「立憲主義と平和主義を軽んじ、格差と貧困を放置する人が、私も含めてこの会場に一人として存在するでしょうか」

 安倍首相は先週の衆院本会議で、民主党の海江田代表の質問にこう答え、与党席から大きな拍手を浴びた。

 ところが、それから1週間しかたたないうちに、首相が自らそれを否定するかのような答弁をしたのには驚いた。

 憲法とはどのような性格のものか――。衆院予算委員会での野党議員からの問いに、首相は、こう答えた。

 「考え方の一つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方がある」。それこそ立憲主義である。問題はその次だ。

 「しかし、それは王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、いま憲法というのは日本という国の形、理想と未来を、そして目標を語るものではないかと思う」

 これには、とても同意することはできない。

 憲法によって国を治めるのが、近代の民主主義国の仕組みだ。憲法は、別の法律や命令では変えることはできない。つまり、時の権力者でも思うままにはできない。

 首相は、こうした立憲主義の考え方が、絶対王制時代の遺物だと言いたいのだろうか。

 まさか、とは思う。だが、憲法改正の厳格な手続きを定め、立憲主義を体現する96条についての首相の答弁を聞くと、本気なのかと思えてくる。

 首相は96条を「改正すべきだ」と改めて述べた。昨年の国会でも主張していた。

 自民党の案は、国会議員による改憲案の発議要件を、3分の2以上から過半数の賛成に緩めるものだ。首相は、最後は国民投票で決めるから問題ないというが、そうだろうか。

 改正の内容を審議するのは、国民を代表する議員の役割だ。憲法は、そこで3分の2以上の賛同を得られるまで議論を尽くすよう求めている。それを過半数に下げるのは、まさに時の権力者が思いどおりにできるというに等しい。

 首相は「憲法を国民の手に取り戻す」と国民投票の意義を強調する。一方で自民党は、国民投票をほかのテーマでもできるようにすることには否定的だ。

 首相は、96条の改正について国民の理解は得られていないと認めている。改正は立憲主義の精神を都合よく骨抜きにすることだと、多くの国民が感じとっているからではないか。

 過去の遺物だと言ってみても受け入れられはしない。