新垣隆(にいがき・たかし)さんが2月6日、都内のホテルで会見を開いた。

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新垣さんは「佐村河内守さんに出会ったときから18年にわたって曲を作り続けてきました。指示されるまま作り続けた私は共犯者」と謝罪した。

主な質疑応答は以下の通り。


■「非常に問題のあることだと思いはした」

――佐村河内氏とはどういう関係なのか。18年間、やめようというタイミングはなかったのか。耳が聞こえないということだったが、そうではないんでは?というエピソードがあれば

彼とは知人を会してお会いしました。彼が映画音楽を担当することになり、必要としたオーケストラのための音楽をできる人を探してほしいと、知人が相談を受けて、私の所に連絡が来ました。最初の出会いはそのようなものです。

映画とかゲーム音楽のお手伝いということで、私はアシスタントとして関わっていくという認識を持っていました。その中では、ゲームや映画をつくるスタッフの一人として特に問題を感じてはいませんでした。彼がある時期から「自分は耳が聞こえないのだ」ということを世間に対して態度を取ったとき、そして、その上で、彼の名で私が曲を書いて発表することになった時点で、それは非常に問題のあることだと思いはしたのですが、そこではまだ、やめようということではなく、彼に従い、私も曲を書き続けました。去年の5月にピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと私は思いました。そこから、彼に何度か「もうこの関係はやりたくない」と伝えました。

耳に関しては、私の認識では、初めて彼と会ったときから今まで、特に耳が聞こえないということを感じたことは一度もありません。

――ということは、通常通り会話が出来たということか

ありました。

――現代典礼で書いてくれと言われたとき、どう思ったか。これを見て、新垣さん自身、音楽を生み出せると思ったか

彼からは1枚の図表をもらったわけですが、それと同時に彼との会話により、彼が非常に大きな編成で大きな長さの曲を書いてくれないかと、そのように依頼があり、あの図表は実際の作品の曲のたとえば成りゆきとはまったく異なりますけれども、ただ、あの表を私が机の横に置くということで、それをある種のヒントとして、私が作曲する上では必要なものだったとは思います。

――いちばん最後に会ったのはいつか

12月15日です。

――そのときに全て話すという話はしたのか

していません

――本人に何と言いたいか

彼が大山さんに送ったメールにありましたように、非常に多くの人々の夢を壊してしまったわけです。ただ、やはりそもそもの関係が間違っていたのではないでしょうか。

――2人の契約形態は。印税などはどういう管理を

彼が依頼をし、私が作曲して譜面を渡し、それによって私は報酬を受け取りました。印税に関して私はまったく関係ありません。

――2006年に佐村河内氏が高校の吹奏楽部に、吹奏楽のための商品というタイトルのものを提供しているが、どんな依頼があったのか

それは、彼がある高校の吹奏楽部の顧問の先生とコンタクトを取り、彼が学校の吹奏楽部のために曲を書きますと言って、それによって私の所に依頼が来ました。

――それも構成案などが送られてきたのか

あの曲に関しては、グラフということは特にありませんでした。私が書きました。


■報酬「20曲以上で700万円前後」

――盗作では?

あくまでも彼のゴーストライターであると思ってました。

――ゴーストライターとして曲を書いた報酬はいくら?

18年間で20曲以上提供して、はっきり覚えていませんが、700万前後だと思います。

――新垣さんのために名前を伏せたんだとも取れるコメントを佐村河内さんがしていますが、その件は?

ゴーストライターが表に出てはいけないので、ただそれだけだと思います。

――高橋大輔選手が使う曲は「みっくん」という女の子のための曲だと思いますが、その子との関係性は?

その子がバイオリンを始めたときからの関係です。

――その子と佐村河内さんとはどんなことが?

それは雑誌に書いてあります。


■「著作権は放棄したい」

――あなたが作って、佐村河内さんの名前で発表した曲の著作権はどうなるのか?

著作権については私は全く放棄したいと思っております。

—―佐村河内さんがピアノを弾いている姿はみたことがあるか。なかなかデビューできないクラシックの業界に対する不満を感じたことはない。

彼が弾けるのは初歩的なピアノのみであります。作曲家が自分の曲を発表する場がなかったとは思ってないです。

――耳が聞こえるのという話がありましたが、どのようなやり取りをしてたのか?

彼と会話するときには、彼と私の2人だけで、そのときはごく普通のやり取りをしていました。

――さきほど著作権を放棄されるという話でしたが、すでに著作権を譲渡する話し合いは?

そのような話し合いは一切していません。

――JASRACとは

それには一切関わっておりません。

――NHKのディレクターや日本コロンビアの担当者は知ってるのか?

私は全く知らないです。

—―2人の関係がばれないようにするために、新垣さんに対する工作は?

それは私が口外しないという一点だと思います。私も、口外するつもりはなかったです。


■障害者というのは「違うんではないか」

――佐村河内さんの障害者手帳を見たことはありますか?

一度だけ見たことがあります。それは彼が世間に「自分は耳が聞こえないんだ」というスタンスを取った直後です。

――佐村河内さんがどこまで作曲に関わっていたのかを教えてください

ピアノの鎮魂曲の場合ですと、まず私がいくつかの音のモチーフを・・音楽の断片のような物をいくつか提示し、それを譜面に書き録音して、彼が聞き、その中から彼がいくつか選んだものを、私が作曲するというプロセスでした。

――そうすると譜面上でのやり取りではなく、音を聞いたやりとりだったと?

はい。

――音楽を聴きながらやり取りをできるということは、耳が聞こえるということでいいんでしょうか?

私は彼と普通のやり取りができるということです。

――障害者ではないと?

それは違うんではないかと思います。

――なぜそうしてるのかというのは本人から説明はなかったんでしょうか?

雑誌の中で触れてあったと思います。最初は私に対しても「耳が悪い状況である」ということを示していたのですけど、でもやりとりしているうちに、段々戻ってきて、最後はそれもなくなりました。

――隠そうとしていた理由は?

耳が聞こえないんだということを示すための行為だったと思います。

――そういうふうにすることで売れるんだというそぶりは?

これからは「そういう形で」ということを聞いたことがあります。それは、芸能音楽が発表されたあとであります。

――佐村河内さんが世に出した曲の中で、ご自身が関わったものは?著作権放棄をすると誰もが自由に演奏できるようになると思いますが、高橋選手のこともあるので、いつの段階で放棄することになるのか?

私は詳しいことは分かりませんけども、高橋選手があの曲で演技できるようにするための権利はよく分かりませんが、それが実現されなくてはいけないので、そのための手続きが必要であればそうしたいと思っておます。自分の認識の中では、彼の曲は全て自分が担当しているということです。他にゴーストライターはいないと思っています。

――700万円の報酬ということでしたが、これまでに不満を持ったことはありますか?金銭面でのトラブルはあったのか?

私が譜面を渡し、報酬を受け取るという形は自然な物と自分では思ってました。彼が譜面を受け取ったあとは、彼がどのように扱ってもいいということだと思っています。その後のことについてはタッチしたくないという思いでした。金銭トラブルというものはなかったと思います。

――著作権を放棄されたということですが、CD回収などの損害賠償については?

それについては自分ではよく分かりません。


■「彼は実質的にはプロデューサーだった」

――佐村河内さんとの友情はあったのか?

彼が依頼して、私が譜面を作って渡すというやり取りをするだけの関係を保っていました。その中で、なお、彼の情熱と私の情熱が、非常に共感し合ったときというのはあったと思っています。

――18年間のうちで、いつごろ彼が再び聞こえてくるように思ったのか?

耳が聞こえないのだということを言い出したときは、非常に戸惑いました。彼がそういうことをしたのは、私は了承していた……。(ゴーストライターを)辞めたいといったのはごく最近で、それまでは私は自分の意志を伝えたことはなかったです。彼から依頼を受けることをごく普通にやっていました。

――新垣さんの中でも、そういう関係が良いという認識がおありだったということでしょうか?

やはり、それは知られてはならないので。なるべくそれがやりやすい環境を望んだのは否めないです。

――芸術的な共同のクリエイターとしての思いは?

彼は実質的にはプロデューサーだったと思います。彼のアイデアを自分が実現するということです。彼が自分のキャラクターを作り、世に出したということで、彼のイメージを作るために私は協力をしたということだと思うんです。


■「彼は譜面は書けません」

――実際に譜面は書けたんですか?

彼は譜面は書けません。

――被爆者のための作品を書いたことは?生年月日を教えてください。

音楽とは別に、被曝者の方に対する思いはあります。それを音楽で表現をする・・・ということもあるかもしれません。あるいは、被曝された方への思いが音楽に与える影響があるとは思います。ですが、それは曖昧です。メッセージ性に任せて作るというやり方は、私自身は取っていません。

――今後、佐村河内さんへの裁判を起こす予定は?

その予定はありません。

――佐村河内さんの名義で出したCDの名義はどうしたいか?

今のままでいいと思っています。

――お二人の名前を併記しなくていいのか?

皆さんが納得するのであれば、そうしなくてよいと思っています。


※新垣隆さんと佐村河内守さん

新垣さんは1970年生まれの作曲家。桐朋学園大学音楽学部の非常勤講師を務めており、不協和音を駆使した現代音楽を多数発表している。

彼がゴーストライターをしていた佐村河内さんは、「広島市出身の被爆2世で、両耳が聞こえない作曲家」として知られている。しかし、2月5日になって「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの主要な楽曲は、別の音楽家が作ったものだったと代理人を通して発表。ソチ冬季オリンピックでフィギュアスケートの高橋大輔選手が使用する楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」も、佐村河内さんが作曲したことになっていたが、変更しない方針だ

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